第64話 悪魔
フラビオが恍惚とした表情でその身体を……アリリオの身体を自ら抱きしめる。
「てめえ!」
「駄目よセオ……フラビオ、今までどこにいたの。私はずっと貴方を消そうと追っていたのに」
「おや、熱烈なことですねセシリア。私の想いには応えてくれなかったのに……でも、教えてあげましょう。私がどこにいたかなんて愚問です。ずっといましたよ、連絡石の中にね」
「な……っ」
連絡石。
『あの石は普通の石? それとも魔宝石?』
『あれはただの石ですよ。ネイプルにあった石と、俺がもともと持っていた連絡石です』
蘇る、ネイプルでの会話。アリリオがもともと持っていた連絡石。その中に、フラビオが。
最初から、この悪魔の掌の上にいたとでもいうのだろうか。
「…………嘘でしょう、ずっといたというの?」
「もちろんです、セシリア。ああ、でもあなたと同じように私も自らの魂を分割しました。そのうちの一つ、核のようなものが連絡石の中で、一部はロルバッハの公爵に憑いていましたね。それからネイプルのマフィア、リーフェンシュタールの夫人……ああ、あなたがたの宝石眼にも私の意思を少し残しました。人間として復活してしまったあなたたちを苦しみで満たして再び魔宝石に戻すのに、頑張ったんですよ? 残念ながらセシリアの加護が幾度もそれを呪いとして放出していましたが」
「…………ジキルさんに憑いていたのも貴方だったのか、フラビオ皇帝」
ハイドが低い声でそう言って、フラビオを睨んだ。
「まあ、いいです。こうして魔宝石が揃ったのなら百年前の再演も目前……私は舞台を整えに行くとしましょうか。今度こそ、私のユートピアの誕生を祝いましょうね」
「フラビオ……っ!」
「では」
なんでもないように、軽い別れの挨拶をしてフラビオは霧となり小屋を出ていく。
圧倒的な魔力量。今のテオドールにはその力がはっきりと感じられた。
呆気に取られる一行の中、キョースケが震えた声で呟いた。
「どうしよう……アリリオが」
「そうだよ、アリリオの身体でしょ⁉ どうするのあれ、予定外だよ! 皆で帰るってエドゥアルトさんにも言ったのに!」
「アリリオ……」
「まさか皇子の身体がコーテーに乗っ取られるとはな。ちっ、不愉快なことだ」
「あれと戦えってのか?」
テオドールたちの親友の身体が、フラビオという悪魔に乗っ取られて連れて行かれてしまった。これは深刻な問題だ。
ハイドの身体で「デイヴィッド」が現れた時も戸惑ったが、状況が違う。デイヴィッドはハイドの過去の記憶であり、遠い昔の本人だったがフラビオとアリリオは全くの別人だ。なにより、フラビオは明らかな敵であり……今この瞬間も、百年前の再演を望んでいる。
アリリオの身体と戦える自信がない。もしもフラビオを倒して、アリリオまで失ったら?
危機的状況の中、微かな音が聞こえてきた。
『あの……』
「! アリリオ!?」
テオドールが振り向くと、そこには先ほどまでフラビオがいたという連絡石を持ったセシリアが立っていた。声は連絡石から聞こえてくる。
「アリリオ! どこにいるんだ! 雪山の頂上か! 首都か!」
『いえ、その、実は……今、連絡石の中にいるんです』
「……は?」
ぽかんと目を丸くする五人に、セシリアが状況を説明しようと口を開く。
「一つの身体に魂は二つも存在できないの。だからアリリオは身体から追い出された……でも安心して、今私がこの連絡石の中に繋ぎ止めたわ」
「……そういうこと、か?」
「さすがセシリア! …………ん? でもアリリオ、このままってわけにはいかないよね?」
「ええ。フラビオは魂を分割させるほどの魔力を持つ旧文明の存在だけど、アリリオは新文明生まれのいわば普通の人間。このままというわけにはいかないわ」
以前アリリオが言っていたことを思い出す。旧皇帝の末裔とはいえ、どうして新文明生まれの自分が魔法を使えるのか。その時、一行は「何か先祖が残した魔力源があるのではないか」という結論に至った。
その魔力源が連絡石……その中に宿ったフラビオの魂だったのならば、それを失ったアリリオは間違いなく新文明に生きるただの人間だ。
「早く身体を取り返さないといけない、ってこと?」
「そうね」
『助けてくれてありがとうございます、セシリアさん。あの先祖連絡石からストーカーしていたあげく俺の身体を奪うなんて…………あれはハイドの美味しいご飯でできた大事な身体なんですけど!』
まんまるの石からアリリオの怒りの声が聞こえるのはなかなか違和感がある。笑ってはいけない状況だが、少し可愛らしい。
『俺が宝石眼所持者を集めろって言われた、あの預言も絶対あいつです! あんな酷いことして、あんな…………』
アリリオの声がどんどん小さくなる。
『…………ごめんなさい。俺は、気づけなかった。貴方たちを魔法で守ると言いながら、一番危険にさらして……』
「……アリリオ」
沈んだ声が石から聞こえてくる。
『一番の裏切り者だと言われても仕方ないです、まさか、こんな』
「違うよ、アリリオは悪くないよ!」
一番最初に叫んだのはキョースケだった。
「アリリオ、僕が本当に皆を裏切った時も一緒にご飯食べようって言ってくれたもん! だから、だから絶対悪くない! アリリオが望んだことじゃないんでしょ! 僕、もうハイドの時みたいに間違った恨み方なんてしたくない! 僕はちゃんと自分の目で見たアリリオを信じるよ!」
『……キョースケ』
その想いは、皆同じだった。
誰がアリリオを裏切り者だなどと言うだろうか。根は真面目なくせになんだかんだ単純で、食べることが大好きな食いしん坊で、お人好しの彼を。
「早くお前の身体取り返そうぜ、そんな石じゃハイドの飯も食えねえだろ」
「……石でも食べられる何かを作ってみるか」
「ハイド、それは無理でしょ! ……あ、でもその石って水吸う? スープくらいならいけるのか……?」
「爆食皇子が爆食していなかったらそれは爆食皇子ではないだろう。サッキューにおまえの胃袋を取り返すぞ」
『テオ、ハイド、ニコラ、アドム……』
石に目は無いが、テオドールにはアリリオが涙目で皆の名を呼んでいるところが容易に想像できた。
『……セシリアさんは、いいんですか』
「私? どうして厭う必要があるの? 貴方はテオのお友達で、フラビオとは別人で、私ともお友達になってくれるんでしょう? ああ、セシリアで良いのよアリリオ」
『……!』
ありがとうございます、とアリリオの声が連絡石から漏れる。
初恋を一途に追い一番最初に手を取ってくれたニコラウス、百年前を共に過ごし再びこの時代で絆を深めたハイドとアドム、自らの憎しみを乗り越えて真の信頼を学んだキョースケ、そして石になってしまったが変わらぬ親友であるアリリオ、百年を孤独に生きてやっと再会できた実姉セシリア。ここから七人での旅が始まる。アリリオの身体を取り戻し、旧文明の残骸が起こそうとしている悲劇を止めるために。
「早く雪山を降りようぜ、姉さんも。義兄上が待ってる」
テオドールがそう言って、小屋を出る。吹雪は止み、空はすっかり明るくなっていた。
「! …………義兄ですって?」
セシリアの瞳が黄金に光る。
嫌な予感がする。本当の嫌な予感、というよりは面倒ごとになりそうな予感だ。
「おい、どうしたんだよ」
「行きましょう。エドゥアルトとか言ったわよね? 挨拶しないと。テオの『姉さん』ですって」
「は? ちょ、義兄上に変なことすんなよ!」
『そうですよ、エドゥアルトさんは敵じゃないです!』
「つべこべ言わないでちょうだい、挨拶するって言ったらするの!」
セシリアは連絡石を持ったまま、テオドールの腕を引っ張っていった。
「あーあ、可哀想なエドゥアルトさん」
「ふ、シンパイするなちび。旦那なら気にしないだろう」
「………………まてよ、ヒノモトのミソシルならとろみも少ないし石でも吸えるのでは……」
「ハイド、まだそれ考えてたの!?」
七人分の賑やかな声が雪山を降りていく。
これから、フラビオがどうやって百年前の再演を果たすのかわからない。ただ、きっとかつてのように誰かを一人置いていったり、絶望に未来を失ったり、誰かの命の灯火が消えたり……そんなことは無いと、テオドールは確信していた。
あの時とは違う。七人で、ここまで来ることができたのだから。




