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好きに生きて、何が悪い  作者: 瀬南 葵


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第1話

一  清水紗奈(しみずさな)


「紗奈さ、ほんとに俺のこと好きなの?」


 いつものように家で過ごしていたら突然、桜庭(さくらば)が呟いた。二人の好きな映画を観ている最中だった。私は口にポップコーンを放り込んだばかりで、口の中にはキャラメルの味が広がっていた。突然のことに驚いて、私は咀嚼するのを数秒やめた。横を見ると桜庭は観ているのか分からないような目で、目の前の画面を眺めていた。


 「え、好きだよ。だからこうして今日も」

 「会って、ご飯一緒に食べて、映画観て。それで終わりだろ。そんなの友達とだってできることだろ。俺と紗奈(さな)は、恋人じゃないの?」


 桜庭が何かに縋るような目で私を見る。その理由は私にもわかっていた。いつかこうなるんじゃないかとも、予想はついていた。

 私は、好きな相手とスキンシップができない。


『ロマンティック・アセクシャル』。性別を問わず他者に対して恋愛感情を抱くが、性的欲求は抱かない。


世間ではこういう定義になっているらしい。

『アロマンティック・アセクシャル』というものもあるらしいが、これは『他者に恋愛感情も性的欲求も抱かない』らしい。

この二つは似ているが、恋愛感情の有無で分けられているみたいだ。

桜庭にはもちろん付き合うときに説明をした。桜庭はそれを了承してくれた。だから安心していた。桜庭は分かってくれているのだと、そう思っていた。分かろうとも、きっとしてくれていたのだろう。


「恋人なら、そういうの、するものじゃないの?手すら繋がせてくれないじゃん。それって、恋人なの?」


黙っている私に、続けて桜庭が問いかける。


「恋人だと、私は思ってるよ」


私は小さな声でそう言ったけれど、桜庭は硬い表情を崩さない。桜庭は、私に聞こえるようなため息をした。


「俺だって恋人だと思ってるよ。紗奈が好きだよ。だから紗奈がそういうことできないって分かってても、それでも一緒に居れるならって。でも俺だって男なんだよ」


桜庭の何かを決意したような表情で、分かった。分かってしまった。

もう、だめか。


 「この映画観たらさ、別れようか俺たち」


その予感は当たっていたみたいで、一年半続いた桜庭と私の恋人関係は終わった。




ぼんやりと目を開ける。起き上がると机の上の食べかけのポップコーンが目に入った。どうやら夢じゃなかったらしい。

 泣きはらした目が重い。これで何回目だろう。恋人に対してもその他に対しても性的に惹かれないのが理由で、いつも振られてしまう。最初こそは理解しようとしてくれるけれど、そのうちに別れを切り出される。仕方がないのかなとも思う。恋人に求められるたびに、それだけが愛情表現なのだろうかと思う。手を繋ぐ、腕を組む、キスをする。それ以上のことも。私には想像ができないどころか、どんなに好きな相手でも私はどうしたって嫌悪感を抱いてしまう。

 自分でもどうしてなのか分からない。何回も試した。手を繋いでみようとした。けれど手が触れた瞬間に全身の毛が逆立って、振り払ってしまう。好きなはずなのに。私は言葉でしかそれを伝えられない。初めはそれでもいいと言ってくれるけれど、段々とそれだけでは満足できないと言われて振られてしまう。浮気も何回もされた。そのたびに自分を恨んだ。私だってできることなら好きな人と手を繋いだり、ハグをしたりキスをしたい。それ以上のことだってしてみたい。だけど、身体が全力で拒否してしまう。気持ちだけじゃどうにもならないことがある。

 私だって、私だって。


 「紗奈さん、紗奈さん」

 「えっ」


 肩をつつかれて我に返る。振り向くと後輩の(ひとみ)ちゃんが立っていた。手にはお弁当がある。腕時計を見ると、もう正午になっていた。瞳ちゃんは不思議そうな顔をしてこちらを見つめている。


 「紗奈さん、どうしたんですか?」

 「え、何が?」

 「何がじゃないですよ。今日ずっと上の空っていうか。心ここにあらずって感じですよ?何があったかは聞きますからご飯食べましょうよ~、わたしもうお腹ぺこぺこ~」


 瞳ちゃんに促されるままに私もお弁当を持って席を立つ。二人でいつもの場所に移動して腰を下ろす。それまでは空腹を感じていなかったけれど、お弁当の蓋を開けるとお腹が鳴った。どうやら失恋してもお腹は空くらしい。


 「紗奈さん、話聞きますよ。目、腫れてます」


 朝起きてすぐに冷やして、目立たない程度まで腫れは引いたと思ったのに、この子には隠し事ができないなあと思う。口に放り込んだミートボールの味をしっかりと味わってから、お茶を飲む。


 「実は昨日、振られちゃって…」

 「え!!!一年半付き合ってるって言ってた人ですか!?」


 白米をもぐもぐしながら、そんなに驚くか…?と思いながら頷く。


 「うん。そう、その人」

 「え、どうしてですか。あ、いや、話せるならですけど」


 私はこの子のこういうところが好きだなあと思う。私より少し遅く入社してきた彼女は最初に会った時から変わらない。本当に二十歳なのかと疑うほどに大人だと感じる瞬間がある。彼女と私は三歳差だけれど、私より大人なんじゃないかと思う。明るくて人懐っこくてなんでも話せてしまう。けれど、深いところまでは決して足を踏み入れてこない。だからこそ、安心して時間を過ごせる。


 「ん~、なんでだろうな、私が恋人っぽいことをできなかったからかな」

 「恋人っぽいことって、どんなことですか?」

 「手を繋ぐとか、キスとかさ」

 

 私の言葉に瞳ちゃんは少し考え込んでから、言った。


 「それって、でも絶対じゃないじゃないですか。恋人になったからって必ずしなきゃいけないことじゃないですよね。それだけが愛情表現じゃないと思いますけど……まあ、その人にとっては大切なことだったから耐えきれなかったんだとは思いますけど」


 ストンっとそのまま言葉が入ってきた。腑に落ちたという方が表現的にはあっているかもしれない。この子はすごく簡単に、なんでもないことかのように私の抱えていることを掬ってくれる。私が二十歳だったころ、こんな風に思えただろうか。この子はこれまでどんなことを考えて、どんな環境で育ってきたのだろう。


 「まあ、確かにそうだね。彼にとってはすごく大切な部分だったんだと思う」

 「今や日本の人口は一億二三二一万人、世界はもっとですよ。人なんてたくさんいます。これから出会えますよ。紗奈さんと同じような人も絶対にいるはずです」


 瞳ちゃんとのお昼を終えて、仕事に戻ってからも私は考えていた。私と同じ、ロマンティック・アセクシャルの人間は本当にいるのだろうか。そうでなくとも、いつかこの感覚を共有できる人と出会えるのだろうか。



 夢に見る。スキンシップを重要としない人と、生活をする夢。そこには恋愛的な感情はなくてもいい。友愛的な愛情でもいい。互助同盟みたいな関係でもいい。むしろそっちの方が楽かもしれない。一緒のお家に帰って、一緒にご飯を作って食べて、映画なんかも観たりして、バカみたいな話も真剣な話もできるような。絶対的な味方みたいな。そんな存在が、私にもいつかできたりするんだろうか。


 「紗奈さん、今日仕事終わりに少し話せませんか?」


 夕方四時半。定時まであと少し。瞳ちゃんと同期入社の日比谷(ひびや)くんが珍しく声をかけてきた。私は位置的には日比谷くんの直接的な上司ではないから、あまり話すことはない。事務的な会話はたまにするけれど、瞳ちゃんほど親しくはないから少し驚いた。


 「え、私に?いいけど…。じゃあ、仕事終わりそうになったらまた声かけてくれる?」

 「はい、わかりました」


 日比谷くんは丁寧に頭を下げて、自分の席に戻っていった。なんだろうなと思いながらも定時に向けて、作業を進めた。


 「紗奈さん、僕終わりました。紗奈さんはどうでしょうか?何か手伝えることありますか?」


 定時五分前、日比谷くんが遠慮がちに声をかけてきた。私ももう終わるところだったので顔をあげる。


 「私ももう終わるから大丈夫だよ。後五分あるし、ゆっくり帰り支度してよっか」


 私の提案に日比谷くんは、こくんと頷いて小走りで席へ戻っていった。そして定時を数秒過ぎた頃、私と日比谷くんはそろって退勤した。外はもう真っ暗で、冬らしい頬を切るような風が吹いていた。

 

 「もうすぐ、クリスマスですね」

 

 隣の日比谷くんはもう頬や鼻が赤くなっている。寒さに弱いのかもしれない。


 「あ~、そういえば、そうだね」


 そう答えながら、クリスマス前に振られたのかぁと少し落ち込む。そんな私を他所に、街はところどころイルミネーションでキラキラとしている。


 「それで、あの、紗奈さん」


 遠慮がちな声が私を引き留めた。日比谷くんが止まったので私も歩くのをいったんやめる。私と日比谷くんの間に冷たい風が吹き抜ける。その風が私の前髪を揺らす。


 「斎藤から聞きました。紗奈さん、別れたって」


 斎藤は、瞳ちゃんのことだ。瞳ちゃんが個人情報をペラペラ話すとは思えないので、聞きだしたの方が正しいかもしれない。どうしてかは、何となくわかる。日比谷くんが私に向けているであろう感情がどんなものなのかも、何となく分かる。これから日比谷くんが言おうとしていることも、私は分かる。だから胸が痛むのだろう。


 「あの、今すぐにとは言いません。友達からでいいんです。僕のこと、恋愛対象としてみてはくれませんか」


 日比谷くんは、まっすぐな目で私を見る。純粋な、疑うことを知らないような目。私が自分のことを話せば、きっと受け入れようとしてくれるだろう。私の気持ちが落ち着くまで待ってくれるだろう。けれどきっとまた傷つけてしまう。同じことを、繰り返してしまう。


 「まずは、後輩から友達になりたいです。…あの、ダメですか」


 私はもうこれ以上、私を好きになってくれた人のことを傷つけたくない。耐えられないような思いをさせたくはない。私みたいな普通ではない人間と関わることで、負わなくていい傷を負わせたくない。

 

 「なれても、友達だと思う。私はもう、誰とも付き合う気はないんだ。ごめんね」


 私の答えに日比谷くんは悲しそうな顔をした。私はそういう顔をさせてしまうことだって、ちゃんと分かっていた。どうせ傷を負わせてしまうのなら、少しでも浅い方がいいと思った。


 「どうしてですか。まだ分からないじゃないですか。今は、別れたばかりだからそう思ってるかもしれないけど、そのうちに」

 「変わらないと思う。多分日比谷くんには、ううん、誰にも分からないことだと思うから」


 日比谷くんと目が合う。眉に力を込めて泣き出すのを我慢しているみたいだ。私まで泣きそうになっていることに気が付いて、慌てて背を向ける。私は泣いちゃいけない。私には、泣く資格はない。何度か深呼吸を繰り返している間に、後ろから声がした。


 「……わかりました。でも僕、好きでい続けると思います、紗奈さんのこと」


 それじゃあ、お疲れさまでした。と言い、日比谷くんは私に背を向けて小走りで去って行った。

 私の言葉で彼がどれだけ傷ついたかは私には分からない。私の深く傷つくことのないように、という狙いとは裏腹にすごく深く傷ついているかもしれない。どうなのかは私には分からないままだと思う。

 はぁ~と息を吐き出すと、白くなって空に消えていった。この寒さのおかげで目の腫れも引いたみたいだ。目が赤いのも、きっと寒さのせいだ。早く帰って美味しいごはんでも食べて、眠ってしまおう。明日は土曜日だ。ゆっくり眠ればきっと回復できる。

 家に帰ってすぐに、昨日用意しておいたご飯を冷蔵庫から取り出した。今日の夕飯は生姜焼きだ。私はこれに生卵を落として食べるのが好きだ。電子レンジで温めていると、ふんわりと美味しそうな香りが鼻をくすぐってきた。やっぱりお腹は空く。温めている間に即席のお味噌汁を作って、白米をお茶碗に盛り、箸とお茶を用意する。後は温めている生姜焼きを待つだけだ。チンと軽い電子音が鳴り、私は電子レンジを開ける。ほかほかと湯気を立たせるそれに生卵を落とす。一日頑張った自分へのご褒美だ。今日は特に寒いから、生姜で身体をあたためて、さらにお風呂にもしっかり浸かって眠ろう。

 数十分でご飯を食べ終えて、すぐに洗い物を済ませてからお風呂にお湯を張った。少し古いアパートなので、蛇口式だ。今日は少し熱めのお湯にしようと思う。お湯を張っている間に明日は何しようかなあと、ぼんやりと思う。お湯が足湯くらいまで溜まると私は足だけをお湯に浸らせる。服も下着もどうせ洗うのだから、脱ぐときに濡れたってかまわない。お湯がふくらはぎくらいまで溜まってから私は服をすべて脱ぐ。そしてスマホで好きな音楽を流す。シャワーで髪や身体を濡らして、頭を洗ってから身体を洗う。しっかり身体を洗ってから、肩くらいまで溜まったお湯に私は浸かる。少し熱めにしたから、つま先からゆっくりと。私はこの瞬間が好きだ。好きな音楽を流しながら、少し熱めのお湯に浸かる。誰にも邪魔されない私だけの時間。失恋の痛みはまだまだ癒えないけれど、痛みに浸っていたって仕方がない。桜庭はもう戻ってこない。次に進むしかない。そう思っていても、涙は出てしまうけれど。

 お風呂から上がってすぐに、いつものようにスキンケアをする。私が私を少しでも嫌いにならないようにするためのルーティーンだ。髪にもしっかりとケアをして、ドライヤーで乾かす。せっかくあたためた身体を冷やしてしまわないように、ホットココアを飲む。ここまでが私のルーティーンだ。そこからはその日の気分でストレッチをしてみたり、本を読んだりする。大体は金曜日の夜か土曜日の夜だ。次の日が休みの日だと、なんだか夜が無限に思える。だからか、少し夜更かしをしてしまう。それでも零時をまわるころには眠るようにしているけれど。

 私くらいは私のことを理解していたいし、何があっても大切にしたいし、絶対的な味方でいたい。


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