はじめての公爵邸と、重すぎる手引き
「エルザ。今週末、カルステイン公爵邸の晩餐会に来てほしい」
生徒会室で書類にペンを走らせながら、アレクセイがごく自然な口調で言ってきた。
「晩餐会……ですか?」
私が紅茶を飲む手を止めると、彼はペンを置き、逃げ道をふさぐような甘くて鋭い視線をこちらに向けてきた。
「ああ。父上が『息子の婚約者を正式に招きたい』と言っていてね。もちろん君の都合が最優先だけど……断る選択肢はないと思ってほしい」
(断らせる気ゼロじゃないの!!)
前世の記憶を取り戻す前の私なら、「まあ! 公爵様のお招きですのね!」と大はしゃぎで濃紺のドレスを買いに走っていたはずだ。
だけど今の私は知っている。アレクセイのお父様であるカルステイン公爵は、国の軍事や外交を仕切る「冷血な鉄血公爵」として恐れられている人物だ。
(乙女ゲームのシナリオでも、悪役令嬢のエルザは公爵から『気品も配慮も足りない娘だ』と吐き捨てられて嫌われていたはず……)
一歩間違えれば、あの冷たい公爵から厳しい視線を浴びせられる危険なイベント。
……だけど、今の私はひと味違う。
(……ふっ。逃げられないなら、徹底的に完璧な『公爵家の嫁候補』を演じきってみせようじゃないの!)
◇
数日後の週末。
我がヴァルハイト伯爵邸の前にやってきたのは、公爵家の紋章が入った最高級の黒塗り馬車だった。
エスコートのために降りてきたアレクセイは、私を見た瞬間、息をのんで足を止めた。
今夜の私は、派手すぎる飾りをぜんぶ削ぎ落とした、上品なアイスブルーのドレス。
髪は美しく結い上げ、立ち振る舞いには前世の社会人生活で身につけたマナーと、伯爵令嬢としての気品を完璧に組み合わせていた。
「……エルザ。あまりにも綺麗すぎて、屋敷から出したくなくなるな」
「お戯れを、アレクセイ様。公爵様をお待たせするわけにはいきませんわ」
私は余裕たっぷりの笑みを浮かべ、アレクセイの手の上にそっと自分の手を重ねた。
彼の指が、逃がさないとばかりにギュッと強く握り返してくる。
馬車に揺られること三十分。
到着したカルステイン公爵邸の大食堂では、重厚なテーブルの奥に、威圧感をただよわせた白髪まじりの紳士――カルステイン公爵が静かに座っていた。
部屋に満ちる、ピリッとした緊張感。
「――父上。婚約者のエルザ・フォン・ヴァルハイト伯爵令嬢をお連れしました」
アレクセイの声に合わせ、私はすきのない完璧なお辞儀を披露した。
「お初にお目にかかります、カルステイン公爵様。本日は格別なお招きをいただき、心より光栄に存じます」
静けさが室内を包み込む。
公爵の鋭い視線が、私を頭からつま先までじっくりと確かめるように走った。
(さあ、どうかしら公爵様! 文句をつけるすきなんて一ミリも残していないわよ!)
内心でニヤリと笑う私に対し、公爵はゆっくりと口を開いた。
「……うむ。良い挨拶だ。……ところで、アレクセイ」
公爵は私の挨拶をほめたあと、隣に立つ息子へと視線を向けた。
「……お前はなぜ、先ほどからエルザ嬢を片時も離そうとしないのだ?」
「っ……!?」
公爵の指摘に、私は思わず固まった。
見れば、アレクセイは挨拶の最中も、私の腰にしっかりと手を回し、逃げられないように抱き寄せたままだったのだ。
「父上、これは妻となる者への当然の配慮です」
「……まだ婚約段階だ。それに、エルザ嬢が少し困っているではないか」
公爵は深々とため息をつき、眉間を押さえた。
冷血と恐れられた公爵の目に浮かんでいたのは、冷酷さではなく――「急に重すぎるヤンデレになった息子に対する、深い困惑と頭痛」だった。
(……あれ? 思っていた『冷酷な公爵からのイビリ』と、雰囲気が全然違うような……!?)




