第59話 取り戻せ
冷たい風が、全てを拒むように吹き付けてくる。
雪山の麓……まさに立ち入り禁止区域の一歩手前までテオドールたちは来ていた。全員しっかり防寒具を身につけ、温かいお茶を持たされている。
「……本当に気をつけて。何かあったらすぐに呼ぶんだよ。はぐれないようにね。それから」
「大丈夫だよ義兄上、絶対戻ってくるからさ」
テオドールがそう言って笑う。
旧文明時代の魔力が濃く残る雪山。そこに何があるのか、テオドールはわからない。しかし魔女……セシリアがいるような気がしてならなかった。百年間一人で孤独と戦っていた彼女のことを、ついに救うことができるかもしれない。
ナジフの手記に綴られた真実は、テオドールたちにとっての「魔女」の立場を変えた。それは憎むべき呪いの源ではなく、孤独に友の復活を願った一人の少女だった。ハイドがデイヴィッドの記憶を持つように、テオドールはセオドア、アドムはナジフと同じ存在であるのならば。記憶を取り戻した時、テオドールはセシリアに何を思うのだろう。
「エドゥアルトさんはここで待っててくれるんですか?」
「もちろん。立ち入り禁止区域に入ったことについて根掘り葉掘り聞かれても困るだろう? 僕がここにいれば誰か来ても追い払える」
「……ありがとう、義兄上」
エドゥアルトが、ここで待っていてくれる。
ジェンティアが、ネイプルで無事を願ってくれている。
まだ信用し切ることはできていないが、ジキルがヒノモトで調査への協力をしてくれている。
なにより、一緒に行くのは旧文明に詳しい帝国学校の異端児と旧皇家の末裔、ヒノモトの神童、そして百年前を共に過ごしたのであろう宝石眼所持者たちだ。
「行ってくる」
「……行ってらっしゃい。必ず皆で帰ってくるんだよ」
その言葉に、皆強く頷いた。
立ち入り禁止の看板にかけられたロープをくぐり抜け、一行は雪に足を踏み入れる。
目の前はまさに白銀の世界。遠く向こうは何も見えない。この先に何があるのかもわからない。ここはまだ問題ないが、もう少し登れば雪も酷くなるだろう。とにかくはぐれないように、皆ヒノモトのダンゴのようにまとまって歩く。
「魔力、ねえ。何か感じるか?」
「俺は感じますよ。ハイドも多分感じているんじゃないでしょうか」
「うん。向こうから感じる…………あれは何だ?」
遠く白い景色の向こうから飛んできたのは、黄金の蝶だった。それはテオドールの鼻先に止まる。
「蝶……」
『次は雪山で会えるように……私も少しだけ、手伝うわ』
初めて聞く、けれど聞き慣れた女性の声が聞こえた気がする。
セシリアだ。テオドールは直感的にそう思った。蝶はテオドールの鼻先を離れ、ゆっくりと舞う。
「…………ついてこいってことか?」
「そんな気がする。行こう」
蝶の軌跡が黄金の光となり残る。そのとおりに進めば間違いはないのだろう。白いだけの雪山で、黄金の光は何よりも頼もしい道しるべとなった。
「セシリア……会えるかな、今度こそ」
「会えると思うぜ、絶対」
「ところで……この魔力の源は彼女だけなんでしょうか? それにしてはあまりにも強すぎる気が」
アリリオの問いに、キョースケと手をつないだハイドが答える。
「多分、彼女のものだけではないはずだ。言いようがないが、もっと……引かれていくような感覚がある」
「ジシャクのようなものだな。おそらくこの向こうに『おれたち』もいるのだろう」
「どういうこと?」
「一部なのか欠片なのか、はたまた百年前のやつらが残した魔力か知らんが、当時の残り香があるのは確かだろうな……そういうことだろう、ザフィーア」
ハイドはこくりと頷いた。
自分たち……あるいは、百年前の自分たちが残した何かがある。その事実はまさに今『真実』に近づいている実感を強くした。
セシリアは何をしているのだろう。ナジフの手記を読む限り、彼女の目的はかつての友を蘇らせること……だとしたら、テオドールたちがその器とされて上書きをされる可能性もあった。現にハイドはセシリアに助けられた後、その記憶がデイヴィッドとしてのものに変わってしまっていたのだから。
もし、セシリアが「テオドール」と敵対するとしたら……。
そんなことを、考えないこともなかった。だが、テオドールはどうしても彼女が敵だとは思えなかった。なんてことはない、ただの勘だ。
テオドールが知っているのは、ナジフの手記の中のセシリアと彼女がケインズの家にあの文字を残したという事実、そして親友の初恋が彼女であるということだけだから。
「…………もし俺らが百年前の記憶ってやつを思い出して、今の記憶をきれいさっぱりなくしちまったら……ニコラ、アリリオ、キョースケ。お前ら、殴ってでも思い出させてくれよな」
「当然! でも三人も頑張ってよね。特にハイドなんか一回思い出せてるんだし!」
「わかっている。少なくともオレは忘れないと誓おう」
「ふ、ザフィーアが忘れないのにおれが忘れるわけなかろう」
テオドールも同じ気持ちだった。この雪山で「セオドア」の記憶がテオドールを飲み込もうとしても、セシリアがどれほど「テオドール」を否定しても、負けない自信がある。
黄金の蝶はゆっくりとテオドールたちを導いた。蝶の近くにいると、少しだけ寒さが和らぐ気がする。
そうだ、セシリアが敵だとしたら……過去の三人の復活だけを目的とするならば、本来関係のないはずのニコラウスやキョースケ、まして復讐の仇の子孫たるアリリオは排除されてもいいはずだ。それがないということは、彼女はそんな単純に敵と決めつけられる存在ではないということだ。
「この向こうにセシリアがいるのかな。それとも……」
「ま、またジキルみたいなのがいたらどうします? ちょっと怖いような気もします」
「そんなのいたら今度こそ刺す」
「ブラックジョークがうまくなったなちび」
ぷくくと笑うアドムに、「からかわないでよ」とキョースケが言い返す。
ジキルの裏にいた存在……おそらくナジフの手記にあった「悪魔」がまた目の前に現れたとしたら。その時には本当にキョースケが刺してしまいそうだ。テオドールもそれを止められる自信がない。
「あ……テオ、あれ」
ニコラウスが指さした先には、小さな小屋があった。
ぼろぼろの小屋だった。どこかヴァイスヴァルトのあの家に似た雰囲気の、しかしあの家よりも小さな建物。蝶は真っすぐにそこに向かっていく。
急に、吹雪が強くなった。
「うわっ」
「わあ!」
ごうごうと、風と雪の音が響く。叩きつけるような雪に、皆思わず目を閉じた。
「おい、飛ばされてねえか! 特にキョースケ!」
「大丈夫! 僕ハイドにしがみついてるから!」
「目が開けられないです、皆いますか?」
ますます身を寄せ合うテオドールたちだが、それは一瞬のことだった。すぐに勢いが弱くなると、薄暗かった空に光が差す。雪を降らせる雲のすき間から、ひときわ強い光が現れた。
流れ星、という星があるらしい。それは昔義父に教えてもらった空の話だった。動く星。空を流れ行く光。
今テオドールの目に映るその光は、流れ星によく似ていた。わずかに光が差す、雪の降る空を流れる三つの光。
赤と、青と……紫。
「! テオ、ハイド、アドム!」
ニコラウスが叫ぶ声が聞こえる。しかしテオドールは動けなかった。
この光を知っていた。懐かしいような、悲しいような光。
紫の光が、テオドールの目の前に落ちてくる。それはそこで止まらなかった。そのまま、目の中に、飛び込んでくる。
「テオ!」
その言葉が、最後だった。




