第51話 帰路
列車の中で、テオドールはデイヴィッドに色々な話をした。
この瞳は旧文明……デイヴィッドたちが生きていた時代を滅ぼした存在が生み出したものであると。デイヴィッドの友人は、これに関わるかもしれないと。自分たちはこの宝石眼のことを知るために旅をしているのであると。
ハイドの話は、できなかった。今の「ハイド」と「デイヴィッド」がどういう状態なのか、はっきりとはわからない以上、下手なことを言って刺激を与えるわけにはいかなかったからだ。
本当は言ってやりたかった。「忘れないで」と言ったくせに、自分が忘れるとは何事だと。帰ってきてほしい、と。
だが、目の前にいるのは少なくとも「デイヴィッド」の記憶を持つ存在だった。
「……テオドール君たちはずっと旅をしているんだな」
「おう。先は見えねえけどさ、もう少しで何かわかりそうな気もするんだ」
テオドールが笑うと、デイヴィッドも微笑んだ。
その姿を横目で見ていたアドムがずいと身体を寄せてくる。
「時にザフィーア、おまえ身体に変わったことはないか」
「え? 無い、が……あ、知らない傷が増えていたのは気になったかもしれない」
「ふむ、なら体調そのものにはおかしなところは無いな」
「うん。どうして?」
「…………おまえはドンカンそうだからな」
なんだそれ、とデイヴィッドが笑う。
アドムも複雑な気持ちを持っていることだろう。だが、ヒノモトで語った「モーソー」の通り、彼は真っ先にその身体を心配した。もう一つの問い……「まだ共犯者でいても良いか」というのはまだ聞けないが、デイヴィッドの笑顔は十分その答えになっている気がする。少なくともテオドールはそう感じた。
「ねえデイヴィッド、その傷……痛く、ない?」
「痛くないよキョースケ君。古い傷だったみたいだし、一つ新しいのもあったみたいだが、それも塞がってるものだったし」
デイヴィッドは知らない。目の前にいる少年こそ、その傷を作った本人であることを。
キョースケはかつて己が刺した場所にそっと手を当てる。
「そうそう、丁度この辺りだな。そんな顔しないでくれ、キョースケ君は優しいな」
「………………」
今にも泣き出しそうな顔でキョースケはその場所を見つめる。
急に重くなる空気に、デイヴィッドは戸惑っていた。キョースケを見て、それからテオドールたちを見る。
誰もが何と言えばいいのかわからないまま、少しのあいだ沈黙が続く。しかしそれは突拍子もない言葉で破られた。
「……ところで、デイヴィッドは甘いものとしょっぱいもの、どっちが好きですか?」
「唐突だな!?」
アリリオがキョースケの頭を撫でながらデイヴィッドに尋ねる。それはアリリオなりの気遣いであった。多分彼も、キョースケとデイヴィッドの残酷なすれ違いに耐えられなかったのだろう。だからと言って唐突に食の話を持ち出すあたりはアリリオらしい。
「オレは……そうだな、しょっぱいもの、が好きかな。甘いものも好きだけれど、あまりたくさんは食べられないから」
「そうなの?」
「まさかおまえ、胃が悪いのか?」
「違う違う、だって砂糖ってめったに手にはいらないだろう?」
なるほど、旧文明時代には砂糖は贅沢品だったらしい。ニコラウスが向こうで頷いている。
「大丈夫、デイヴィッド。今は砂糖なんていくらでも手に入るから」
「今度ハーグリア行ったらパラチンタ食おうぜ、あれ甘くて美味しいんだ」
「ハーグリア? ハーグリアもまだあるのか?」
この時代の情報はデイヴィッドにとって目新しいことばかりなのだろう。物の値段も、地区の状態も、全部。
「オレ、ハーグリアに住んでいたんだ。本家はイグリシアにあったんだが、オレの家はハーグリアに移って一角を領地として治めていた。今のハーグリアは、貧しくはないか?」
「ハーグリアは農業がさかんでのどかなところだよ。まだちょっと大変な場所もあるけれど、駅の表通りはすごく賑やかさ」
デイヴィッドの家といえば、ラザフォード家……四大公爵家の一つだ。今は消息を絶っているラザフォード家。そういえば、テオドールが幼い頃に義父がラザフォードについて教えてくれた中に「ラザフォードは農業革命で厄災復興に貢献して今の地位を手に入れた」という話があった。ハーグリアにラザフォードの分家があったこととハーグリアが農業地区であることは何か関係があるのかもしれない。
それに、デイヴィッドはラザフォード家の出身……セオドアが貴族嫌いだったということは、最初は二人の仲も良いものではなかっただろう。もしもキョースケの言った通りテオドール自身も本来『セオドア』の記憶を持っているのだとしたら、「テオドール」と「ハイド」との最初の出会いが拒絶から始まったのも必然だったのだろうか。
セオドアが貴族嫌いだったのは、きっと自身がリーフェンシュタールに見捨てられたケインズ家の人間だったからだろう。今のテオドールがリーフェンシュタールの次男として生きているのは「彼」
にとっては皮肉なことなのかもしれない。どちらにせよ、キョースケの説が立証されたらテオドールもその記憶を取り戻すことになるのだろう。
『次はプレンシア中央駅、プレンシア中央駅』
「おっ、もうすぐだ。行こう!」
列車が止まり、ニコラウスが立ち上がる。
プレンシアの駅というと、テオドールはヴルストを食べたことを思い出す。アラブリアからの帰り道、初めて六人が揃った時だ。
随分と時間が経ってしまったように感じる。デイヴィッドがしょっぱいものを好む理由に、砂糖のことだけではなくかつてのハイドの思い出が少しでも影響していることを祈らざるを得なかった。
「こっちだよ、デイヴィッド! 俺たちの拠点!」
「あ、荷物少し持ちますよ」
「行こ、手繋いでおいてあげる」
キョースケがデイヴィッドの手を握り、引いていく。
本人にとっては初めてのプレンシアなのか、物珍しそうに周りの風景をそのザフィーアの瞳に映すデイヴィッド。しかし、ヴァイスヴァルトに近づくにつれ彼の様子は変化していった。
足取りが少しだけ遅くなる。それは重いというよりも、一歩一歩を大切に踏みしめているようだった。周りを見ていたはずの目が、森の奥……家がある方を一心に見つめる。
「どうかした?」
「……いや、ここ……」
木々が隠していた家が目の前に現れた時、デイヴィッドはついに足を止めた。
手を引いていたキョースケも、前を歩いていたニコラウスとアリリオも振り返る。後ろにいたテオドールとアドムも、デイヴィッドの隣で立ち止まった。
デイヴィッドの瞳が揺れている。あの家を、テオドールたちが過ごしてきたあの家を映して。
「デイヴィッド……」
「………………すまない、急に……何でだろう、ここ、知っている気がする。来たこと……あっただろうか? でも、なんだか、ずっと……ここに、帰ってきたかったような気がして」
風が吹く。テオドールたちが窓辺に飾っているネリネの花の香りが、届く気がした。
それが「ハイド」の記憶なのか、「デイヴィッド」の記憶の曖昧な部分なのかはわからない。この家は旧文明の遺物でもあるだろうから。
デイヴィッドはその青の瞳から涙を流していた。ハイドが一度も流さなかった感情の雫。
「あれ、何で……変だよな、初めてなのに」
「……ジェンティが言ってたみたいに、お前はきっと最初からこのヴァイスヴァルトを帰る場所にすることになってたんだよ」
テオドールはデイヴィッドの肩に手を置いて、家の扉を開けに行く。
きっと今頃深く眠っているのであろう親友を再び迎え入れるため、新たな仲間を歓迎するため。
「ようこそ、デイヴィッド」
おかえり、ハイド。




