第71話 紫黄水晶
約束通り夕食の時間にはハイドが起こしてくれたので、テオドールは眠い目をこすってダイニングに降りた。その黄金の目を見たキョースケがぽかんと口を開ける。
「え、テオドール? 目が金……テオ……いや、セシ……?」
「何言ってんのキョースケ。どう見てもテオでしょ」
困惑するキョースケにニコラウスが笑う。
「魔力を使うのは成功したみたいだね。いい? キョースケ、セシリアの瞳はもっと純粋な黄金で、テオの今の目はちょっと……紫が混じってるね。光の加減で紫にも見えるよ。屈折率からすると」
「あー、あー! 難しい話しないでくれよニコラ! お前は本当に……」
「俺がテオとセシリアを見間違えるわけないでしょ」
ふふん、と眼鏡をかけ直すニコラウス。伊達眼鏡のくせに、とテオドールはため息をついて席に座った。
ハイドが作ってくれたポトフが目の前に置かれる。ごろごろ野菜が入った、温かなポトフ。魔力操作に疲れたテオドールや計算に没頭していた二人を労ってのメニューだろうか。良い香りだ。一口食べるとその温かさは身体の芯に染みた。
「で、ニコラとキョースケは? 計算は順調か?」
「終わったよ」
「は」
ニコラウスとキョースケは顔を見合わせて「ねー」と笑う。さすが頭の良い二人は仕事も早いようだ。キョースケが嬉しそうにインクで真っ黒になったノートを見せてくる。
「すごいでしょ! 頑張ったんだよ。ハイド、褒めて!」
「こんなに……すごいな、キョースケもニコラウスもよく頑張ってくれた」
「さすがだなメガネ、ちび。結果は? ああ、おれたちにもわかるように教えてくれ」
テオドールもハイドもアドムも、石の中のアリリオも、二人の言葉を静かに待った。ニコラウスはすっと真剣な表情になる。
「……結論から言うと、この家の魔力とお前たちの宝石眼に残った魔力を全て使えば魔宝石ツィトリンからのセシリアの復活は可能だね」
「!」
セシリアの復活が可能。アドムの予想からその希望は見えていたが、こうして計算という裏付けができたことで安堵と感動、どうしようもなく大きな喜びが胸の奥から湧き上がる。
「ほう、説明がうまくなったなメガネ」
「そこ? まあいいや……とにかくうまいことフラビオを切り離せれば大丈夫。ただ、やっぱり彼女の百年分の記憶までは残せない。それはフラビオを閉じ込めるのには必要なものだから。付随してこの数日の記憶も諦めるしかなさそうだ」
「要するに百年前の、ユートピア計画の裏を知る前のセシリアに戻っちゃうって感じ。テオドールにとってはただのお姉ちゃんになるのかな」
ユートピア計画の裏を知る前の、魔女となる前のただの姉。それは残酷な対価か、それとも美しい救済か。
『私ももう疲れたの、生の苦しみを背負ったまま生きるのは』
セシリアの言葉を思い出す。
その百年の苦しみを全てフラビオに押し付けて、ただの少女として新たに踏み出せるのならば。それは彼女が何よりも望んだことなのかもしれない。
彼女の百年の苦痛は、時間は、愛は、テオドールの、ハイドの、アドムの身体が覚えている。例え彼女が自身の偉業を……テオドールたち三人を再びこの世界に生かしたことを忘れてしまっても、テオドールたちが生きている限りそれが証となる。
雪山での再会までも忘れてしまうのは些か悲しいことだが、かつての姉に戻ったところで彼女の本質は変わらない。綺麗で、優しくて、セオドアの手を引いて、あるいは後ろをついてくる、寂しがりやで弟思いの、純粋な心を持った姉。
「でもニコラ、お前は本当にいいのか? 昨日も言ったけど……それって数年前のお前との出会いも忘れちまうってことで」
「彼女の存在には代えがたいことだよ。大体昔の俺なんかアーサー兄様が言ったみたいにおとなしくて今の俺とは全然違うし。子供として見られても嫌だし。彼女と対等な目線でまた初恋ができるならなおさら燃えるってものさ」
『よっ、ニコラ! 地位を捨てても皇太子の器ですよっ! ところで殿下のこと兄様って呼ぶんですね』
「そ、それは、アーサー兄様がそう呼べっていうんだよ! 皇太子命令だってさ! まったく」
困ったように、だがどこか嬉しそうにニコラウスは言った。アーサーといいエドゥアルトといいセシリアといい、こうも弟に甘い人間が多いのは微笑ましいことだ。弟の方も姉兄に甘いのだから良いのだろう。
「じゃあ……少し落ち着いたら、姉さんにも伝えておこう。無茶はするなって言われそうだけどな」
「まずその目を見てびっくりするんじゃないか。弟の目が金ぴかだってな」
「ふふ、セシリアなら心配もするかもしれないがお揃いだって喜ぶだろうな。仲良しでうらやましいよ」
「ほう、おれがお兄ちゃんになってやろうか」
「いや、どう考えてもハイドのほうが兄貴だろ」
「シツレイな、おれは老の器だぞ」
余計なことを言って頬をつねられてるうちは弟分だろ、とテオドールは苦笑する。まあ、ハイドにはキョースケという弟分がいるのでアドムには構っていられないかもしれないが。
と、そこに見張りから戻ってきたエドゥアルトとアーサーが帰ってきたことを告げる扉の音がする。
「戻ってきたぞ。余のポトフは大盛りで頼む……む、テオドール・リーフェンシュタール、その瞳はどうした」
「テオ!? 大丈夫かい、痛くないかい? まさか記憶とか……」
「あー、大丈夫、大丈夫だから落ち着いてくれ義兄上。殿下もおかえりなさい」
アーサーとエドゥアルトにも先ほど話したことを伝えると、アーサーはポトフを食べながら豪快に笑った。
「ははは、ニコラス、そなたはやはり重いな!」
「笑わないでくれませんか。俺は一途なんです」
「よいよい、しかしセシリア殿が『魔女殿』ではなく『セシリア嬢』として再スタートするとなると……他の男どもは放っておかんだろうな。頑張るが良いニコラス」
「…………楽しそうで何よりです殿下」
「兄様と呼べと言っただろう。怒っているのか? すまんすまん、余は本気で応援しているぞ」
じと……とアーサーを睨むニコラウス。テオドールにとってもセシリアがただの少女に戻るとなると心労が絶えなくなることは必然だった。自慢の姉だ。かつてセオドアとして番犬のごとく姉を守ろうとしたように、テオドールもまた彼女を守らねばならない。今は公爵家という地位もあるのだから容易いことだろう。権力を嫌っていたセオドアだが、それが姉を守れる力となれば話は別だ。
「姉さんに何て説明しような。あんたの記憶はユートピア計画の真実を知る前に戻るぜ、って?」
「少なくとも赤ん坊にはならないって教えてあげないとね」
そうだ、赤ん坊にならずに済むのならばテオドールが、セオドアが再び姉を置いていくようなことはもうないはずだ。時には病に苦しんでも、精一杯生きて、共に老いて死ぬまで、同じ時間を過ごす。そんな平凡で贅沢な生き方ができる。今度こそ、彼女が望んだ幸せな世界で。限りある生を確かめ合って。
「ありがとな、ニコラ、キョースケ」
「何言ってんの。魔力使うのはテオだしこの家を遺したのも昔のテオでしょ」
「そうだよ、一番肝心なところはテオドールがやるんだから! まだ終わってないよ!」
ニコラウスとキョースケの言葉にテオドールは静かに頷いた。
そうだ、十七年前に姉がしてくれたように、こんどはテオドールがその手で姉を起こしてやるのだ。宝石でなくなった彼女の無垢な目が、幸せな世界を映せるように。愛した仲間を捉えることができるように。
テオドール自身がまだ彼女の弟でいるために。
「そうだな……よし、任せておけよ」
強い覚悟を持って、そのアメトリンの瞳は一層輝いた。




