第73話 宝石の戯れ
「…………殿下、つまり、それは」
「そなた、セシリア嬢になれ。そのまま首都へ……フラビオのところへ乗り込むのだ」
「無茶だあっ!」
テオドールの身体は崩れ落ちた。なんて無茶ぶりをしてくれるんだこの皇太子は。横には案の定吹き出して機能しなくなっているアドムと「テオが? セシリアに?」と眉をひそめるニコラウス。
「その荒々しい口調と豪快な仕草をなんとかすればいけるだろう」
「いけるだろうじゃないですよ!」
「ハイド・ロルバッハ、そなたテオドールに化粧をしてやれ」
「で、で、殿下、オレですか? 何で……」
「器用だろう」
巻き込まれるハイド、それを見て一層笑い出すアドム。ラハブ様が床に転がっていて良いのだろうか。
向こうの部屋に化粧品は一式用意しておいたよ、とエドゥアルトがにこやかに言い放った。義兄も共犯だったことにテオドールはもうどうしようもないと悟る。それよりも床に転がるこのグラナートをどうしてくれようか。
「ハイド、こいつ後でシメるか」
「ふふ、オレたち同じことを思っていたみたいだなテオドール」
「やめろ、ツィトリンも笑ってるぞ。おれだけじゃない……ぷ、ぷぷ、ぷ」
「姉さんは良いんだよ」
「そうだ、君で試そうかアドム」
ハイドがアドムの首根っこを掴みどこかへ連れて行く。
「は、まて、やめろザフィーア…………おい、はなせ、ザフィーアっ!」
アドムの声は遠く廊下の向こうに消えていった。
ハイドは真面目だ。何をするにも……それこそ、丸い石となってしまったアリリオにどうにかスープを飲ませてやろうとしてとろみの調整を本気で行うくらいには真面目だ。となれば今回皇太子から直々に与えられた役目も真面目にこなすことだろう。それがアドムを犠牲にすることになっても。
「はは、あいつもたまには働かねえとな」
「アドムにお化粧なんて、似合うかしら……」
「さあ?」
☆☆☆
数十分後。ダイニングに現れたのは羞恥にわなわな震える美少女と満足気な顔のハイドだった。「やりきった」と晴れやかな表情をしている。
「ザフィーア…………後で覚えていろ……」
「仕返しに仕返しをしていたらキリがないよ、アドム嬢?」
「死にたいか? いや、死なれたら困るが」
褐色の肌に赤い紅がよく映える。いつもの薄紫色の長い前髪は上げられて、まぶたにはグラナートの瞳に似合う金のラメが乗せられていた。砂漠の姫と言われても誰も疑わないだろう。ムハンマド公爵に見せてやりたいほどだ。仕返しに笑ってやろうと思っていたテオドールだが、ここまでクオリティが高いともはや笑えない。
「似合うものだな、ラハブ」
「すごいねハイド君。本当にセンスが良い」
「お褒めいただけて光栄です」
「おれは光栄ではないが? おいザフィーア、無視するな。おれは怒っているぞ」
テオドールはハイドの器用さに感服する。料理もできて化粧も上手いとは何事だろうか。百年前に全てを自分でやるしかなかった「ラザフォードの庶子デイヴィッド」の努力で手に入れた才能なのかもしれないと思うと少し切ないが、ハイドが楽しそうなのでまあいいだろう。
「うーん、でもやっぱり体格がなあ。もう落としていいよ、お疲れ様アドム」
「おのれザフィーア、好き勝手したあげく文句をいうか」
「はいこれ、化粧落としだ」
アドムの睨みもものともせず、ハイドは化粧を落とすための液体を布に出してその顔を拭く。
そして、そのザフィーアの瞳はついにテオドールに向けられた。
「さあ、楽しみだなテオドール」
「お、おい、ハイド。明日にしようぜ明日。お前も大変だろ? な? あと多分ニコラの心臓が持たねえんじゃないかなって」
「ええ、私は早く見たいわ。私の真似するテオ」
「そうだろう。ほら、セシリアもこう言ってるんだ。オレの心配をしてくれるのは嬉しいが、大丈夫だよ。ニコラウスの心臓は……なんとかなるだろう」
「あああ! 余計なこと言わないでくれるか姉さん!」
叫び声も虚しく、テオドールはハイドに連れて行かれる。アドムは何事もなかったように「ぷぷぷ」と笑っていた。さっきまで自分も好き勝手されてたくせに、とテオドールは睨む。
「……ハイドお前さ、楽しそうなのはいいけど後でお前もやれよ」
「どうして? 君たちは似合うけれどオレには似合わないよ。非常に、非常に残念だが」
「思ってねえよな? 逃げてる? なあ」
問い詰めるテオドールにくすくすと笑うハイド。
きちんと化粧台に座らされて、テオドールはされるがままに目を瞑る。化粧筆が少しだけくすぐったい。
かちゃり、かちゃり、と心地よい音に眠くなってきた頃。「終わったよ」と声がした。
ゆっくりと、まぶたを開ける。
「…………っ」
「どうかな、かなりセシリア本人に近いのではないかな思うんだが」
鏡に映るのは「セシリア」だった。白い肌、長いまつ毛、薄いピンク色の唇、果実のような頬。もともとほとんど同じ顔だが、今のテオドールの顔はハイドの技によって女性特有の柔らかさが演出されていた。
彼女の肌を侵食するツィトリンも完全に再現されている。少しだけ怖くなるくらいだ。
「すっげえ、姉さんだ」
「ふふ、すごいだろう」
褒めてくれてもいいよ、と得意げなハイドに「うん、すげえ」と頷いてもう一度鏡を見る。
「んっ、んー、『ハイド、お腹空いたわ』……似てるか?」
「全然」
「厳しいな」
「まあ、声くらいなら魔法でどうにかしてもらえるだろう」
早くお披露目しよう、とハイドが言うのでテオドールはそのままダイニングへ向かった。その姿を見るなりセシリアの顔がぱあっと輝く。
「テオ! とっても素敵! 鏡を見てるみたい! すごいのねハイド!」
「な。あとは姉さんみたいな口調と仕草ができれば完璧だ。声もなんとかしてくれ」
「ええ、もちろん!」
セシリアがテオドールの頭を両手でよしよしと撫でる。その瞬間大きな音が響いた。
「ニコラウスーっ!」
「…………ここが、ユートピア………………いや、わかるよ。どっちがどっちか俺にはわかる。でもあんまり似てるから、ちょっと、頭が幸せな混乱を起こして…………」
『ニコラ? ニコラ死なないでください! ニコラぁっ!』
キョースケとアリリオがあわあわとニコラウスを心配しているところに、セシリアは無慈悲にもトドメをさした。
「見て、ニコラ。可愛いでしょう?」
ニコラウスはついに意識を飛ばした。可哀想な親友を憐れむテオドールのまなざしも今は凶器でしかない。
「惜しい弟を失った……」
「殿下、楽しんでますよね?」
「まさか。帝国の緊急事態にそんなこと」
「アドムといい殿下といい、権力者ってこういう人ばっかりなのか?」
テオドールは苦笑いするが、その隣でセシリアはじっと真剣な顔をして何か考えている。
「どうかしたか、姉さん」
「いえ……ねえアドム、テオ、貴方たちはこのままでいいの?」
「……」
何かを察したらしいハイドがそっとその場を離れようとする……が、アドムに捕まった。テオドールもその視線をハイドに向ける。
「離してくれ、生産性の無いことをしている場合ではないだろう」
「フコーヘーというやつだぞ」
「そうそう。お前も似合うんじゃねえの?」
「待て、テオドール、少なくとも君とオレは仲間だろう? アドムに仕返しができたのだからもう良いじゃないか。大体オレに、自分で自分に化粧しろと?」
「あら、私がやってあげるわよ」
セシリアがにっこりと微笑む。
流石に女性に手荒な抵抗はできなかったハイドは両脇の二人を睨みながら静かに連行されていった。
「いいなあハイド、セシリアに化粧してもらうなんて」
「ハイドーっ! ニコラウスもやってほしいって!」
「違う違う違うやめてキョースケ変なこと言わないで」
『…………俺、石で良かったかもです』
しばらくして出てきたハイドは、どこか陰のある儚げな美少女にされて全てを諦めた目をしていた。




