第54話 真実
図書館から帰ってきたテオドールとニコラウスを出迎えたのは、ひどく慌てた様子のキョースケだった。
「ニコラウス! テオドール! ねえ、僕たち、僕たち前提から間違ってたのかもしれない!」
「は?」
「……どういうこと? 落ち着いて話して、キョースケ」
キョースケは肩で息をして、二人をダイニングに座るよう促した。そこにあったのは古びた冊子。隣に置いてある紙にはキョースケが翻訳した跡が大量に残っている。
テオドールはそれを見つめた。キョースケはかなり頑張ってくれたみたいだ。さすがニコラウスが褒め称えただけのことはある。苦労しながらも、紙をインクで真っ黒にしながらも、おそらく屋根裏で見つけたこれを翻訳してくれたのだろう。
しかし一体これは何なのか。ニコラウスが険しい顔でそれを見ているのを横目に、テオドールは椅子に座った。
「ちょっと、アリリオとデイヴィッドとアドムも呼んでくる! 待ってて!」
ばたばたとキョースケは階段を上がっていった。
「…………これ、ナジフの手記? なんでここに? まさか屋根裏部屋にあったの? しかも…………ページが」
「破られてねえのか? おいおい、とんでもねえもん見つけたじゃねえかあいつ」
かつて、ニコラウスが翻訳したナジフの手記の中に「生贄」という語があったことをテオドールは思い出す。ここにある手記が完全なものならおそらくその内容もわかるはずだが、「前提から間違っていた」というのは一体どういうことなんだ。
心臓の鼓動が早まる。絶望的な内容だったら? もう何もかもが手遅れだったら?
いや、きっとそんなことはないはずだ。全てが手遅れなら、キョースケは多分泣きながら飛びついてくる。今の彼は慌てているが、同時にその瞳にどこか希望を映していた。
「ごめん、今から話す!」
三人を引き連れてキョースケが戻ってくる。
アリリオもデイヴィッドも不思議そうな顔でやってきたが、相変わらず冷静なアドムの様子はテオドールを少し安心させた。
「キョースケ、一体どういうことですか? 前提って……そもそも、どこの前提のことか」
「すごい、たくさん書いてあるな……ナジフ、何を残したんだ?」
「おいちび早く話せ。どこから間違っていたのか、な」
「うん、それを今から説明するね。とりあえず座って。希望半分絶望半分かな」
「はあ?」
全員が座って、やっと話が始まりそうだ。キョースケは深呼吸した。
「…………ニコラウスが最初に翻訳した、ところどころ欠けているナジフの手記。そこにあった単語……おそらくナジフたちを呪った存在。ニコラウスは、それを『魔女』と翻訳した。旧文明を滅ぼしたとされるのが魔女だったからだよね」
「………………まさか」
ニコラウスの最初の翻訳は、ページの欠損により論理が跳躍した手記をなんとか繋げた……ほとんど無理やりの意訳だった。それゆえに、欠けたところはある程度想像や背景で補わなければならず、自らの知識から手記を独立させることができなかった。
だが、その手記を完全な状態で、余計な知識を持たないキョースケが純粋に翻訳するとどうなるのか。
その単語は、「魔女」とは違う。
「あの単語の意味は、本来『悪魔』……単純に考えれば、魔女とは別物だ」
「!」
ダイニングが静まりかえる。
確かに、「悪魔」と「魔女」は別物だ。旧文明崩壊について考えたとき一貫して悪とされたのは魔女のみだったが、この手記でその前提が覆ることになる。
「…………まさか、そんな前提から? 俺としたことが、こんな翻訳ミスをするなんて…………」
「いや、無理もないよ。僕だって最初は同一視しちゃってた。あくまでも手記の欠けたページが揃っていたから気づいただけ。とにかく、続きがあるんだ。……いっそ、ここで全文読み上げちゃう? ……いや、でも」
「もったいぶるなよ、なんかまずいことが書いてあるのか?」
キョースケはデイヴィッドとアリリオを見た。
「? デイヴィッドはわかりますけど…………俺ですか?」
アリリオがますます困惑する。デイヴィッドのことを気にするのはよくわかる。友人の手記だ。デイヴィッドのことも書いてあるだろうし、デイヴィッドの意識が思い出すことを拒んだ『ユートピア計画』のことも触れられているかもしれない。
だが、アリリオ……ということは、旧皇帝に関係することだろう。
「……これから言うことは、多分アリリオを傷つけることになる……それでも、良い?」
本人ももう予想がついてしまったようだった。少しだけ悲しそうな表情をして、ふるふると首を横に振ると、強い瞳でキョースケを見る。
「大丈夫です。俺は美味しいものと、貴方たちさえいればすぐに元気になりますから」
「…………そっか、そうだよね。デイヴィッドは? 大丈夫?」
「うん、少し怖いけれど……ナジフが何を残したのか、知りたい。この時代にいないならなおさら」
二人は覚悟を決めたようだった。
二人だけではない。この場にいる誰もが今までにない緊張感の中で各々の覚悟を決めていた。それは、己の存在を揺るがす何かを知る覚悟。ずっと追い求めていた真実を知る覚悟。過去に向き合う覚悟。
「じゃあ、読み上げるね。疑問は後で考えよう。いくよ……『ここに真実を記す。————スバニア暦一九二二年、ナジフ・ムハンマド』」
ナジフの手記。その中身が、ついに語られる。
完全な状態で、この白日のもとに。
☆☆☆
ここに真実を記す。
————スバニア暦一九二二年、ナジフ・ムハンマド
デイヴィッドもセオドアも死んだ。全てが間違っていたのだ。願わくばこの手記が未来の私の役に立つように。
皇帝の計画は、四つの魔宝石ーーグラナート・ザフィーア・アメテュスト・ツィトリンに帝国中の苦を閉じ込めるというものだった。かの魔宝石の原石は魔力を込めることで覚醒し真の宝石となると聞いた。私とデイヴィッド、セオドア、セシリアはその計画の協力者として招集された、帝国の中でも魔力の強い存在だ。この一年ほど私たちは共同生活をして、定期的に魔宝石に魔力を注いでいた。
違和感に気づいたのは私たちの瞳が魔宝石と同じものへと変色し始めてからだった。
果たして、この結果は恐ろしいものであった。最初にデイヴィッドが死んだ。最後に見たその身体は、ところどころ皮膚が青の宝石になっていた。次にセオドアが行方不明となった。その後すぐに、共に住んでいたあの家のあった森の奥で、周囲の枯れた花と共に紫の宝石となって死んでいたのを見つけられた。
私の身体は老い始めていた。皇帝はグラナートに老、ザフィーアに病、アメテュストに死、ツィトリンに生の苦しみを込めた。
ああ、なんと残酷なことか。あの悪魔の儀式とは、この苦しみが私たちの身を喰らいつくして初めて完成するものだったのだ。私たちは生贄であったのだ。
人の苦しみは呪いである。そう、呪いだ。これは呪いなのだ。私はこの呪いに蝕まれて死ぬ。
しかし私とセシリアは、このまま終わるわけにはいかなかった。セオドアとデイヴィッドの亡骸を……美しき宝石となり銀の悪魔に奪われてしまったかつての親友を、必ず取り戻すと決めた。セシリアはこう言った。
「私が生き残る。何年かかろうとも、あなたたちに再び命を灯すから。たとえそれがあなたたちにとっての生の呪いでも、このままお別れなんて嫌。私は世界を敵に回してでも、あの銀の悪魔の文明を終わらせて、あなたたちを蘇らせてみせる。今度こそ、幸せな世界に」
この奇跡が、叶うのならば。どうか私の愛しい子孫よ、私よ、覚えていておくれ。ナジフ・ムハンマドは悪魔の呪いによって命を落としたと。しかし私の赤い瞳はきっと蘇ると。




