第26話 仮面
がちゃ、と玄関から音が鳴ったのでテオドールは迎えに出た。
「あれ、義兄上?」
「途中で会ったんだよ。梯子の話とハイドの話、したら色々手伝ってくれてさ」
「やあテオ。また扉を閉められなくて良かったよ」
「いや、あれはほんと、ごめんなさい」
帝国博覧会から帰ってきたニコラウスとアリリオと共にエドゥアルトがいたときは本当に驚いた。さすがに今回はエドゥアルトの姿を見て扉を閉めたりしないし、すぐに中に招き入れた。
エドゥアルトの肩には梯子が担がれている。リーフェンシュタール家の当主、プレンシアを治める公爵が梯子を担いで青年二人と小さな子どもと共に徒歩で町をゆく姿はさぞかし異様なものだったのではなかろうか。
「義兄上、良かったのか?」
「ちょうどプライベートだからね。良いかいテオ、リーフェンシュタールの家紋さえなければ誰も僕がエドゥアルト ・ リーフェンシュタールだとは思わないさ。君たちみたいにちゃんと僕の顔を覚えている人でもなければね」
「そうか……?」
家紋がなかったところで、エドゥアルトの容姿は目を引くものだ。イケメン、というやつなのだろうとテオドールは思う。それにひきかえ自分と言ったら、会う人ほとんどに女性だと間違われる、イケメンとは言い難い容姿。「美人ってやつだよ」とエドゥアルトにはよく言われたもので、昔から変わらない。
「ねえテオドール、ハイドは? ハイドは大丈夫?」
「おうキョースケ、おかえり。ハイドは……」
と、テオドールが言いかけたところで階段を降りる足音が二つ聞こえた。すぐにキョースケが飛びついていく。
「ハイド!」
「おかえり、皆。エドゥアルトさんもこんにちは」
ハイドは不器用に、しかし口元を緩ませるだけでなく目もしっかり細めて、彼が今できる精一杯の微笑みを見せる。
アドムが後ろでうむうむと頷いていた。
「た、ただいま。起きてて平気?」
「そこまで大層なものではないから大丈夫だよニコラウス。ありがとう」
「どうしちゃったんですかハイド? いえ、良いことですけど、何かありました?」
「案ずるなメガネ、皇子。ザフィーアはちょっとスナオになっただけだぞ」
ニコラウスもアリリオも不思議そうな顔をする。が、ハイドが笑っていることは二人にとっても嬉しいことだ。
「ハイドが良いなら良いんです。ヒューナーズッペの缶詰を買ってきたのですが食べられますか?」
「うん、食べる」
「良かった。今温めるから待ってて!」
キョースケを傍らにくっつけながら、ハイドはダイニングの椅子に座っておとなしく待っている。エドゥアルトもそれを微笑ましそうに見ていた。
「随分雰囲気が柔らかくなったね、彼」
「ああ、良かった。ありがとな義兄上、梯子もそうだし、ハイドのことも気にかけてくれて」
「当然のことだよ。あの子に同情しているわけではないけれど、自分の義弟と同い年くらいの子が、感情を無くしてしまうほどに追い詰められていた過去を持っている。それを聞いて僕がどんな思いだったか」
「義兄上……」
エドゥアルトはどこまでも優しい人だ。テオドールはこの人の義弟になれてよかったと心から思う。いっそハイドもリーフェンシュタール家の前にいたとしたら、義父に引き取られていたら、何か違っただろうか。少なくとも彼は感情の無い道具ではなく、一人の人間らしくいられただろう。本来のハイドはきっと、テオドールが思っているよりも感情豊かだ。
「ところで、あの子は聞き分けの良い良い子だね。ほら、コソデを着た」
「キョースケが? 聞き分けが良い?」
テオドールの知っているキョースケは調査中でもお構いなしにはしゃいで、今朝だってハイドの具合が悪いと聞いても連れて行こうとした暴れん坊だ。
「ちゃんと僕にも敬語を使ってたよ。偉いね」
「キョースケが敬語ぉ?」
アリリオの間違いじゃねえかそれ、とテオドールは言うがエドゥアルトはキョースケで間違いないと主張する。キョースケは相当自分たちに甘えているらしい。それとも、エドゥアルトが立場のある人間だということをなんとなく感じたのだろうか。
「おっと、僕はそろそろ帰るよ。じゃあねテオ、皆。ハイド君はゆっくり休みなさい」
「ありがとうございます、エドゥアルトさん。お気をつけて」
エドゥアルトを見送り、テオドールは改めてニコラウスとアリリオに尋ねた。
「図書館はどうだった? 何かわかったか?」
「うん。ナジフの日記の翻訳は結構進んだよ。でもやっぱり原本も帝国学校にあったのと一緒でところどころ破れててさ。あ、でも最初のほうは辛うじて生き残ってた! それで……その、セオドアって名前が出てきて」
ニコラウスは困ったようにそう言った。
セオドア。ニコラウスがかつて出会ったというツィトリンの所持者らしき女性がその名を口にしていたらしい。しかしなぜその名前が初代ムハンマド家当主の手記に出てきたのだろう?
「あと、デイヴィッドって名前が出てきたけどこれは聞いたことないね」
「ふーん、セオドア、デイヴィッド、ナジフ…………」
なんか聞いたことあるような、とテオドールは朧気な記憶を必死に呼び覚まそうとする。
その時、テオドールの頭を締め付けるような痛みが襲った。
『会えないの。まだ、貴方にも、デイヴィッドにも、ナジフにも』
それは、悲しげな女性の声。儚げて、消えてしまいそうな、どこか懐かしささえあるような。
顔をしかめるテオドールをニコラウスが心配そうに覗き込む。
「どうしたのテオ?」
「いや、なんでもない。他には?」
「本当に? ……あ、そうそう。あの紙にあった文字も調べてみたんだけど、旧イグリシア語で『我が姉へ』って……でも他に何も書いてなかったんだよね。手紙か何か書く途中だったのかも」
「出そうとして止めたのかもしれませんね」
何にせよ、重要な手がかりではなさそうだ。ニコラウスはナジフの手記をアドムに返す。
セオドア、デイヴィッド、ナジフ。ナジフが先代、あるいは最初のグラナートの所持者だったとしたら、セオドアとデイヴィッドも宝石眼所持者であるはずだ。そうなると一人足りない。もしかしたら、ニコラウスが出会ったのは現在の宝石眼所持者ではなくて過去の宝石眼所持者の一人の亡霊だったのかもしれない。
いや、もっといえばツィトリンの呪いは「生」だ。彼か彼女……かつてニコラウスが出会った人物が本当にツィトリンの所持者なら彼女になるが、とにかくずっと生き続けているのかもしれない。ナジフの時代から、今までずっと。
だとしたらこの家もツィトリンの所持者が用意したのだろうか? ならばこの家のエネルギー源が魔法であるのも納得がいくというものだ。
「明日は屋根裏を見よう。それからイグリシアに行く計画を立てて……その手紙も向こうで使えるかもしれない。旧イグリシア語だろ?」
「そうだね。書いた人のことがわかればここの元住人のこともわかるはず」
「まずはハイドの体調が戻り次第、だな」
テオドールの視線の先では、ヒューナーズッペを食べ終えたらしいハイドがうとうとと船を漕いでいた。
さすがにキョースケも邪魔をしないようだ。おとなしいキョースケにテオドールは安心した。いっそ彼もハイドの膝にしがみついて眠っているのかもしれない。そう思って覗く。
「えっ」
思わずテオドールは声を上げた。キョースケは黒の瞳でハイドをじっと見つめていたのだ。それもいつもの慕うような眼差しではない。もっと「無」の表情で。それがテオドールは恐ろしいような気がした。子どもらしくないのだ。誰よりも子どもらしいはずのキョースケの表情から、あどけなさが綺麗さっぱり消えていた。
ついキョースケから目を離せないままでいると、彼もこちらの視線に気づいたらしい。テオドールを見て、それから。
嘘のように「子どもらしく」笑った。




