まさかの事が起こり始めて
面倒な事になった。そんな現実が心底憎たらしいのは仕方が無い。
というのも。
「かがや君の頑張りはわかっているんだ、でも。でも……」
社長がとんでもなく難しい顔をして、私の方を見ているのである。
その理由は簡単だが複雑だ。
「一体どこをどうして、私なんかの引き抜きの要請があっちこっちから来るんですか!!」
これである。
「君が居なくなったら本当に、我が社の目玉であり売れ筋商品であり、あらゆる所との差異がある異世界パッケージツアーが立ちゆかなくなるんだ! なのにどうして大手だの有名どころからだの、君名指しのヘッドハンティングがあるんだ!」
社長がわめくように言う。かくいう私も心底同じような気持ちだ。
この小さな旅行会社である幸旅は、何かと社員の事を気にかけてくれていて、結構色々な融通を利かせてくれている所である。
それは小規模という現実から、社員一人一人に目が行き届くという部分が大きいだろう。
そのため私も、それに甘えている時は大いに甘えながら仕事をしてきたというのに、今回の異世界パッケージツアーから戻ってきて、報告書その他を提出した際に、社長の直々のお呼び出しに答えたらこれである。
「一体何をどうしたら、こんな小さな旅行会社の中の、一人の社員にこれだけの数の会社から引き抜きがあるんだ」
「私に聞いても分かるわけ無いじゃ有りませんか! 身に覚えが全くありません」
事実私には身に覚えがない。私は悪目立ちしない様に務めてきたのだ。旅行の添乗員は出しゃばってはならないのだ。
それに今回も、大きなクレームになる問題が起きないように終始気を遣い、旅行客の皆さんの安全を守りながらツアーを終了させたというのに。
「……その絶対にお客様を安全に帰国させるというスキルを求められているのかもしれないんだが……」
社長が頭を抱えるのも仕方が無い。私だって抱えたい。私は今回のツアーの後に、ちょっと長めの有休を使う予定があったのだ。
それは今年のうちに消費しなければならない有休の日数があるからで、法的にきちんと消費しなければ会社にも迷惑がかかるというわけで、異世界で年越しを行うなんて言う、まだまだ危険な行為を地球の誰もが団体客のツアーでは行わないあたりで、有休を消費し、年明けからまたそれなりに仕事をする予定だったのだ。
そろそろ日本食を腹一杯に食べたいと思うし、それと同時にキャプテン・シンと約束したとおりに、彼の所に誕生日祝いとして出向きたいのだ。私はあの男との約束をこれ以上破りたくない。
あの男は総督閣下なので、私一人が約束を破った事で、会社の信用も無くした結果、ツアーがなくなるような不手際は行いたくないのだ。
それは私の考えだけかもしれないのだが、とにかく、私はキャプテン・シンの所に行きたい。無事に有休の日数だけで帰ってこられるかは、時の運とあの男の心の気まぐれによる部分が大きい可能性もあるが、あの男を説得するのを頑張るまでなのだ。
「君はどうしたいんだ。どこかの大手でスキルアップを狙ったりは」
「しません。これ以上の忙しさはいりません。大手とかだと上下関係とか横のつながりとかでものすごく疲弊したあげくに、とんでもない無茶ぶりを求められるかもしれないじゃないですか」
「大手は売り上げを大きくしたいからね。うちのツアー内容がはっきり知られた可能性もあるしな。うちで扱っているのと同じ、最高ランクの宿泊施設で、もっと大変な観光を営業が組む可能性もある」
「今だって注意を聞かない人がいるとそれだけで、ツアーのお客様の疲弊が増すんですよ、今の人数以上の人数を相手にする可能性があるなんてとんでもない」
「君が言うのもよく分かる。まあ、最終決定権は君にあるわけだし、うちとしては……君にいなくなられたくないわけだが」
「無職で家もなかった私を拾ってくれた恩も有るんですよ。そう簡単に辞めませんし、やっと仕事のあれこれもなじんできた所なんですよ」
「君がそう言ってくれるのが本当にありがたいよ」
社長がほっとした顔をする。社長は営業担当その他から、私がキャプテン・シンと知り合いという目をそらせない現実の結果、最高級のホテル、シンズホテルに宿泊できるようになっていると理解している側だ。
それも、破格の値段での宿泊だと十分に聞き知っている人だからこそ、私がこの会社を辞めるのが痛いことも分かっている。
「……そうだ、君に賞与もあるから、給料明細とかで驚かないでくれよ」
「はい」
「君の働きが素晴らしいから、うちに長年勤めている人と同じくらいの賞与が出ているからね」
「そんなにたくさん」
「これだけの事をして貰っている事実もあるし、実力も申し分ないのだから、当然だ。でも他の人には内緒だよ」
賞与の金額まで大声で喋る相手もいない。それに給料は個人のプライバシーがある。
黙っていても問題の無い部分で、法的に安心な事で処理してくれたのだろう。
私はそう判断して、こっくりと頷いたのだった。
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「ただいまー」
と言っても家には誰もいない。狭苦しい部屋にかすかに流れているバックミュージックは冷凍庫と冷蔵庫の稼働音。部屋の中の匂いは長い間留守にしているからこもった匂い。
季節もやや変わっているから、室内の気配もそれに合わせて少し変わったような気がする。
「疲れた……」
ぶつぶつと独り言を漏らしながら私は、本日から二週間の休暇であるが故に、買い込んだ冷凍食品と冷蔵品を片手にぶら下げ、背中にはツアー添乗員としての必須アイテムがそろったリュックサックを背負い、真っ暗な部屋の中に入った。
とにかく疲れた。それはもう仕方が無い。疲れる事を仕事にしている以上それは単なる現実だ。
「冷凍食品も大分品揃えが変化してるよなあ」
私はがさがさと冷凍食品をセカンド冷凍庫に突っ込みながら呟いた。アイスクリームその他が推しだった季節は過ぎ去り、温かい物が恋しくなる肌寒さも相まって、冷凍食品のセール品その他は大違いだ。
「スイッチで灯りがつくこの快適さ、最高」
私はそんな地球の日本では普通の事を言いながら家の電気を付けて、みっともないがツアー中着ていた服を脱ぎ捨てた。とにかく風呂だ。地球の風呂だ。
異世界の、シンズホテルの風呂は一流だが、やはり自宅の風呂ほど自分をさらけ出すところもそうそうないであろう。風呂は人間の心の一部を写していると言っても過言ではない。
部屋は心を写す鏡だとかいう話だっただろうか。曖昧な記憶ばかりで仕方が無いが部屋や風呂がその人の心理状況を写すのはきっと現実なのだろう。
ツアー旅行に行く前に、カビ対策で真面目に風呂掃除をしていた自分に乾杯。カビだらけの風呂に入りたいわけなど無いから、狭い風呂でも綺麗で清潔な方がいい。
私は埃を流すためにシャワーでざっと風呂場を流し、給湯器のスイッチを付けて適温に調整し、湯船にお湯を貯め始めた。




