第41話 小さな武士
サクラ医院は、何の変哲もない医療施設だった。おそらくジキル・ロルバッハはあくまで観察と記録のための場所としてこの場所を使っていたのだろう。
「まさか母上の櫛があんなところにあるなんて……」
「もしかしたら、ここにお前の家族の手がかりがあるかもしれねえ。誰かに話を聞いてみよう」
受付にいたのはヒノモトの人ではないらしい。名札に書かれていた名前はネイプル語由来のものだった。
「あの! その、ここに、伊藤博俊と伊藤春介という人はいますか!」
「伊藤さんですか?少しお待ちください……って、もしかしてあなた方、お嬢の」
「?」
「看板が紛らわしいですよね。すみません、まだ直していなくて……この医院は今、アーラファミリーが買い取って運営しているんです。テオドールさんたちですよね、お嬢……ジェンティア様からお話は聞いております」
頭を下げるその人は、テオドールたちがネイプルで出会った白マフィアの幹部だった。まさにキョースケが尾行していたアラブリアへの道のりでも護衛をしてくれた、アーラファミリーだ。
「なんだって、ジェンティの?」
「ええ。あ、伊藤さんでしたよね。部屋番号を探してきます!」
こんな偶然があるだろうか。いや、必然なのかもしれない。ジェンティアはロルバッハ家と、繋がっていた黒マフィアについて調査してくれていたのだから。
「…………じゃあ、ここは……」
「今は真っ当な医療施設、ってことですね」
「それで、あの反応を見るにちびの家族もいるかもしれん」
「………………! っ」
言葉が詰まって、うまく出てこないようだった。そのうちに先程の人物が帰ってくる。
「三〇一号室です。どうぞ」
廊下に足音が響く。病室は幾つもあって、どれも埋まっているようだった。ヒノモトでは珍しい数階建ての建物で、階段を上がると三〇一号室が近づいてくる。そしてそこから漏れてくる、賑やかな声。
「父上! 早く外に出たいよ! 僕兄ちゃんを探さなきゃ!」
「春介……気持ちはわかるが、今はまだできない。大丈夫、恭介は強い子だ。どこかで必ず生きている」
「それは当たり前! あと、青い目のお兄ちゃんも探してあげようね。僕らをここまで運んでくれてありがとうって! なんだか悲しそうだったから、オニギリあげるんだ! きっとお腹空いてたんだよね!」
扉越しに聞こえてくる、幼い子どもと男性の声。キョースケはそれを泣きながら聞いていた。
彼らがキョースケの家族だということはすぐにわかった。それから、彼らをここに運んだのは間違いなくハイドだったということも。どこまで優しい人だったのか。自分も実験に使われたあとで、苦しかっただろうに。
テオドールの目からも涙が流れる。ハイドの優しさも、キョースケの家族が生きていたことも、ジェンティアがヒノモトの西の果ての村までも救ってくれたことも。全てが奇跡のようで、温かくて、でも同時に残酷で。
「……行かねえの? 探してるみたいだぜ」
「………………僕は、ハイドを殺した。ハイドが、僕のことも、二人のことも、救ってくれたのに」
「…………」
そうはいっても、キョースケは家族に会いたいはずだ。生きていて、喋っていて、今なお自分のことを信じてくれている。
テオドールはキョースケにどこか自分を重ねていた。かつて義母を殺した罪悪感で家から逃げて、義兄に会うことも恐ろしかったあの頃。キョースケとテオドールの状況が違うのはわかっている。義母は生きていて、義兄は今や心強い協力者だが、ハイドは本当にあの海の中に溶けてしまった。自分が恨んでいた相手が家族の恩人でもあったなんて、ひどい運命のいたずらもあるものだ。
それでも、家族を思う気持ちは一緒だろう。
テオドールはキョースケをつまみ上げた。
「は、え、テオドール!?」
「暴れんなよ」
扉を開ける。突然の来訪者に二人の会話が止まる。テオドールは大きく息を吸った。
「リーフェンシュタール家の次男、テオドールだ。急に来て悪いな、落とし物を届けに来た」
キョースケと、それから櫛を手渡す。
二人は驚いていたようだったが、すぐに子ども……春介が目を輝かせた。
「兄ちゃん!? 兄ちゃんなの!?」
「………………恭介」
父親がふらふらと立ち上がって、その小さな身体を抱きしめる。
「本当にお前なのか、恭介」
「…………うん、うん……!」
「兄ちゃん! 兄ちゃん! 会いたかったよ兄ちゃん!」
「……すぐに探しに行けなくて、ごめんな、恭介……っ」
水の力で電気を作り出すための貯水湖が決壊したかのように、キョースケの目から一気に涙があふれる。
許さなくても良いなんて言っていたが、怖かっただろう。苦しかっただろう。一人で過去を抱えて、復讐すらも思っていた通りの結末にはならなくて。
「っ、いき、いきてた、ふたりとも、僕、僕、う、ぅあ、あぁ」
「ああ、生きてる。生きてるよ、恭介……」
「兄ちゃん、僕ね、一番に探しに行こうと思ってたんだよ! でも先に来てくれるなんて兄ちゃんはすごいや! すごいよお、兄ちゃん!」
病室には、しばらくの間親子三人の泣き声が響いていた。
☆☆☆
「……そんなことが、あったのですね。リーフェンシュタール卿、本当にありがとうございます。なんと謝罪と……お礼を申し上げれば良いのやら……」
「礼はいらねえよ、俺が無理やり連れてきたようなもんだ」
「しかし……」
何をどこまで話すのかはキョースケに委ねたが、彼は全てを話した。自分がテオドールたちを欺いたことも、ハイドを……彼らを救ったはずの人間を仇として刺したことも、つつみ隠さずに。
真っ直ぐな子だ、彼は。アドムもキョースケを見直したようで、テオドールはその目が少し柔らかくなったのを見た。
「もし何かしたいって思ってくれるんなら、旧文明について知っていることを教えてほしい。俺らにとっても、あんたらをここまで運んだあいつにとっても、大事なことなんだ」
「旧文明ですか……私めは知識に乏しいのですが、モウリ男爵の側近に長い時を生きておられる方がいらっしゃいます。きっと色々なことを知っているでしょう。リーフェンシュタール公爵様ならば会うことは容易かと」
「そいつ、名前は?」
「ヨシダ・トラスケでございます」
モウリ男爵のところに行ってみるか、とテオドールはアドムに告げた。
「……テオドール」
「どうした、キョースケ」
「……あの、僕のこと、まだ連れて行ってくれる?」
キョースケはテオドールを見つめる。
正直、キョースケが家族のもとに残りたいと言うならばテオドールは止めないつもりだった。いくらハイドのためにこの旅に同行すると決めたとはいえども、幼い子どもなら家族が生きていればそこに残りたいと願うだろうと思ったからだ。
しかしテオドールが思っていたよりも、ずっとキョースケは強い心を持った子どもだったらしい。
「……身勝手なお願いですが、リーフェンシュタール卿。私からもよろしくお願いします。どうかこの子を、連れて行ってあげてほしい」
「あんたは良いのか?」
「もちろん一緒にいたいのは当然ですが……私はまだこの医院で療養する必要があります。それに、この子もやらねばならないことがあるのでしょう。武士として、貫かなければならない志が」
春介は少し離れたところでニコラウスとアリリオと遊んでいた。
ブシとして、貫かなければならない志。キョースケ自身が選んだ道ならば、断る理由はない。
きっとこれが、キョースケにとっての幸せに繋がるはずだ。
「わかった。じゃあまだしばらく借りてるぜ、あんたの息子」
「テオドール!」
「ありがとうございます、リーフェンシュタール卿……どうか引き続きこの子を、よろしくお願いします」
キョースケがテオドールに抱きつく。演技ではない、本当の愛情だった。
テオドールだって、今更キョースケがいない旅は考えられない。まだこの五人で旅ができることを、この上なく嬉しく思った。




