平穏の訪れと新たな影
Wデートから数日。学園の庭園には、すっかり穏やかな空気が戻っていた。
「エルザ様! 見てください、ルーク様からお礼にと、綺麗なお花の栞をいただいたんです!」
生徒会室の扉が開くなり、マリア様が嬉しそうにパタパタと駆け寄ってきた。
手元で揺れているのは、丁寧に押し花にされた可愛らしい栞だ。
「まあ、素敵ですわマリア様。ルーク様も案外、乙女心が分かっていらっしゃるのね」
「はい! お茶会のあとも、放課後になると『危ないから』って、図書室からの帰り道を一緒に歩いてくださるんです」
照れくさそうに微笑むマリア様を見て、私は満足げに紅茶を一口含んだ。
(不器用だった騎士候補生も、すっかり立派な『護衛騎士』の顔つきになってきたわね。マリア様の笑顔も守れたし、これで一件落着――)
「エルザ。他人の恋路の報告を聞くのはそれくらいにして、そろそろ僕の書類仕事を手伝ってくれないか」
後ろからぬっと伸ばされた手に、すっぽりと包み込まれる。
アレクセイは私の肩に顔を埋めると、当然のように私の腰へ腕を回してきた。
「ちょっと、アレクセイ様! 執務中ですのよ? マリア様もいらっしゃいますのに……」
「構わない。マリアにはすでに自分の役目を果たしてもらった。これからは僕と君の時間を邪魔させない」
「もう、アレクったら相変わらずエルザ様にベタベタなんだから……! でも、今の私にはルーク様がいますから、邪魔なんてしませんよーだ!」
あっかんべーと可愛らしく舌を出すマリア様。かつての「ヒロインと悪役令嬢」のピリピリした関係など、もはやどこにも存在しない。
(ふふ、本当に平和になったわ。破滅フラグも全部折ったし、あとはこの重すぎる婚約者の甘々攻撃をいなしていけば、私の平和な未来は約束されたようなものね!)
自分の立ち回りの完璧さに、心の中でニヤリと鼻高々になっていた――その時だった。
コンコン、と控えめなノックの音が鳴り、生徒会室の扉が開いた。
「失礼いたします。カルステイン会長、ヴァルハイト様。……学園長室より、来週の『学院祭』に関する資料をお届けに上がりました」
入ってきたのは、眼鏡をかけた真面目そうな生徒会書記の男子生徒だった。
彼は丁寧に一礼すると、執務机の上に一束の資料を置いた。
「ご苦労。そこに置いておいてくれ」
アレクセイ様が短い返事をして書類を受け取ろうとした、その瞬間。
書記の生徒が、袖口から一瞬だけ覗かせた手指の動きを、私の目が捉えた。
(……え?)
ほんのコンマ何秒かの出来事。
彼が机の上に置いた一番上の資料の下――そこに、見覚えのある「漆黒の封筒」が、滑り込ませるように挟み込まれたのだ。
「それでは、失礼いたします」
生徒が何事もなかったかのように一礼し、部屋を出ていく。
静まり返る生徒会室。
私は嫌な予感に背筋を凍らせながら、そっとその封筒に手を伸ばした。
「エルザ、待ちなさい」
アレクセイ様が素早く私の手を制し、険しい表情で封筒を手に取る。
封を切って中から取り出されたのは、血のような赤で書かれた一筋の手紙だった。
『――偽りの平穏を貪る悪役令嬢へ。
次の学院祭で、貴女の化けの皮を剥がし、真の破滅を与えよう』
黒い封筒に込められた、明らかな意図と悪意。
先日のルーク様の不器用な脅迫状とはまるで違う、本物の「毒」を含んだ文面。
「……っ!?」
マリア様が息を呑み、顔を蒼白にする。
そして、アレクセイ様の紫の瞳から、すっと温度が消え去った。
「……なるほど。前回の騒ぎに紛れて、本物の鼠が隠れていたというわけか」
アレクセイ様の手の中で、手紙がパキパキと凍りつくような不穏な音が響く。
(ルーク様の脅迫状は偽物だった……。じゃあ、最初から私を狙っていた『本当の裏幕』が、学園の中に潜んでいたってこと……!?)
解決したと思っていた事件の裏に隠されていた、真の破滅フラグ。
平和になりかけた学園生活に、学院祭という華やかな舞台を前にして、再び不穏な影が忍び寄ろうとしていた。




