第62話 姉の贈り物
視界が歪む。
テオドールは我に返った。見開かれた宝石眼からは涙がとめどなくあふれて流れていく。
目の前には、いつの間にかセシリアの姿があった。
「っ、姉さん」
全てを思い出した。
あの悲劇も、幸せだったはずの一年間も……姉のことも。
そうだ、自分はあの場所で死んだ。テオドールは百年前に自らが守り、自らの残した力で動いていた家でずっと過ごしていたのだ。
あの後のことも、ナジフの手記で知っている。残されたナジフとセシリアは約束をしたのだ。そして、その後ナジフも死んだ。
『私が生き残る。何年かかろうとも、あなたたちに再び命を灯すから。たとえそれがあなたたちにとっての生の呪いでも、このままお別れなんて嫌。私は世界を敵に回してでも、あの銀の悪魔の文明を終わらせて、あなたたちを蘇らせてみせる。今度こそ、幸せな世界に』
そのために百年間、姉は一人で戦っていたのだ。魔女だと言われても。
手を伸ばすが、テオドールの腕はセシリアをすり抜ける。まるでヒノモトでキョースケの母親に会ったときのようだった。
「セオ、デイヴィッド、ナジフ……大丈夫、すぐに助けるから」
「無駄ですよ、セシリア」
テオドールの背後から声がする。フラビオだ。セシリアは黄金に染まった瞳でフラビオを睨んだ。
「……騙していたのね、最初から」
「騙した? いいえ、嘘は言っていませんよ。あの石に魔力を注げと言っただけで、あの石が魔宝石とは言っていない。ああ、でもセシリア。あなたはやはり素晴らしい。器としての適性が桁違いですね……これも『生』の特性でしょうか。とにかく、あなたならずっと生きた器として働くことができる。セオドアも可能性はあったのかもしれませんが……何を思ったのか、自ら力を使い果たしたみたいですね。愚かなことです。魔宝石として使えるので構いませんが」
「セオを……私の弟をバカにしないで」
「おや、美しい顔を歪めるのはもったいない。そうだ、あなたを側室にしても良いですね。私の妻としてユートピアで暮らしませんか?」
「嫌よ、あの子たちのいない世界を幸せだとは思えない」
セシリアが三つの魔宝石を持って立ち上がる。
その瞬間だった。
「捕らえなさい、地下牢へ」
「!」
騎士団がセシリアを捕らえる。一瞬のことだった。魔法での拘束に加え、物理的な包囲。
彼女の悲痛な叫びが皇宮に響く。
「やめて! 放して!」
「……強情ですね。あんなに私を……帝国を、信じていたのに」
「こんなことされて信じるわけないじゃない! いや! 嫌よ! やめて!」
「哀れな女です……せめてこのまま、帝国のために『生』き続けてくださいね」
騎士の一人がセシリアを殴り、気絶させる。
「姉さん!」
「……っ、せ、お」
テオドールの声が届いていたわけではないだろう。だが、意識を失う瞬間セシリアが呼んだのは愛する弟の名だった。
さらに景色が変わる。地下牢だ。鎖の音、水の滴る音……その中央に、鎖と魔法で完全に捕らえられたセシリアがいた。テオドールは絶望に息を詰まらせる。
「……ああ、セシリア。もうあなたがたがあの場所で過ごした一年という時間は超えましたよ。そろそろ忘れませんか? 忘却の魔法も効かないなんて」
「何を言われても、あの子たちを忘れるつもりはないしこんな皇宮で過ごすつもりもないわ。あの子たちを返して。道具じゃないの」
「…………わかりました。そこまで言うのならば」
フラビオが含みを持たせて笑う。
嫌な予感がした。
「ほら、魔宝石ですよ。美しいですよね……上質な魔力が込められた、苦しみの器として機能し続ける宝石。でも」
三つの魔宝石に、フラビオが手をかざす。
「大きいと、不便です」
宝石にゆっくりとヒビがはいる。
ぴき、ぱき、と微かな音を立てて……それは、静かに砕けた。
「ああ、あ…………デイヴィッド……ナジフ……………………セオドア……!」
「あはははっ! 苦しいですか? 悔しいですか? 彼らは宝石と成り果て、砕けたのにあなたは生きている。生き続けなければならない。何年、何百年、あなたの力が消えて宝石と成り果てるまで。あなたが苦しめば苦しむほど、帝国の苦しみはあなたに吸収されていく。そういうシステムですよ!」
「…………っあ」
絶望に染まった黄金の瞳が砕けた宝石を見つめる。
フラビオは声高らかに笑い続けていた。テオドールはあの時のジキルへの感情によく似た冷たい怒りを感じていた。こんな人でなしが、優しい人間の生きる世界に共に存在しているとは。
「よかったですね、あの三人は早くに解放されて」
「………………フラビオ………………………………許さない」
セシリアの顔がひび割れて、黄金の宝石が根のように広がっていく。
地下牢が揺れる。鎖が、拘束魔法が、朽ちてゆく。
「狂ってるわ」
「……何をするのです?」
皇宮外では、暗雲が立ち込めていた。
作物は枯れ、空は光を失う。そして帝国中の魔力が、一点に吸収される。テオドールの姉は、その中心で血涙を流していた。
厄災だ。
「やめなさいセシリア!」
「死んで!」
絶叫の後、再び世界がゆがんだ。
目まぐるしく、まるで何倍もの速さで時が進んでいるような、何年分もの写真が一気に流れ込んでくるような情景がテオドールの眼の前で変わっていく。
旧文明は滅んだ。そして四人の犠牲の礼金により多くの財産を手に入れていた家々が、何年もかけて新文明を作り上げた。ナジフの意思を継ぎ商会から発展したムハンマド家、礼金を農業へと注ぎ込んだラザフォード家、後にラザフォードの分家となったロルバッハ家。ケインズ家から礼金を受け取ったリーフェンシュタール家。
今の、四大公爵家だ。
彼らは知らなかった。その裏で苦しんだ一人の少女の存在を。
そして彼女は、この百年で砕けた魔宝石の欠片を集めていたのだ。ときにフラビオの子孫と奪い合いながら、ときに溜め続けざるを得なかった苦しみを……「呪い」を厄災という形で放出しながら。
そして百年という時間の中で、宝石となった彼女の身体の一部も何度か欠けた。それでも、彼女は宝石の欠片を集め続けた。
最初に死んだデイヴィッドのため、ナジフとの約束を守るため。
弟を、今度こそ幸せな世界で生かすため。
ついに景色はイグリシアに戻ってきた。大きな時計台と、科学により発展した街の賑やかな様子。セシリアは赤ん坊を抱いて丘の上からそれを見下ろしていた。
自らが滅ぼした文明のあと、自分たちの犠牲を基盤に築かれた文明。新文明での厄災は彼女という器に溜まった呪いの放出だけでなく、この新文明への小さく大きな復讐だったのかもしれない。
「〜♪」
赤ん坊を眠らせるように、彼女は歌う。旧イグリシア語の歌だった。魔法のない世界で、古い昔の言語としてその歌が響き渡る。
穏やかなイグリシアの丘で……かつて双子が住んでいた家で。
「…………っ、姉さん」
涙とともに、気持ちがあふれる。
胸がいっぱいになった。全ての力を使い果たして死んだ自分に対して、姉は全ての苦しみを背負って生きていた。
そうして、百年の時を孤独に生きて、魔宝石に再び命を灯してくれたのだ。テオドールを、ハイドを、アドムを、この世界に生かしてくれた。
「ごめん、ごめん姉さん。一人にして、置いてって…………全部、全部背負わせて、ごめん、姉さん」
抱きしめようと伸ばした腕もまた、すり抜けてふれることができない。
セシリアが静かに赤ん坊に話しかける。
「…………デイヴィッドとナジフは、今頃優しい人に育ててもらえているかしら。ラザフォードが消息不明になっていたのは残念だけど……分家のロルバッハがあって良かったわ。どうせなら、元の家に近い場所で過ごしてほしいもの。だからあなたも私が育ててあげたいけれど……私は、呪われているから」
呪われている。ニコラウスにも言ったその言葉。
きっと、彼女は旧文明を滅ぼし生の苦しみの器と成り果てた自分を指してそう言ったのだろう。
「……貴方とナジフは全部魔力を使ったから、少しだけ復活させるのに時間がかかっちゃったわ。ごめんなさい……そして、また貴方と離れることになってしまうことも」
セシリアがおくるみに包まれた赤ん坊に、小さな紙を持たせる。
そこに書かれた名前は、旧イグリシア語で「セオドア」……旧プレンシア語では「テオドール」と読む名前。
「行く先は貴方の嫌いなリーフェンシュタールだけど、少しだけ我慢してちょうだい。あの悪魔の残骸を全て消して、今度こそ貴方たちを苦しめるものがない世界にしたら……そして、私がこの身を蝕む苦しみに勝つことができたら……必ず、迎えに行くわ」
赤ん坊が……かつてのテオドールが、セシリアの魔法でふわりと宙に浮かぶ。
宝石ではない、かつてのターコイズブルーの瞳に姉、あるいは母を映して赤ん坊は手を伸ばす。
「愛してる、セオ」
「姉さん」
テオドールの声が、手が、重なる。
黄金と紫の光が、全てをつつみ込んだ。




