第36話 朝ごはん
キョースケを改めて仲間として扱う。無邪気な子どもとしてではなく、罪を知る一人の「ブシ」として。
それはもちろん、簡単なことではなかった。テオドールがヴァイスヴァルトにキョースケを連れて行くと決めて、キョースケが泣きながら謝罪した時も、一行の空気はすぐに明るくなったわけではない。
当然だ。失われたものが、大きすぎた。
「……ちょっと、考えさせてよ」
「そうです、すぐに『はい』とは言えません」
「…………」
皆が答えを出してくれるまでの間、数日ほど空虚な時間を過ごしたように思う。食事も、ハイドのいないダイニングで皆で取る気になんてなれなかった。それでもその期間にテオドールはキョースケに宝石眼のことを改めて説明した。彼が仲間として、これからこの旅に貢献してくれることを信じていたからだ。正確に言えば、信じたかったからだ。思えば、キョースケには話していないことも多かった。もっと早く話していれば、なんて考えてしまう。
不安もあった。皆がキョースケを拒んだら? 許せないと、復讐の連鎖が始まってしまったら?
否、そんなことはないとテオドールは信じていた。許せないことはあるかもしれない。でも、誰かがキョースケに復讐をするなんて……そんなことをしたら、それこそハイドに、あの海に、顔向けができない。だれもそんなことはしないだろうし、テオドールもさせないつもりだ。
だが、もしも誰もキョースケを受け入れることができなかったら。この悲しみから抜け出すことができなかったら。テオドールはどうすればいいのだろう。
そんなある日の朝、テオドールは大きな金属音で目が覚めた。
「おい、大丈夫か!?」
飛び起きてダイニングに向かう。そこであわあわと揺れていたのは濃紺の頭……ではなく、白銀の頭だった。
「……アリリオお前、何やってんだ」
「あ、テオ……えへへ、ごめんなさい。やっぱり、ハイドみたいにはできませんね」
ダイニングにはハイドがよく使っていた調理器具が散乱していて、その中でアリリオが困ったように笑っていた。調理器具を出すのに失敗したのか、頭の上に小さな鍋が乗っている。
しばらくの間、テオドールはそれを見ていた。アリリオもテオドールをじっと見て、それからぽつりと呟いた。
「…………ハイドが言ってたじゃないですか」
それは穏やかな、しかし力強く、まっすぐな声だった。
「忘れないでほしい、って。だから俺なりに考えたんです。ハイドの作ってくれていたものを、今度は俺が作って、それを皆で食べることができたら、きっと、ハイドなら喜んでくれるって、そう思うんです」
「アリリオ……」
「だから、皆でご飯を食べましょう。一人で食べても美味しくないです……ね、キョースケ。貴方もそんなところにいないで、手伝ってください」
「!」
テオドールが後ろを見ると、起きてきたらしいキョースケが遠慮がちにこちらを覗いていた。彼はアリリオの目が優しいことに安心したのか、おずおずと出てきた。
アリリオは柔らかく笑いかける。
「おはようございます」
「……うん、おはよう、アリリオ……あの、あのさ、僕」
キョースケが一生懸命に言葉を紡ぐ。言いたいことは色々あるのだろう。だが、うまく言葉にならないらしい。テオドールは助け舟を出そうと口を開く。しかしすぐにそれが不要だったことに気づいた。
アリリオはしゃがんで、キョースケの頭を撫でたのだった。
「わかってますよ。貴方のこと、俺もまだちゃんと聞いていませんし……でもまずはご飯です。ほら、テオも!やりますよ!」
「わかったわかった」
とりあえずこれ片付けるぞ、と苦笑してテオドールは床に落ちていた鍋を拾う。
それから三人で試行錯誤しながらなんとかそれらしい「朝ごはん」を作った。火加減も、味付けも、何も分からないまま、ただ記憶だけを頼りに、異様に味見の回数が多い料理が始まった。
できたものはハイドが作ってくれていたものとは雲泥の差で、見た目はもちろん味も良いとは言いがたい。
それは思っていたよりもずっと、塩辛かった。
「んんん……さ、最初にしては上出来ですよね」
「おう、まあ、な」
「…………しょっぱい」
三人で顔を見合わせる。思わず笑う。その瞬間に目が熱くなって、泣いているのか笑っているのか、自分たちでもわからなかった。
アリリオは多分、誰よりもハイドの作るものの価値を知っていた。だから、それで繋ぎ止めようとしたのだ。バラバラになりそうだった宝石の欠片を。この場所を守りたいのはテオドールだけではなかったのだ。
「キョースケ、貴方のこと、すぐに信用できるかどうかはまだわからないけど……でも、また一緒にご飯を作りましょう」
「! うん、ありがとう」
アリリオがキョースケを受け入れようとしてくれている。それだけでテオドールは救われた気分だった。テオドールの選択も、ハイドの願いも、少し報われた気がした。
「あーあ、こんなの見てたら俺も心動かされちゃうよね」
「……ニコラ」
「おはよ。手伝えなくてごめんね、俺も一緒に食べていい?」
「ええ、食べましょう」
いつのまにか見ていたニコラウスが、どこか嬉しそうな様子でキョースケの隣に座る。
「俺も考えたんだけどさ、キョースケ、一緒に翻訳作業やらない?ちょっと難しいかもだけど」
「やる! やるよ、僕、何でもやる!」
「あはは、そんなにやる気になってくれるなら嬉しいな」
ニコラウスもまた、キョースケにできることを考えていてくれたらしい。二人ともきっと最初から、キョースケを受け入れるつもりでいてくれたのだ。
塩辛い朝食を囲んで、これからのことを話す。それがどれだけ尊い時間だったことだろうか。
ハイドは帰ってこない。キョースケがテオドールたちを裏切っていた事実も消えない。
でも、ハイドはテオドールたちの幸せを願った。キョースケは全力で償おうとしている。これもまた、消えない事実だ。
「ねえアリリオ、やっぱりこれしょっぱいよ」
「うるさいですね、そう思うなら次は手伝ってください」
「でも俺料理できないからなあ」
「オニギリならできるんじゃないかな、ニコラウス」
「なにそれ?」
「コメがないとできないけど……炊いて、具を入れて、握るだけ」
「なんか美味しそうですね! 今度教えてくださいよキョースケ!」
人数はいつもよりも少ないが、賑やかな声。もしかしたら、皆無理やり明るくしているのかもしれない。それでも、キョースケの演技が本当の意味での愛になったように、この明るさがいつしか本当のものになって、また心から笑える気がした。
ふと、階段を降りる足音が聞こえる。それとともに、金属の揺れる音。
「……」
「アドム!おはようございます。どうですか、ちょっとしょっぱいけど、貴方も朝ごはんに」
「…………いや、腹は減っていない。すまんな」
アドムは相変わらず淡々とした声でそう告げた。しかしその赤い瞳はダイニングを見つめている。
アドムの姿を目にしたキョースケが勢いよく椅子を立った。
「あ、アドム、あの」
「……」
「あの時、叱ってくれてありがとう。それから」
「おれが許して、ザフィーアが帰ってくるか?」
キョースケの言葉を待たずに、アドムは言い放った。その瞬間、空気が張り詰める。アドムの赤い瞳が――冷たい炎が、キョースケを飲み込むようにじっととらえていた。
「アドム」
「……少し外に出る」
ふい、と食卓に背を向けて、アドムは足早に遠のいていった。
「……大丈夫か、キョースケ」
「わかってるよ、大丈夫。覚悟してたもん。ハイドの方がきっとずっと、痛かった」
「……」
キョースケの表情はかつてとは違う意味で子どもらしくなかった。それは覚悟を決めた、強い者のまなざし。テオドールは安心した。
「じゃ、ここからは俺の領分だな」
アラブリアのラハブ……すなわちアドム自身が認めたように、この家の「リーダー」がテオドールならば、ここから先はテオドールの役目だ。




