第68話 「ニコラウス」
「でんかの、いぼてい」
「うん……いや、まあ、母親が平民だったからさ、髪は金じゃないけどね。それに俺は皇族の地位も断ったし」
以前ニコラウスは、セシリアと出会った頃について「両親が忙しかった」と言っていた。なるほど、父親が皇帝なら確かに忙しいだろう。
「陛下は俺と母に首都にある住居を与えてくださったんだ。それで、皇位の話が出て、しばらく母だけで皇宮に通ってて、一人で外で遊んでた時にセシリアに会ったんだ。結局俺もしばらく皇宮で暮らすことになったんだけどその間もセシリアに会ったおぼろげな記憶が俺の頭から離れなくて。規則の厳しい貴族学校じゃなくて比較的自由な帝国学校に入るために皇族の地位を捨てたんだ。もともと俺の存在は秘匿されてたし。あとほら、言ったでしょ? 旧文明の研究は実質タブーだったって」
気まずそうに笑うニコラウスに、テオドールはあんぐりと開いた口が塞がらなかった。
最初から共にいた……むしろ彼と出会って全てが始まったようなものなのに、ニコラウスのことを何も知らなかったのだ。しかしまさか元皇族だったとは。
「……ニコラ、一つだけ言わせてくれ」
「う、うん、隠してたんだしね。何言われても言い返せないっていうか…………遠慮なくどうぞ、テオ」
テオドールは息を吸った。
「…………重くね? お前の初恋」
「そこ!?」
「いや、重いよ! 姉さんを追って皇族の地位まで捨ててきたのかよ! つーかこんなポンコツ盲目皇太子がいてたまるか!」
「ひどい! 一途って言ってよ!」
『いや、重いですよ。なんかもう……可哀想です、殿下が』
「は、コータイシだろうがなんだろうがメガネはメガネだぞ。ところでそれは伊達だったのか?」
「確かに、ニコラウスそれ度入ってるの?」
キョースケがひょいとニコラウスの眼鏡を取り上げて、そのままその小さな顔にかける。
「度、入ってないじゃん」
「いやぁ……瞳の色バレ防止にと思って。あと、頭良さそうでしょ?」
「その考えが頭悪いんだよなあ」
ニコラウスの眼鏡をかけたキョースケがハイドに向かって「似合う?」と甘える。ハイドはキョースケの頭を撫でて、それからニコラウスの方を見た。
「伊達眼鏡かそうではないか、重要問題だな。よし、ステーキを突っ込むの刑だ」
「え、ちょ、ご勘弁!」
問答無用でステーキを口に突っ込まれ、はふはふと冷ましながらも食べるニコラウス。
ニコラウスが皇族かどうかよりも眼鏡の度の方が気になっている様子の一行にアーサーが笑い出した。エドゥアルトも微笑ましそうにそれを見ている。
「ははは! はあ、ニコラス、やはりそなたは皇宮を抜けて正解だ。皇宮にいた時はこのように間抜けな顔はしていなかったからな。教えてやろうかテオドール・リーフェンシュタール。ニコラスは皇宮では常にすんとしていてな」
「殿下! それは、セシリアと旧文明のことで頭がいっぱいだっただけで……」
「重い、重すぎる」
「ふふ、確かに昔会ったニコラはもっとおとなしかった気がするわ」
セシリアが笑うので、ニコラウスはもう恥ずかしくて死ぬといった勢いでテオドールの後ろに隠れた。
ニコラウスのことだ、きっと皇族であると言うタイミングがなかっただけでなくただの『ニコラウス』として過ごした時間を壊したくなかったのだろう。うさんくさい眼鏡という第一印象通り、彼は相当隠し事を持っていたわけだ。頭が良いがゆえに未来を心配していたのだろうが、そんなものは杞憂に過ぎない。テオドールたちにとってニコラウスはニコラウスなのだから。
「はあ、言ったろ。お前が皇太子でもポンコツ研究者でもなんでも俺の親友としては首席合格だって」
「テオ…………!」
裸眼のままでニコラウスは感動の涙を流す。おおげさだ、と言おうとしたテオドールの口に熱いステーキが突っ込まれた。後ろからはキョースケの突進、目の前では石が震えて、頭にはコインが弾かれる。
「は、熱! ……うまいけど、ちょ、何、お前ら」
「その試験、もう一回やらない? 僕ニコラウスよりいい成績取れる気がするんだよね」
「甘いな、百年分のアドバンテージに勝てるとでも? ほらテオドール、ステーキだよ」
「アメテュスト、賄賂は受け付けているか?」
『俺も身体を取り戻したら! 受けます! その試験! あとステーキうらやましいです!』
「ほう、余にも参加資格はあるんだろうな?」
わらわらと周りに集まり出す。
友達で、仲間で、家族で、大事な人たちではあるが…………重い。物理的に。
「だまらっしゃい」
ひときわ目立った声が場を制する。
「ね、姉さん」
「テオもセオも私の弟。親友首席も私のもの。取りたいなら私を倒してからね」
「卑怯だセシリア!」
「セシリアは可愛いなあ」
「ニコラウスはそれでいいの?」
すっかりセシリアに骨抜きにされているニコラウスにキョースケが呆れる。テオドールはそのままセシリアに連れて行かれた。部屋には黄金の蝶が残される。
「……あーあ、行っちゃった」
「仕方がないな、姉弟二人の時間は邪魔できない」
『テオがいない間に勝手に試験始めます?』
「皇子、おまえはその身体のままで参加できるのか?」
『…………口頭試験なら!』
「エドゥアルト、そなたは良いのか?」
「ええ、僕はテオの義兄という特別枠が約束されているので」
義弟が仲間に囲まれる姿を、まるで自分のことのように嬉しそうに隅で見ていたエドゥアルトが紅茶を飲んだ。
☆☆☆
黄金の蝶に連れられて、テオドールは家の外……森に立っていた。手を引く姉の後ろ姿は百年前と同じで、でもこの世界は随分と変わっていて、テオドールを取り巻く環境も、人も、すっかり変わっていた。もちろんいい方向にではあるのだが。
「ったく、姉さんは姉さんなんだから親友とは違うだろ」
「ふふ、良いじゃない。貴方を連れ出す口実よ」
「…………あっそ」
しばらく黙って森を歩く。準備とやらはどうなったんだ、とか、ニコラの想いにそろそろ応えてやれば、とか、言いたいことは山ほどあったがテオドールはセシリアにおとなしくついて行った。かつてのセオドアと同じように。
「ねえテオ、私は今幸せよ」
「!」
セシリアが振り向いて笑う。
その顔を蝕む黄金の宝石が広がっていることにテオドールは気づいてしまった。
準備。
それは一体、何を意味するのだろう。
「なあ、姉さん、あんたまさか、準備って」
「……ええ。この五日間で私の魔力を全て放出して、私が宝石になる直前にフラビオの魂を私という器に閉じ込める」
セシリアの目は真剣だった。
「最初からそのつもりだったのよ。まさか私がフラビオの魂を見つけるよりも先に貴方たちが真実にたどり着くとは思わなかったけど…………だから、思い出してほしくなかったの。貴方は悲しむと思ったから。本当の計画では、貴方たちの知らないところでフラビオを閉じ込めて、貴方たちが知らないうちに宝石眼の呪いが解けているようにしようと思っていたの。今からだってそれはできるわ。また忘れてもらえば良いんだもの」
「それは」
「…………でもできなかった。貴方に姉さんと呼んでもらうことが、あの家でまた過ごすことが、楽しかったの。だから最後はちゃんと貴方たちに見届けてもらいたくて……わがままで、ごめんなさい」
テオドールは言葉を失った。
どうして、再び会えた最愛の姉と離れなければならないんだ。またあの皇帝に引き裂かれるというのか。
文句の代わりに涙が出てきて止まらなかった。
「泣かないで……貴方は今までも誰も傷つかない道を選ぼうとしてきた。それはわかってるの。でもね、全ての願いを叶えるなんて無理よ。ユートピアが存在しないのと同じでね」
わかっている。
わかっているよ、そんなことは。
頭の中で雪山で流れてきた百年の記憶を思い出して、悲しみにも怒りにも似た気持ちがふつふつと湧き上がってくる。
「……だからって……姉さんはもう十分頑張ったじゃねえか! なんでまだ犠牲になんなきゃならねえんだ! だったら、だったら俺が」
「駄目。最後まで聞いてちょうだいテオ……ごめんなさい、言い方が悪かったわね」
そういう問題じゃねえ、と言いかけたところでテオドールの唇にセシリアの指がそっと触れた。
「一気に全ての願いを叶えるなんて無理な話…………時間と人手は必要だもの」
ね? とセシリアがいたずらっ子のように微笑んだ。




