第60話 ひねくれもの
「!」
セオドア・ケインズは目を覚ました。奇妙な夢を見ていたのだと思う。一瞬、何故自分がここにいるのか不思議に思ってしまった。しかしよくよく考えてみれば家で眠ったのだから家で目覚めるのは当たり前のことだ。なのに、知らない所にいるような心地がするのは何故だろう。
不思議な気持ちで部屋を出れば、声をかけられた。
「おはよう、セオ……どうしたの? 顔色が悪いわ」
「…………姉さん」
長いブロンドの髪に、ターコイズブルーの涼やかな瞳。全部セオドアと同じ。間違いなくセオドアの姉、セシリアだった。そのはずだ。違和感を感じるのは気の所為だと自分に言い聞かせる。
「嫌な夢でも見たの?」
「…………」
セオドアはその問いに「うん」とは答えることができなかった。思考が徐々にはっきりしてくる。
スバニア暦一九二一年、イグリシア。セオドア・ケインズはこの双子の姉と二人でここで暮らしていた。
この家はもともと、ケインズの本家リーフェンシュタールで養えなくなった存在を「保護」するための家だ。二人の両親はその対象で、だからセオドアは貴族というものが嫌いだった。自分を守ることしか考えていない、傲慢な存在。もともと同じ血筋だった人間すらも見放すリーフェンシュタールも、民を放って豪遊する他の貴族も、時々街で姉に色目を使ってくる男共も、セオドアは皆嫌いだった。
なのに。
「今日は皇帝陛下の所へ行くんだから、早く支度をしましょう。ね?」
そうだ、皇帝。
セオドアとセシリアは皇宮へ赴かなければならなかった。通告が来たのは一昨日のこと。この帝国……スバニア帝国で最も魔力の強い人間として、二人は「選ばれた」。
正直、行きたくなかった。どうせ帝国のために働けとでも言われるのだろう。何が悲しくて憎い貴族どものために。
それでも、皇帝の命令は絶対……この帝国に住んでいる以上、逆らうことはできないのだ。
「さ、行きましょうセオ」
セオドアは、この美しく純粋な姉を守らねばならなかった。
☆☆☆
皇宮でセオドアとセシリアを待っていたのは皇帝の部下たる騎士団と、二人の青年だった。
一人は濃紺の髪に少し青白い肌、黒曜石のような瞳をした青年。もう一人は薄い紫の髪に褐色の肌、赤茶色の瞳をした青年だった。
セオドアは、この二人を知っているような気がした。
「はじめまして、オレはデイヴィッド・ラザフォード……君たちは?」
「私はセシリア・ケインズよ。こっちは双子の弟のセオドア」
デイヴィッドと名乗った青年とセシリアは穏やかに話し出す。もう一人の青年は興味がないといった様子で己の持つ金塊を弄んでいた。
そこに、誰かが扉を開く。
「……ラザフォード家の庶子デイヴィッド、ムハンマド商会の創立者ナジフ、そして……ケインズ家の双子、セシリアとセオドア」
凛とした声が響く。騎士たちが皆跪いた。セオドアたちもすぐに椅子を立ち、その声の主にひれ伏す。
銀の髪、銀の瞳。フラビオ・ビディエーリャ・スバニア……この帝国の皇帝その人だった。
「ああ、そんなにかしこまらないでください。私は確かにこの帝国の皇帝ですが、あなたがたはもう私の協力者ですから」
フラビオが微笑む。
その口から直接語られたのは帝国中から苦しみを無くすという計画、「ユートピア計画」についてだった。そしてセオドアたち四人は協力者として選ばれた、と。
「人の苦しみはいくつあると思いますか? ……一般には四つと言われますね。『生』、『死』、『病』、『老』。私はこの全てを帝国から消し去りたい。理想的な国を作りましょう。そのためにあなたがたに協力してほしいのです。簡単なことですよ。あなたがたにはこれから定期的にこの魔宝石に魔力を注いでもらう。私はあなたがたに住む場所と食べるものを用意する。もちろん礼金も……既にあなたがたの『実家』に送っています」
彼の従者が持っていたのは、見た目はありふれた石だった。曰く、魔力を注ぎ続けることで魔宝石として覚醒するのだという。
フラビオは宣言通り、セオドアたちに住居を与えた。セオドアが住んでいたイグリシア地区よりも首都に近い場所、プレンシア地区にある深い森の中にある家だった。ケインズ家よりはいくらか大きいが、その実寮のようなものだ。
「なんで共同生活なんか送らなきゃならねえんだ、ユートピアなんて幻想だ。だいたい、あんなの強制じゃねえか」
「セオ……」
「俺はさっさと寝るからな。姉さんもこんなよくわかんねえやつらと馴れ合うの、やめろよな」
セオドアはそう言って、いくつかある部屋の一つに入っていった。
「……おれも寝るとする。金を生まない関わりなどに意味はない」
リビングらしき大部屋には、セシリアとデイヴィッドだけが残された。二人は顔を見合わせる。
「ごめんなさいね、セオ……弟が、あんな態度で。帝国の計画に協力できるなんて光栄なことなのに」
「いや、無理もないよ。オレも急にこんなことになるとは思っていなかったし……きっと混乱しているんだろう。しばらく共同生活を送らないといけないのだから、これから仲良くなれると良いんだが」
デイヴィッドは困ったように笑った。
そこから、奇妙な共同生活が始まった。帝国のための計画。ある者は帝国に献身できることを喜び、ある者は不信感を覚えながらも皇帝の命令に逆らえず……セオドアはもちろん後者だった。
ユートピアなんて実現するはずがない。おおかた、いくら魔宝石を覚醒させたとしても大した効果が出ずに終わりだ。だが、結果さえ出れば皇帝も満足するだろう。セオドアはそんな軽い気持ちで、この計画から逃げることはなかった。
「おはよう、セオドアだったよな。朝ご飯を作ってみたんだ。よかったら君も」
「いらねえよ、他人の作ったものなんか食わねえ。それにラザフォードって、お前貴族だろ。俺、貴族嫌いなんだ」
セオドアにとって、この計画が帝国を救うと信じているデイヴィッドやセシリアといるのは苦痛だった。セシリアは実姉だ、ユートピア計画が成功すると信じている彼女を真っ向から否定する気にはなれなかった。しかしデイヴィッドは本人が貴族であることも相まって、セオドアにとって最も不愉快な人物となっていた。
貴族のくせに善人ぶるなよ。
何度そんな言葉を言っただろうか。そのたびにデイヴィッドは困ったように笑うのだった。
一方、ナジフといるのは楽だった。ナジフは金にしか興味がない様子だったからだ。利益を生まない、無駄なことはしない。ユートピア計画だって礼金が出たことには満足していたものの、信じてなどいないようだった。
「コーテーの言うことはわからん。どうせそのうち飽きるだろうが」
まさにセオドアと同じ意見だった。だが、残念ながらセオドアは金持ちも嫌いだった。
そんな関係が変わったのは、ナジフがデイヴィッドとセシリアと話すようになってからだった。幾度か魔宝石に魔力を注ぐために皇宮に行き、その儀式にも慣れてきた頃。
「そう。それでね、イグリシアには大きな時計があるの」
「へえ、行ってみたいな。実はラザフォードの本家もイグリシアにあるんだ」
「アラブリアも良いところだぞ。金ぴかの工芸品もたくさんある」
「ふふ……ナジフは金ぴかが好きなんだな」
「貴方ってその話ばっかりだわ。他に何か無いの?」
「失礼な、他にもアラブリアの良いところはある。アラブリアは…………暑い」
楽しそうな声、楽しそうな顔。
セオドアだけが取り残されているようだった。大嫌いな貴族と金持ちが、姉とにぎやかにとりとめもない話をしている。それが猛烈に腹立たしかった。
善人ぶる貴族。金にしか興味がないと思っていた商人。それが、自身の姉と友達ごっこをしている。
腹立たしくて、不愉快で…………少しだけ、羨ましかった。
あるとき、ナジフがセオドアに言った。
「セオドア、随分デイヴィッドを毛嫌いしているようだが……大事なのは人の中身だぞ。家の名はそやつを語る一部でしかない」
わかっていた。
でも、そんな考え方は捻くれたセオドアにとってはあまりにも真っ直ぐ過ぎて、眩しすぎた。
「お前だって、最初は馴れ合う気なんかなかったくせに」
セオドアはそう吐き捨てて、家を飛び出した。
信じるもののない世界で、唯一の光であった実姉すらも突然現れた大嫌いな存在たちに取られて、セオドアにできるのはそれぐらいしかなかったのだ。




