第25話 ともだち
結局テオドールは夕飯を食べた後、いつもよりもずっと早く眠りについた。せっかく立てた次の日の計画に寝坊なんてしたら格好悪いことこの上ない。
そうしてテオドールが目を覚ましたのは、明け方……まだ空がテオドールの目のような神秘的な紫色に染まっている時間だった。
「ちっ、早く寝すぎた」
テオドールは一人つぶやいて、しかし冴えてしまった頭をどうすることもできずに一階へと降りた。いっそ朝食を作ってみようか。そうも思ったがテオドールは自分の作ったものがアリリオの肥えた舌を満足させることができるとは思えなかった。
ダイニングの明かりはついていなかった。エドゥアルトからもらったお菓子でも食べようと明かりをつけた瞬間、どこからかうめき声が聞こえた。
「ん……」
「!?」
テオドールが振り返ると、ダイニングの隅にしゃがみ込んでいるハイドの姿があった。
「びっ……くりした。ハイドお前なんでこんなところに? もしかしてお前も早起き?」
「…………テオドールか。そうだな……」
まだ眠そうな顔でハイドはテオドールを見上げる。それから小さく咳をした。それはすぐに止まらずに、ハイドはしばらくけほけほと苦しそうにする。テオドールが背中を擦ってやると少しだけ落ち着いたらしかった。
「大丈夫か?」
「っ、すまない、もう、大丈夫」
「…………もしかして、調子悪いんじゃ」
ハイドの身体が弱いということをすっかり忘れて、連れ回してしまったことをテオドールは反省する。無理をさせてしまったかもしれない。手を置いた背中が服越しに感じられるほど熱かった。
「いつもの、だから。伝染るものではないよ」
「いや、そういう問題じゃねえって。休んでろよ。お前がしんどいだろ」
「…………図書館」
ぽつりとハイドが呟く。
「行きたかった。君たちと」
拗ねたようなその様子に、あの無表情の内側でそんなに楽しみにしていたのかとテオドールは驚いた。
「いつでも行けるだろ。今度お前が元気な時に行こうぜ」
「……………………」
ハイドはしばらくじっと床を見つめて、それからこくりと頷いた。
☆☆☆
「ありゃ、ハイド調子悪いって?」
「そ。だからどうしようかって」
「何か買ってきましょうか。食べられそうなものとか、氷とか」
起きてきたニコラウスとアリリオはテオドールから話を聞いて、買い出しに行ってくれることになった。そこにキョースケがばたばたと降りてくる。
「おはよう! 図書館! 図書館! ……あれ、ハイドは?」
「……キョースケは俺たちと一緒に行こうか」
はて、という顔でキョースケはテオドールを見つめた。キョースケがいたらハイドの調子などお構いなしに遊ぼう遊ぼうと騒ぐに違いない。それに図書館を楽しみにしていたのだ。キョースケは元気なのに行けないというのも可哀想だった。
「じゃ、俺とアリリオ、キョースケで図書館に行って、それから買い出しして帰ってくる。果物くらいはあったよね?」
「おう。俺も果物剥くぐらいはできる」
「じゃ、ハイドにゆっくり休むよう伝えといて。それでアドムは……」
「あいつは寝坊」
起きてこないアドムに、まさか彼も体調を崩しているのではと心配になったテオドールだったが先程見に行ったらそれはもう心地よさそうにすやすやと眠っていた。
「じゃ、行ってくるね」
「ねえニコラウス、ハイドは? ハイドは?」
「ハイドは具合悪いからお留守番」
「えー!」
やだやだハイドも連れて行く、と家に戻ろうとするキョースケ。慌ててアリリオが魔法でひょいとキョースケをつまんで連れて行った。可哀想だがあの状態のハイドを連れて行くのはあまりに酷だ。
三人を見送ってから、テオドールはアプフェルという果実を剥き始めた。爽やかでほどよく硬い、風邪を引いたときにはもってこいの果物だ。テオドールの記憶でも、幼い頃に熱を出したときに食べたことを覚えている。
「さーて、ハイド、起きてるか?」
テオドールがハイドの部屋の扉を開けると、ハイドのベッドサイドにアドムが座っているのが目に入った。
「お前も起きてたのかアドム」
「うむ、おはよう。すまんな。寝坊した」
「知ってる」
「ま、そういうことだからおまえが気に病む必要はないぞザフィーア。どうせおれの寝坊で図書館行きは遅れていた」
アドムの言葉に、ハイドが毛布の中で頷いた。
「ありがとうアドム、テオドール……君たちも図書館に行きたかっただろうに」
「あー、別に俺が行っても何も翻訳できねえし」
「ナジフの手記はメガネに預けてあるしな」
テオドールがハイドにアプフェルをすりおろしたものを渡すと、彼はおとなしくそれを受け取ってちびちびと食べ始めた。
「キョースケが寂しがってたぜ。危なかったんだ、お前のこと無理やり連れて行こうとして」
「申し訳ない……あの子は本当にオレに懐いてくれるな」
そう言うハイドは、嬉しそうというには悲しそうな目をしていた。そして、何かを恐れるような。
「なんだ、おまえもまんざらでもないと思っていたぞザフィーア」
「ああ、いや、嬉しいんだよ。誰かに慕われるということなんて無かったから」
でも、とハイドが続ける。
「ふと、あの子はなぜ一人で旅をしていたのかと考えたんだ。ヒノモト地区は東の端、なのになぜ西の端にあるアラブリア地区にいたのだろうと…………ヒノモト地区といえば、オレが、オレの呪いが、傷つけた村がたくさんある。もし、もしかしたら、あの子は」
ハイドの肺から嫌な音が鳴る。空気が入っていないような、息をしているのに息ができていないような。
「落ち着け落ち着け、そうとは限らないだろ」
「今はちびのことは気にするな」
「……っ」
テオドールはハイドのこんな顔を初めて見た。いつも感情を表に出さないハイド。自分の辛い過去を話す時ですら淡々としていたのに、今はその鉄仮面はすっかり脆く剥がれ落ちてしまっている。罪悪感に押しつぶされてしまいそうな、息をすることもままならないような、ひどく悲しい顔。
それでも呪いが発動されることはなかった。ああ、やはりアドムの言ったことは正しいのかもしれない。しかしそれは今のハイドにとっては彼を殺してしまいそうなほどに残酷なことだ。
「あ、そう、それよりハイド。ニコラもゆっくり休めって言ってたぜ。だからもう寝よう。疲れてるんだよ」
「うむ。今夜はおまえの飯が食べられないと皇子が嘆くだろう。早く治してあの食いしん坊の腹を満たしてやってくれ」
アドムがそう言うと、ハイドはぱちばちとザフィーアを瞬かせた。
「そんなにオレの作ったものが好きなのか、アリリオは」
「アリリオだけじゃねえよ。全員もうお前の飯が無いと生きていけねえんだから。もちろん単なる飯係なんて思ってないからな? ハイドはハイドで、俺らのと……友達、だし」
「……ともだち」
ハイドはまるで初めてその言葉を聞いたかのように、たどたどしい口調でそれを反復した。ともだち、ともだち……。
「……うん。ありがとうテオドール、アドム」
ハイドは、笑った。熱のせいで気分が高揚しているのかもしれないが、それは初めて見たハイドの笑顔だった。
彼が感情というものをしっかり持っていることが、取り戻していることが、テオドールは嬉しかった。「一緒に行く気はない」なんて言っていた仏頂面が、こんな風に笑うとは。
「ザフィーアも笑うんだな」
「アドム! ……いや、俺も思ったけどさ」
「ふふ、嬉しいと笑うんだろう? 今日はなんだか顔が柔らかい気がする」
「なんじゃそりゃ」
穏やかな空気がテオドールたちを包む。こういう時間が好きだった。テオドールもアドムも、きっとハイドも。
テオドールは知らなかった。ハイドの仏頂面にこんな感情が隠されていたことも、友達という言葉に嬉しそうな顔をすることも…………彼の心の奥底にある、覚悟も。
読んでくださりありがとうございます!
何やら温かい雰囲気ですが、不穏でもありますね……。
宝石眼トリオはかなりお気に入りのグループです。三人組っていいですよね!
これから物語がさらに加速します! 楽しんでいただけると幸いです、よろしくお願いいたします!
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タラノリオ(2026.8.15)




