表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生したら薬草だった件 ~最強の根を張るのは、異世界の大地の上で~  作者: parade


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

23/25

二十二話「魔素雨、もう一度」

 雨の匂いがしたのは、日が暮れてすぐだった。


 リコには分かった。これはただの雨ではない。土の中の魔素が蒸発して、大気と混ざって、また降ってくる。あの雨だ。


 最初に人の姿になった、あの夜の雨と同じ。


 リコは新芽を揺らした。大きく、はっきりと。


 ガリウスが気づいた。


「どうした」


 もう一度、揺らした。空を向けて。


 ガリウスが空を見た。雲の色が、普通の雨雲と違った。光を含んだような、薄く発光するような色。


「レイン」ガリウスが呼んだ。「テントを張れ。雨が来る」


「どんな雨」


「魔素雨だ」


---


 レインが手を止めた。


 ソフィアが振り返った。


 二人の目が、リコの鉢に向いた。


「リコが」レインが言った。「また」


「降り始める前に、屋根の下に入れた方がいいのか、外に出した方がいいのか」ガリウスが言った。


 リコは新芽を、外の方向へ傾けた。


「外か」


 傾けたまま、動かなかった。


 ガリウスは少し考えてから、鉢を荷から外した。


 抱えて、立った。


「降り始めたら、テントに入れ」とレインに言った。「俺はリコと外にいる」


「なんで」


「最初のときもそうだったから」


 レインは何も言わなかった。


---


 雨は静かに始まった。


 音がした。でも普通の雨音と少し違った。土に当たる音が、わずかに低かった。重さが違うような。


 ガリウスは木の下に立っていた。リコの鉢を両手で持って。


 雨粒がリコの花弁だった場所に──今は新芽だけがある茎に──当たった。


 それから。


 茎が伸びた。


 ゆっくりと、でも確かに。節が増えた。葉が広がった。花が咲いた。咲いて、また閉じて、また開いて。最初に人化したときと同じように。


 それから──茎から、腕が出た。


---


 テントの中から、レインがこっそり見ていた。ソフィアも隣で見ていた。


 人の姿が、完成した。


 白い花弁を散らした髪。薄い緑の、植物の繊維でできたような衣。


 最初に会ったときより、少し変わっていた。髪の色が少し濃かった。目が、少し落ち着いた色をしていた。


 でも、リコだった。


 人の形のリコが、雨の中に立っていた。


---


 ガリウスが声をかけた。


「久しぶりだな」


 リコが振り返った。


 口が開いた。


「……久しぶり」


 声だった。


 低くも高くもない、穏やかな声。リコの声。


 ガリウスは何も言えなかった。


「聞こえてた」とリコは言った。「全部。声にしなくても。どうしてかは分からないけど、ガリウスが言ったことは聞こえてた」


「全部」


「大変だったな、って言ってくれたとき。声に出さなかったやつも」


 ガリウスは息を吐いた。


「それは恥ずかしいな」


「ごめん」リコは少し笑った。「でも助かってた。毎回」


---


 レインとソフィアがテントから出てきた。


 走ってきた。雨の中を。


「リコ!」レインが呼んだ。


「レイン」リコが応えた。声で。


 レインが立ち止まった。泣いていた。走りながら泣いていた。


「声、ある」


「ある」


「良かった。良かった」レインは繰り返した。言葉が他に出てこない様子で。


「辞典、見せて」リコが言った。


 レインは濡れた帳面を出した。リコが受け取って、雨の中でページをめくった。


 一項目ずつ、目で追った。


「全部合ってる」リコは言った。


 レインが顔を覆った。


「一個だけ、追加してほしい」


「何の香り」


「春の野原」


「懐かしさ、怖くないという意思表示、って書いてある」


「合ってる。でももう一個意味がある」リコは帳面をレインに返した。「ありがとうの、別の言い方」


 レインは書いた。雨で滲んだが、書いた。


---


 ソフィアが近づいた。リコと向き合った。


 二人は少し、似ていた。年頃も近い。でも何か根本的なところが違った。リコには土の匂いがして、ソフィアには空の匂いがした。


「根」とリコが言った。「返さなくていい。あげたんだから」


「でも」


「借りたまま終わりたくない、って言ってたの、聞こえてた。あの夜、香りは出せなかったけど、ちゃんと届いてた」


 ソフィアは口を閉じた。


「それと」リコは続けた。「ハナ、元気だよ。根が張れてる。あの子、最初は怖がってたけど」


「怖がってた?」


「知らない場所で一人で芽吹いたから。大丈夫だよって言ったら、落ち着いた」


「話してたんだ」


「話してた。あの夜、ソフィアが見てたの、分かってた」


 ソフィアは笑った。泣きながら、笑った。


「ありがとう」


「どういたしまして」


---


「名前」とガリウスが言った。「教えてくれるか。向こうの世界での」


 リコはガリウスを見た。


「神崎莉子」と言った。「リコは、そこから」


「神崎莉子」ガリウスが繰り返した。「覚えた」


「忘れなくていい。リコでいい。でも」リコは少し間を置いた。「知っててほしかった」


「なんで」


「ガリウスが、前の世界での名前を聞いたとき、うん、って答えたから。あの約束、覚えてた」


 ガリウスは口を閉じた。


 覚えていた。花弁一枚の返事を、ガリウスも覚えていた。


---


 ソフィアがリコに聞いた。


「向こうの世界の言語、知ってる?」


 ソフィアが、18話で目覚めた直後に発した言葉を、もう一度口にした。あの短い、切実な響きの言葉を。


 リコが目を見開いた。


「……知ってる」


「どこで」


「分からない。でも、聞いたことがある。向こうにいたとき」


「何て意味かも分かる?」


 リコは少し考えた。


「『ここはどこ』……だと思う。たぶん」


 ソフィアが固まった。


「それで合ってる」ソフィアはゆっくり言った。「目が覚めたとき、反射的に出た言葉だった」


 二人は雨の中で、しばらく黙った。


「同じ場所から来たのかな」リコが言った。


「分からない。でも」ソフィアは空を見た。「空の色が同じだった気がする。向こうの」


 答えは出なかった。


 出さないまま、並んで雨を受けていた。


---


「その歌」リコがソフィアに言った。「空洞で歌ってたやつ。知ってる」


「どこで」


「向こうで聞いたことある。どこでかは分からない。誰が歌ってたかも」


「わたしも分からない。勝手に出てきた」


「でも知ってた」


「うん」


 二人はそれ以上、追わなかった。


 分からないことは、分からないままにする。


 それで今夜は十分だった。


---


 雨が小さくなってきた頃、リコはガリウスの隣に立った。


「怖かったことが、一つある」と言った。


「言えるか」


「器だって言われたとき。自分がここにいる理由が、最初から決められていた気がして。自分じゃない何かのために使われるために来た気がして」


「怖かったな」


「うん。でも」リコは雨を見た。「ガリウスが、決めるのはお前だって言ったとき。初めて、ここにいていいと思えた」


 ガリウスは何も言わなかった。


「それだけ」リコは続けた。「ずっと言いたかった。言えなかったけど」


「伝わってた」


「そう?」


「たぶん。でもちゃんと聞けて良かった」


 リコは少し笑った。


「アルマ先生に伝えてほしい」リコは言った。「怒ってないって。むしろ、来られて良かったって」


「伝える」


「会えるか分からないけど」


「会えなくても、いつか伝える方法を見つける」


 リコは頷いた。


---


 雨が、止みそうになってきた。


 リコが感じた。あと少し。人の姿でいられるのは。


 言いたいことは言えた。


 でも。


「もう一つ、聞きたいことがある」とリコは言った。


「何だ」


 その瞬間。


 雨が、止んだ。


---


 静寂。


 リコの姿が、薄くなり始めた。


 花弁になって、散って、茎になって、新芽になって。


 ガリウスが鉢を受け取った。自動的に、慣れた動きで。


 新芽が二本、手の中にあった。


 「続きは」とガリウスは言った。「今度でいいか」


 新芽が、一度だけ、大きく揺れた。


 「うん」という意味だと、ガリウスは受け取った。


---


 焚火の前で、四人は乾かしていた。


 レインが帳面の濡れたページをそっと広げていた。


 ソフィアがハナの鉢を確認していた。雨に当たって、葉が少し増えていた。


 ガリウスはリコの鉢を膝に置いていた。


 誰も、しばらく話さなかった。


 話す必要がなかった。


 それだけのことが、今夜、起きた。


---


 ガリウスは新芽を見ながら思った。


 あの夜の続き、もう一度聞きたいことがある、とリコは言った。


 何を聞こうとしていたのか。


 次の魔素雨まで、分からない。


 でも。


 言おうとしていた、ということが分かった。


 それで、今夜は十分だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ