第65話 帰る場所
雪山を降りたテオドールたちのところに、エドゥアルトが慌てて駆け寄ってきた。
「テオ! 皆! 良かった、さっき一瞬吹雪が強くなったから心配だったんだ……まって、アリリオ君は?」
エドゥアルトの顔が青ざめる。おそらくハイドを失ったイグリシア帰りのことを思い出したのだろう。
『エドゥアルトさん! 俺、ここにいます! 色々あったんですけどとりあえず大丈夫です!』
「……連絡石? 無事なら良いんだけど……彼女は、まさか」
「はじめまして……いえ、ケインズの家で一度会っているわね。エドゥアルト・リーフェンシュタール。私はセシリア・ケインズ。テオの『実姉』よ」
セシリアが微笑んで、ふわりとエドゥアルトに近づく。ニコラウスが少し羨ましそうに見ていた。
「……なるほど、お嬢さんがツィトリンの所持者か。確かにイグリシアのケインズの家で会った少女もこんな美人さんだったかもしれない」
「あら、覚えていたの」
「微かにね。それにしてもテオによく似ている……義兄のエドゥアルトです、よろしくね」
さすがはエドゥアルト、セシリアの実姉マウントをものともしない紳士的な振る舞いにテオドールは感動すら覚えた。
対して、少しだけ悔しそうな様子のセシリアに一行は苦笑する。百年を生きた魔女がこんなことでむきになるとは。
エドゥアルトが用意してくれた馬車に乗り、テオドールは事の経緯を話しだした。
セオドアとしての記憶を思い出し、実姉との再会を果たしたこと。ナジフの手記にあったとおり、ツィトリンの所持者こそが魔女、そして百年前のユートピア計画の犠牲者の一人であったこと。まさにユートピア計画の首謀者である旧皇帝・フラビオがこの時代でずっとテオドールたちを監視しており、アリリオの身体を乗っ取ってユートピア計画を復活させようとしていること。
「……なるほど、連絡石の中にいたフラビオ皇帝の魂が今はアリリオ君の身体に入ってる……だから連絡石からアリリオ君の声がするわけか」
『そうなんです! このままじゃご飯も食べられなくて……』
「となると次の目的はアリリオ君の身体を奪還して、フラビオ皇帝の計画を止めることかな」
「だな」
フラビオは一体どこへ向かったのだろう。百年前の再演、と言っていたが何をするつもりなのか。てっきり魔宝石……テオドールたちを攫ってでもいくつもりなのかと思っていたがそうでもないらしい。意図が全く読めない。テオドールが不安に思っていると、遠慮がちなアリリオの声が聞こえてきた。
『多分ですけど、百年も石の中にいたか誰かに憑くくらいしかできなかったので……まずは生身の身体を楽しんでいるのでは?』
「ああ、皇子。今頃おまえの身体で美味しいものを食べているのかもな」
「…………食べるのか、オレ以外が作ったものを……」
「大丈夫だよ、僕はハイドの作ったものしか食べないからね!」
「何が大丈夫かわかんないけど、フラビオがどこにいるのかわからないと何もできないのは確かだね」
ニコラウスがセシリアのほうに目をやる。
「…………ええ、もちろんわかるようにしてあるわ。あれも抵抗しているからちょっとぼんやりしているけど、今は……そうね、ここから南……ちょっと西ね」
「南西!? 首都じゃねえか!」
「まさか今の陛下に手を出そうとしているんじゃ」
ラーマ帝国首都。今の皇帝がいるところだ。フラビオが再びユートピアを築こうとしているならば、まずは自らが皇帝として君臨するつもりなのかもしれない。
「でも首都には第一皇子のアーサー殿下がいらっしゃる。彼は今の騎士団も率いる軍事の天才だ。情報さえ回れば動いてくださるはずだよ」
「あーさーでんか? だあれ、それ」
知らない人だわ、とセシリアが首を傾げる。
アーサー・ロイ・ラーマ第一皇子。今しがたエドゥアルトが言ったように有力な皇位継承者候補であり、帝国軍の頂点。エドゥアルトやジキルより少し年下だが、そのカリスマ性は帝国一だ。
もちろん、このラーマ帝国の皇家と旧皇家とは全く繋がりがない。今の皇家は滅んだ旧文明から新文明への移行に最も力を尽くした人間の末裔だ。しかも、その基盤にユートピア計画の礼金は無い。だからこそ英雄譚として現皇家の物語は信仰対象にすらなっている。
「殿下には報告しておこう。まさか帝国を揺るがす大事件になるとはね。ああ、先にジキルにも連絡を」
「ごめん、義兄上。巻き込んで……」
「何を言っているんだいテオ。君たちが君たちのまま戻ってきてくれたんだ、一人は石の中だけど……でもここからは、僕ら大人の義務だよ。これからも君の義兄でいさせてくれるんだろう?」
「……うん、義兄上」
エドゥアルトの優しさに思わず頬が緩んだ。
と、そこでテオドールは慌てて隣を見る。姉、もとい大人げない魔女がエドゥアルトを睨んでいる気配がしたからだ。実際彼女は恨めしそうな顔でエドゥアルトを見つめていた。
「………………まあ、及第点ね。悪くはないわ」
「おや、僕は認めてもらえたかな義姉上」
「その呼び方、嫌よ。セシリアって呼ばれたほうがましだわ」
「不貞腐れてんじゃねえよ姉さん、子どもか?」
「まあ、失礼! ニコラ、テオが私をいじめるの」
「テオ! 駄目でしょ! セシリアをいじめないで!」
「うるせえ初恋盲目メガネ! いじめられてんのは義兄上なんだよ!」
「僕は大丈夫だから落ち着いてテオ……あ、ほら、ヴァイスヴァルトが見えてきたよ」
森が見えてくる。
あの家は、あの森は、かつてはデイヴィッドがキッチンに立ち、ナジフが真実を残し、セオドアがその命をもってして守った……そしてセシリアが愛した過去の象徴だった。
そして、今はニコラウスとテオドールが出会い、アリリオが食事に舌鼓を打ち、ハイドの好きなネリネの花が咲き、キョースケがオニギリを作り、アドムが金ぴかにして、エドゥアルトが公認してくれている拠点だ。
「なんか、変な感じだな。知らないうちに自分が昔過ごした場所に戻ってきてたなんて」
「オレもだよ。またこの森で君に拾ってもらえて良かった」
「今も昔もこの家がおれのザイサンだったわけだな。外見ももっと金ぴかにするか」
「やめてナ……アドム。恥ずかしいわ」
「手厳しいな」
ふ、とアドムが笑う。
百年前、四人だった仲間は新たな親友と共に今度こそ非道な計画を止めに行く。旧皇帝の自分勝手なユートピアよりも、この世界で泥臭く生きていくほうがよほど人間らしいのだから。ヨシダも言っていた。「永遠なんて無かった」と。
『さ、まずはご飯ですよ! 俺は臭いと音だけ楽しませてもらいます!』
「お前はそれで良いのかよ」
「ふふ、君をキッチンに置いたまま料理しようか」
「よかったねアリリオ、特等席じゃん。まあ僕もハイドと一緒に料理するけど」
「皆、今日はご飯を食べてゆっくり寝るんだよ」
「……ん? セシリアがいる家で俺は眠れるのかな?」
「どんまいだぞメガネ。ツィトリンに添い寝でもしてもらったらどうだ?」
「心臓が持たないよ!」
真っ赤な顔をして慌てふためくニコラウスを笑い、テオドールは馬車を降りた。
ヴァイスヴァルトに足を踏み入れる。風が木々を揺らす。緑の匂い、木漏れ日の温もり、湿った土、木の葉の音。
『おかえり、俺』
森が、家が、セオドアの遺した力が、そう囁いたような気がした。
今のテオドールは新文明のプレンシアで生きたテオドールであり、でもセオドアとしても確かに生きていた。義兄と、実姉と、百年前の親友と、今の親友と、過去の自分と、今の自分と。
ハイドが全てを己として受け入れたときの気持ちがわかったような気がする。それは欠けていたピースを見つけたような、不安定ながらも満たされた気分だ。
「…………ああ、ただいま、俺」
小さな声で、テオドールはその声に応えるのだった。




