第63話 最愛の黄水晶
「………………オ、テオ!」
ニコラウスの声がテオドールの鼓膜を震わせる。ゆっくりと目を開けると、泣きそうな顔でこちらをのぞき込むニコラウスが見えた。
「……ニコラ」
「良かった! テオ、びっくりしたんだよ! 大丈夫?」
テオドールはあふれる涙を拭った。
「…………ああ、全部、思い出したんだ……」
「………………やっぱり。あの流れ星は砕けた魔宝石の欠片だったんだ。ハイドとアドムも言ってたんだ、だいたいのことは二人から聞いたよ。ナジフの手記に書いてあったのは本当だったんだね」
「そうだな……で、ここは?」
テオドールが辺りを見渡すと、そこは雪山ではなく建物の中だった。まだ記憶の中にいるのかと不思議な気持ちになったが、すぐにそこが倒れる前に見たぼろぼろの小屋だとわかった。
「おう、起きたかアメテュスト」
「テオドール!」
アドムとハイドが駆け寄ってくる。ハイドの足元には相変わらずキョースケがぴったりくっついていた。
「おう……お前らは大丈夫か?」
「大丈夫だよ。まだらだった記憶がはっきりした。『デイヴィッド』が死んだ後に起こったことも……まだ少し混乱しているが、あれが真実なんだよな」
「ふ、おれは半分当たりで半分間違いだったな。初代当主の生まれ変わりなど信じていなかったが、確かにおれはナジフだったようだ」
「……テオ」
二人に続いて静かに名を呼んだのはアリリオだった。
「…………二人から聞きました。ごめんなさい、俺の先祖が、貴方たちに酷いことを……思っていたよりも、ずっと」
アリリオが泣き出しそうな顔で言う。
フラビオはそんな顔しなかった。それだけで、アリリオはフラビオの子孫とはいえども違う人間だとわかる。いや、最初からわかっていた。フラビオは「セオドア」を利用した人間、アリリオは「テオドール」の仲間であり親友だ。
「お前が謝る必要ねえだろ」
「うむうむ、家の名はそやつを語る一部でしかない」
「昔から言ってるな、それ……」
「でもアドムの言うとおりだ、オレたちにとって君は『フラビオの子孫』ではなくて『食いしん坊のアリリオ』だよ」
テオドールとアドムとの言葉に、ハイドもそう言って微笑んだ。
その時。
「……思い出してしまったのね」
悲しくて、美しい、雪のような声が聞こえた。
テオドールの視線の先に、黄金の蝶が現れ人の姿をとる。
「…………姉さん」
「まだ私を、姉さんと呼んでくれるの」
仮面をすっかり取った素顔。ところどころ皮膚が宝石の無機質な輝きを放っているが、間違いなくテオドールと、セオドアと同じ顔。
最愛の姉だった。
「ごめんなさい、貴方たちがここに来たとき、私の管理していた魔宝石の欠片が強い力で貴方たちの元へと帰っていってしまった。そのせいで貴方たちはあんな苦しみを思い出すことに……」
「姉さん!」
セシリアの言葉の続きを待たずして、テオドールはセシリアを抱きしめた。触れられる。届かなかった声が届く。セシリアは驚いているようだった。
「待たせてごめん、一人にしてごめん、魔女なんて呼ばれて、敵だと思っててごめん。全部思い出した。この時代で姉さんが時々会いに来てくれてたのも」
「……馬鹿ね、言ったじゃない。私は一人でも大丈夫だったって。百年大丈夫だったのよって」
「馬鹿はあんただよ! 大丈夫なわけねえだろ、俺は大丈夫じゃねえよ! なんでだよ……記憶がなかった時から、あんたも一緒に行こうって言ってたじゃねえか!」
ぼろぼろとこぼれ落ちる涙を止めることなどできなかった。
「……セシリア。おれとの約束を守ってくれたこと、感謝する。だがもう一人で背負わんでも良い。こうして記憶を取り戻した以上、おれたちもおまえのやり残したことにキョーリョクしよう」
「ありがとうセシリア、ずっと守ってくれていたんだな。オレが海へ身を投げた時も……一番最初に置いていって、すまなかった」
「ナジフ、デイヴィッド……」
黄金の瞳が、ゆっくりと潤んでゆく。
器としての百年の苦しみは、幾度も厄災として放出されていたはずだった。しかしセシリアの、個人の孤独は今やっと涙として決壊する。
「……ごめんなさい、私、私が、あんな計画を信じたから」
「オレも信じていたよ。信じていなかったところであの運命からは逃れられなかった」
「百年間よく頑張った。すまなかった、おれとの約束があったばかりに」
「姉さんのおかげで俺たちは今ここにいるんだぜ。泣いてもいいけど絶望すんなよ」
セシリアは今度はキョースケとアリリオ……そしてニコラウスを捕らえる。
「あの、ハイドのこと助けてくれて、三人のことこの時代に生かしてくれてありがとう。おかげで僕、皆に会えたから」
「先祖の計画に巻き込んでごめんなさい。そして俺も、何も知らずに……ここまで、導いてくれてありがとうございます」
「…………セシリア」
ニコラウスがセシリアに近づく。
彼もまた、セシリアと過ごした幼き日を思い出したのだろう。
「ごめんなさい、ニコラ。貴方は私をずっと追いかけてくれていたのよね。でも私こそが魔女だった。がっかりしたでしょう?」
「がっかり……そうだね。君のことを忘れてしまっていたあげく、一人で苦しんでいた君のことを助けられなかった俺自身にがっかりした。でも、また会えて嬉しいよ」
「…………ありがとう。あの頃、魔力をほとんど使って弱っていた私と出会ってくれて、ずっと私を追いかけてくれて、この時代でセオの最初の友達になってくれて。見てたのよ。貴方がこの子の手を取ってくれた日」
セシリアが静かに告げる。
「本当はね、私も貴方たちの輪の中に入りたかった。でも、私が貴方たちを苦しめたらその瞳の魔宝石がまた器として機能してしまうんじゃないかって。いくら貴方たちが自分を守りながら生きていけるように、溜まった呪いを吐き出す条件をつけたといってもね。しかも、その条件が貴方たちにとって残酷な方向に働いてしまった…………」
呪われた宝石眼。
厄災を起こし旧文明を滅ぼした魔女の産物。所持者の強い負の感情に応じて、苦しみを周囲に及ぼす呪い。
その本質は、ユートピア計画に利用された器だった。人の、帝国の苦しみを溜め込む器。そして、親友と弟を帝国に殺された少女のささやかな祈り。
せめてこの苦しみが、彼らを飲み込むことがないように。
苦しみの放出が、むしろ彼らを守ってくれるように。
それらは混ざって、異質なものとなったけれど。
「今からでも遅くねえよ、姉さん。一緒にいこう。姉さんのやり残したっつーことを皆でやり切ろう」
「そうです! 先祖の尻ぬぐいならどんとこいですよ!」
「俺もセシリアのためならまだまだやれるよ」
「今度こそ、完全にあの計画の残留物を消そう」
「うむ、また宝石にはなりたくないからな」
「僕も頑張るから! セシリアさん、ヴァイスヴァルトにおいでよ!」
六人の声が、孤独な魔女に、ツィトリンの所持者に、セシリアに届く。
「……ええ、ありがとう」
やっと、セシリアが笑った。
「ねえ、セオ…………いいえ、テオドール。貴方はこの子たちと一緒にいて、幸せ?」
「ああ。ここに姉さんが加わったらもっとな」
行こうぜ、とテオドールはセシリアの手を取る。魂の片割れを、やっと見つけた気分だ。
最愛の姉と、最愛の仲間……親友。
だが、悪魔は幸せの絶頂でやってくる。
「っ!」
アリリオの身体が崩れ落ちた。一気に緊張が走る。セシリアが五人を守るように身構えた。
「アリリオ!」
「………………は、ふはははは!」
白銀の瞳から、禍々しい光が放たれる。アリリオは宝石眼所持者ではないはずだ。だとしたら、これは一体。
そしてテオドールはこの高らかな笑い声に覚えがあった。
「フラビオ……っ」
「ははは、は……久しいですね、セオドア、ナジフ、デイヴィッド…………セシリア」
「…………貴方、まさか」
セシリアの顔が絶望に染まる。
皆の頭のなかに一つの結論が浮かんだ。フラビオ。滅びた旧文明の皇帝。セオドアたちを生贄にユートピアを築こうとした非道。そして、セシリアの言っていた「旧文明の残骸」……それが、フラビオのことならば。
「ああ、私の愛しいアリリオ。私の血を継ぐ者。私の……新たなる身体」
アリリオの身体で、アリリオの顔で、アリリオの声で、悪魔は笑った。




