第27話 前進
「おはようテオドール」
翌朝起きたテオドールが見たのは、美味しい香りの漂うダイニングに立ったハイドだった。昨日よりも表情はぎこちないが、顔色は随分と良い。
「おはよ。元気になったんだな」
「めいわ……いや、心配をかけてすまなかった」
「学んだなザフィーア」
テオドールの後ろからひょっこりアドムが顔を出す。ハイドが迷惑をかけた、ではなく心配をかけた、と言い直したことは確かに彼の大きな学びの表れだった。
「今日は例の天井を見てみるんだろう? 何か見つかると良いな」
「だがザフィーア。おれの予想ではあの天井、開かないぞ」
アドムの言葉にテオドールもハイドも目を丸くする。
「どうして? 何か見たのか?」
「おいおいアドムお前、わかってたなら先に言えよな。義兄上が梯子担いで歩いた意味……」
「仕方ないだろ、今朝気になって改めて見てみたんだ。よくよく見てみるとな、その色が違っているところの周りに隙間が無い」
少なくとも扉のように開きはしないだろうとアドムが言った。
案の定、朝食後にテオドールが梯子を使って登ってみて天井を押したり別の角度から見たりしても何も起こらなかった。がっかりした気持ちでテオドールは梯子をゆっくりと降りる。下で見ていたニコラウスも「あちゃあ」と間の抜けた声を漏らした。
「残念だねえ」
「剥がれる感じでも無かったぜ。ありゃただの変色……と言いたいところだがあんなところだけ変色してるのもおかしなことだよな」
「やっぱり魔法が関係してるんでしょうか? 壊してみます?」
「やだよ、どーすんだよ上に何も無かったら。雨漏りだぜ」
「一旦オアズケ、だな」
やれやれとアドムが肩をすくめる。
と、そこにキョースケが起きてきたようだった。まだ眠そうな目で、一直線にハイドの足元に抱きつく。
「おはよぉ、ハイド⋯⋯大丈夫?」
「おはようキョースケ。大丈夫だよ、元気だ」
ハイドは柔らかく微笑む。その様子は心配をかけないようにというだけではなく、その幼い子どもを慈しむ彼の素直な感情のようでテオドールは安心した。
が、それ以上に昨夜見たキョースケの表情が忘れられなかった。あの顔を思い出すと今のキョースケの「無邪気な」笑顔はテオドールに底知れない不気味さを感じさせるもので、思わずキョースケを抱き上げてハイドから離す。
「キョースケ、屋根裏は何も無かったぜ。まずお前は朝メシの時間だ。俺らはもう食ったんだからな」
「えー! テオドールじゃなくてハイドに抱っこしてほしかった! ハイド、ハイド!」
「病み上がりに無理させんなよ」
「…………ちぇっ」
拗ねて頬を膨らませるキョースケにやはり年相応の子どもだと、昨日のは見間違いだと、己に言い聞かせる。きっとたまたまだ。彼も図書館でたくさん本を読んで疲れていたから、ぼーっとハイドを見ていたのだろう。
だいたい、誰も何も言わないのだ。キョースケについて心配していたのは彼を誰よりも慈しむ、己の過去を誰よりも嫌うハイドだけ。
「イグリシア行きの計画でも立てようぜ」
「イグリシア? イグリシアに行くの? 僕行ってみたかったんだ! ヒノモトとおんなじ、島になってる地区でしょ?」
イグリシアという単語が出た瞬間に目を輝かせるキョースケ。ころころと表情が変わるところは本当に子どもらしい。
「そういえば、旦那が船をだしてくれるんだったか。アメテュスト、旦那にはよく礼を言っておいてくれ」
「おー、アドムお前結構ちゃんとしてるのな」
「失礼だ。おれは仮にもラハブ様だぞ」
「ああ、金ぴか趣味のラハブ様ですね」
「うるさいぞ爆食皇子。おれは人のホンシツを見抜くことには自信がある。旦那は心から敬意を払うべき相手だと判断したまでだ」
爆食皇子! とニコラウスが笑う。アリリオが爆食皇子ならニコラウスは爆笑眼鏡だろ、とテオドールは思った。アドムと同類になりそうだから言わないが。
キョースケがハイドのパンケーキを食べている横で、一行はイグリシア行きの計画を立てることにした。エドゥアルトが地図もくれたので、それを広げる。
「あ、宿も取っておいてくれるとさ。貸し切りな」
「エドゥアルトさんちょっと俺たちに優しすぎない? 俺たち何も返せてないよ?」
「昔からああなんだよあの人は。年下の世話を焼くのが好きっつーか、金と権力をある意味変な使い方するというか」
「………………そういう公爵もいるんだな」
ハイドがぽつりと呟くので、テオドールはまた少し罪悪感を抱く。それからそれ以上に、エドゥアルトと正反対の公爵、ジキル ・ ロルバッハへの嫌悪感が増すのだった。ハイドにこんな思いをさせて、その金と権力で非道な実験を繰り返す。それから、黒マフィアとも繋がっていた。そんなロルバッハ公爵家の存在は何よりも嫌悪の対象で、恐ろしかった。
存外、本当に恐ろしいのは魔女よりも人間なのかもしれない。
「おいアメテュスト、イグリシアにはでっかい時計があるんだろ? 金ぴかか? 金ぴかなのか?」
「え? 違うぜ。イグリシアの時計はもっと厳かで歴史があるっつーか」
アドムが興味津々で聞いてきたその問いに、ほとんど意識をせずに答えてからふとテオドールは疑問に思った。
自分はイグリシアの時計を見たことがあっただろうか? 行ったことは無いはずだ。幼い頃に義父にもらった本で読んだのか、はたまた話を聞いたのか……いずれにせよ、思い出せなかった。やはりニコラウスと違ってテオドールの記憶力は良い方ではないのだ。
「そういえば妖精の話については調べてきましたよ。どうやら旧文明の名残、魔法力が残留する家があるようで、そこに妖精がいるとかなんとかでちょっとした伝説スポットになっているらしいですが……行ってみます?」
「そりゃいいや。どの辺だ?」
アリリオがメモを取り出して、地図と照らし合わせる。
「ああ、ここですここ……って、もう丸がうってあるじゃないですか」
「え? 本当だ」
この地図を持っていたのはエドゥアルトだ。もしかしたら以前行ったことがあるのかもしれない。丸の近くには何やら文字が書いてある。
「えーと……『ケインズの家』? あ、ケインズっつったらあれだ、リーフェンシュタールの分家っつーの?」
テオドールはかつて義父に聞いた話を思い出した。
リーフェンシュタールはロルバッハ、ムハンマド、そして今は消息不明のラザフォードと共に新文明の復興を支えて公爵の地位を与えられた。が、旧文明時代のリーフェンシュタールは辺境貴族に過ぎなかった。領地の管理に精一杯で、口減らしとでも言えば良いのか一族の一部をイグリシアへと追いやったのだ。それがケインズを名乗るようになったと聞いている。
「そう思うとリーフェンシュタールも同じだぜ、ハイド。公爵家なんて皆欲望まみれの自己中心主義ばっかりだ」
「……でも、君やエドゥアルトさん、それにアドムは優しい」
「ふん、大事なのは人の中身だぞ。コーシャクケという家の名はそやつを語る一部でしかない」
アドムはふぁ、とあくびをした。おそらく誰よりも公の地位に縛られていたはずのアドムがそう言うのなら、テオドールも納得してしまう。立場も、家の名前も、血縁というものも、本当は何も表せていないのかもしれない。
「確かに俺と義兄上も、血は繋がってねえけどちゃんと兄弟だもんな」
「うむ、家の名前でコジンまで決めるのは愚かなことだ。悪名高い家で育っても良いやつは良いやつだろ……はて、同じようなことを誰かにも言った気がするな。おじじだったか」
アドムが静かにそう言った。
「じゃ、とりあえずケインズの家に行くのは決定だね。テオ、できたらエドゥアルトさんにここのこと聞いておいてくれる?」
「おう、ついでにケインズについて資料がないか聞いてみるな」
ケインズ家。テオドールはその存在が大きな手がかりになることを願った。
読んでくださりありがとうございます!!
イグリシアには大きな手がかりがありそうですね……ちなみに、お気づきかもしれませんがイグリシアはイギリスモチーフの場所です。プレンシアはドイツ、ネイプルはイタリアです。
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タラノリオ(2026.8.16)




