第57話 覚悟を胸に
セシリアを探す。その作戦を立てるため、一行はヴァイスヴァルトに集まっていた。エドゥアルトも何やら大量に資料を持って机についている。
「いやあ、本当に良かった、ネイプルから連絡してきたテオが『ハイドが知らない奴になった』って慌てていたときはどうしようかと思ったけどね」
「な! 義兄上! やめてくれ!」
「テオ、冷静ぶってたくせにそんな報告してたんだ」
ニコラウスがにやにや笑う。テオドールはその頭に手刀をお見舞いした。
「いてっ」
「……エドゥアルトさん、心配かけてごめんなさい。船も、借りてたところであんな……」
「大丈夫だよハイド君。ジキルが悪いんだから」
「義兄上、ジキルの扱い雑だよな」
「同級生だしね。それに、皆に怖い思いをさせたんだからこれくらいは、ね?」
さすが義兄上、とテオドールは拝んだ。
ハイドもほっとした様子だった。その膝の上に座っているキョースケが不思議そうにエドゥアルトの前に積まれた資料を見つめる。
「それで、エドゥアルトさんが持ってきてくださったこの資料……何ですか?」
「これは北の雪山の記録だよ。君たち、気になっていただろう? ジキルにも手伝ってもらって集めたのさ」
「パシリにされてる……」
あのロルバッハ公爵が自分の義兄の手となり足となり働いている様子を想像して、テオドールは思わず笑ってしまった。ジキルも存外、面白い人間なのかもしれない。なんて、ハイドがこうして笑っていられているからこそ言えるのだが。
「それで、雪山だけどね。あそこがなんで危険区域か……魔力が濃く残っているからなんだ」
エドゥアルトが資料を見せながら説明してくれる。
雪山からは謎の魔力が残留しているらしい。それが魔女……セシリアに由来するものなのか、旧皇帝に由来するものなのかはわからない。しかし一つだけ言えるのは、雪山に行った人間が一人残らずそこでの出来事を覚えていないことだ。
「ジキルは、『魔力というものは新文明の人間の神経に作用し、脳に記憶障害を及ぼす』と言っていた。ツィトリンの所持者の魔力でハイド君が助かったなら、記憶を失っていたのもそれが原因だろうね」
「なるほどな。ニコラが初恋の記憶を断片的にしか覚えてないのもそれか」
そういえば、以前アリリオの言っていたはずの「厄災は魔宝石を巡る旧皇家と魔女との戦い」という情報をすっかり忘れていたのを思い出す。アリリオもまた魔法が使える存在だ。他にも彼の言ったことを忘れてしまったことがあったのかもしれない。
毎日一緒にいるから問題無いが、もしハイドのようにアリリオのいない期間があったら……アリリオのことを、忘れてしまうかもしれない。そう思うとぞっとした。
「北の雪山……そこにツィトリンがいるカノーセーがあるんだな、旦那?」
「うん。危険だけど…………君たちは、行くんだろう?」
エドゥアルトの言葉にテオドールは頷いた。
全員の意思は固かった。危険でも、何でも、とにかくツィトリンの所持者を迎えに行かなければ。百年も孤独にかつての仲間の復活を願った少女。ニコラウスの初恋。テオドールを探していた人。
「僕は、君たちを止められない。でもせめて雪山のふもとで待っているよ。君たちが無事に戻ってこられるよう、あるいは何かがあればすぐに救助ができるように」
「義兄上……ありがとう」
「良いんだよ。でも、そうだ。テオ。一つだけ約束してくれるかな」
どこか悲しそうな顔で、エドゥアルトはテオドールを見つめる。
「もし君が『セオドア』の記憶を取り戻しても、僕の義弟でいてほしい」
「……そんなの、当たり前だろ。俺は義兄上の義弟だよ。セオドアだろうがテオドールだろうが、な」
その気持ちに偽りは無い。どんなに悲惨な、あるいはどんなに幸せな過去の記憶を取り戻したとしても。今のテオドールはテオドールであって、エドゥアルトの義弟であることは変わらないのだ。
「ありがとう、テオ。君たち皆が無事に戻ってくることを祈って……はい、これ」
エドゥアルトが指を鳴らす。
ヴァイスヴァルトの玄関から、大量にリーフェンシュタール家の使用人が入ってきた。大きな荷物を持って。
「な、なんだこれ」
「防寒具だよ。上着、手袋、マフラー……風邪を引いたら困るからね。あ、あとマッチも持っていこうか。温かいお茶も用意させよう。それから」
「十分! もう十分だ! ありがとう義兄上!」
「そうかな? まだまだ必要だと思うけど」
テオが言うなら良いか、とエドゥアルトは使用人たちに荷物を置かせて帰らせる。
「雪山までは馬車を出そう。いつ出発するんだい?」
「…………どうする?」
「とりあえず三日後くらいが妥当じゃない? ハイドもまだ本調子じゃないでしょ。アドムが言ってた」
「余計なことを言うんじゃないメガネ」
「本調子じゃない……うん、そうだな。まだ少し慣れていないから、少しだけ休ませてくれると嬉しい」
以前の彼なら「オレは大丈夫だよ」と言っていたところを、素直に休みたいと言えるようになった。大きな成長だ。
そうして、三日後の雪山行きに備えて、テオドールたちは情報整理も兼ねたジェンティアへの報告を行うことにした。
「義兄上はジェンティに会ったことあったっけか?」
「直接は会ったことないけれど、アーラファミリーのボスのお嬢さんだろう? ヒノモトの復興支援を通して知ってるよ」
いつも通り、アリリオが出してきてくれた連絡石に声をかける。
「ジェンティ? 聞こえるか?」
『…………はーい! テオさんですよね? ちょっと待っててくださいね!』
変わらない明るい声。賑やかな声や人々の足音を聞きながら待っていると、少ししてからジェンティアの声が再び聞こえてきた。
『お待たせしました!』
「よお、ジェンティ。経過報告だ」
『随分早いような……もしかして、デイヴィッドさんのことですか?』
「それもある」
テオドールは石をハイドのほうに寄せた。急に話すよう促されたハイドは何から話せば良いのかわからない様子で、何か話そうと口だけ開いて……それから、ついに声を発した。
「あの、ジェンティア。オレだよ、デイヴィッド……今は、ハイドだ」
『! 記憶、戻ったんですか!』
「うん、ありがとう。君のおかげでテオドールたちにまた会えたんだ」
『……よかった、本当によかったです。私、皆さんが帰ってからずっと気になってたんですよ! でもまさかこんなに嬉しい報告が聞けるなんて!』
心から喜んでくれるジェンティア。良い友人を持った、とテオドールはつくづく思った。本当に、この旅で出会った仲間は皆かけがえのない存在だった。
「で、報告には続きがあるんだけどさ。俺たち、北の雪山に行くことになったんだ」
『…………北の雪山? まさか、あの禁止区域の?』
ジェンティアの声が曇る。
心配してくれているのだろう。それは痛いほどによくわかっていた。彼女は優しい娘だ。北の雪山に行くなんて知れば気が気でないだろう。
事実、彼女は真剣な声色でテオドールに問いかけた。
『危険ですよ、あそこはマフィアでも避ける……本気ですか?』
「ああ、わかってる。でも俺らは行かなきゃなんねえからさ」
『………………テオさん』
彼女は何かを言いかけて、しかしその言葉を飲み込む。
『……お願いですから、必ず戻ってきてくださいね。またチェーロに来てくださいね。貴方たちは私の、大事なお友達ですから』
「もちろんだ、約束する。そんで、今度はジェンティのこともヴァイスヴァルトに招待するからさ。大丈夫、皆もいるし、俺の義兄上……リーフェンシュタール公爵も、ふもとにいてくれるから」
危険区域、雪山。
そこに誰が待っていても、どんなことが起こっても、テオドールには共に行く、あるいは待っていてくれる、親友と家族がいる。
『どうか、気をつけて。貴方たちの呪いが解けて、笑ってまた会えることを祈っています』
ジェンティアがそう言って、エドゥアルトもまたそれと同じ思いでテオドールに微笑んだ。




