ペロッペ
八月下旬、不可思議な電話が警察署から入った。わたしは警察を装う詐欺の可能性も十分に考え、とても警戒しながら電話に出た。
「〇〇警察署(我が家の所轄)で落とし物の管理をしているものですが、✕✕(薬局)の近くで鶏が逃げてきたと通報がありまして、確保したという状況なんですけれども、✕✕の近くにお住まいで鶏を飼育していらっしゃるのが長尾さんだと家畜衛生保健事務所に聞いたものですから……」
という電話だった。身バレはこの際どうでもいい。わたしは別に隠すべき行動はしていない。詐欺だったとして、ここからどう金を騙し取られるのか全く見当がつかない。鶏の身代金? 鶏を飼っている人間を炙りだして何がしたい? 考えてもわからない。
「ちなみに、その鶏の色は……?」
「茶色です」
もみちゃんは茶色である。めちゃくちゃ茶色である。
「一応うちのアパートの部屋は毎朝施錠していますし、鶏が自力で玄関を開けて逃げ出すことは考えにくいので、うちの子ではないかもしれません」
とは答えたものの、内心めちゃくちゃドキドキしていた。施錠したつもりでドアが半開きだったら、とか、空き巣が侵入してそれに驚いたもみちゃんが命からがら逃げ出したのではないか、とか。
「心配なので、帰宅して確認します。また折り返します」
そう言って電話を切った。電話番号を検索すると、ちゃんと所轄の警察署だった。
めちゃくちゃ仕事中だったし、体調不良が続いて毎週どこかで休んでいたのを怒られた日だったし、早退させてもらえるかわからなかったが、ダメ元で先輩に話を切り出した。きっと当時のわたしは酷く取り乱していたのだろう。やや引かれ気味に早退を許可された。
平素ならばたばこ休憩を挟んで一時間半くらいかけて帰宅するのだが、この日は気が動転していたので、帰り道の記憶がない。事故は起こさなかったので、運転が意識の深くに染み付いているなと実感する。
はたして、もみちゃんはクッションの上ですやすやしていた。
おい!!!!!
こっちはクッソ心配してクビ切られる覚悟で早退してきてんぞ!!!!!
どこかへ行ってしまっていたらもっとパニックになって泣き叫ぶだろうに、わたしはその平穏な風景に笑いさえ込み上げてきた。もみちゃんがそこにいるだけで、こっちの心配を返せと怒り、無事でよかったと安堵し、飼い主がいない昼間はそこで寝てるんだねと愛しさを感じ、感情がぐちゃぐちゃになった。余計に具合が悪くなった。
警察署には、うちの子ではありませんでした、と連絡を入れ、家畜衛生保健事務所には、周りに鶏を飼っている人間がいたら教えてほしいと言われ、クタクタになった。
……それにしても。鶏は落とし物なのか? まあ迷い猫なんかも落とし物として捜索されるらしいからな。鶏が落とし物か……笑える。心当たりのある鶏飼育者はわたしに連絡をください。警察署の名前と番号をお伝えします。
落とし物ではないが、わたしは忘れものが多い小学生だった。当時鍵っ子だったわたしは、年がら年中家の鍵を家に忘れたり学校に忘れたりした。母が首から下げるための紐を鍵につけておいてくれたのに、鍵そのものの存在を忘れるだとか、体育の授業で着替えるときに外した鍵を教室の引き出しに忘れるだとか、そんなことが毎月のようにあった。
忘れものといえば、思い出すことがある。また小学生の頃の話なのだが、校庭のターザンロープ付近で、ディズニーのネズミっぽいミニフィギュアを拾ったことがある。決してミッ〇ーではなかったが、ディズニーっぽいなと思った。わたしはそいつにペロッペという名前を付けて可愛がることにした。
ペロッペはいつも一緒にいた。わたしの小学校の体操服には、袖に小さなポケットがついていたから、そこがペロッペの特等席だった。教室の引き出しの中で一緒に授業を聞き、体育の時間はポケットに入って一緒に運動する。給食の時間もペロッペは机の上にいて、休み時間も校庭の隅の秘密の場所に連れ回した。
もちろん帰宅してからも一緒にいる。ペロッペをいつもズボンのポケットに入れ、一キロもない通学路をひとりでグリコなどしながら帰ったり、ザリガニの捕れる裏道で、ザリガニを探しながら帰ることもあった。寺の息子と遊ぶために、寺の隣の八幡宮に遊びに行くときも、紙屋の娘と遊んでダンボールハウスを作るときも、ずっと一緒だった。
当時のわたしは妖精と暮らす魔法使いという設定だったから、目に見えない(当時は見えているという設定)妖精ではなく、見えて触れるペロッペは初めてできた人間以外の友達といっても過言ではなかった。
しかし、ペロッペとの別れは突然に訪れる。前述のとおり、忘れものの多かったわたくし。お風呂に入ろうと思ってペロッペを一緒に風呂場に連れて行った。当時住んでいた団地の風呂場はお世辞にもきれいとは言えない、なめくじとゴ〇〇リの巣窟のようなコンクリート打ちっぱなしの寒々しくじめついた暗い空間だった。少しでも楽しい入浴時間にしようとペロッペを連れて行ったのが間違いだった。
わたしは、湯船に入るとき、ふたを開けて丸めて立てるようにしていた。その日も、そうだった。ふたの上にペロッペがいることも忘れて。
ふたの上に置かれたペロッペは、ふたの上に置いた張本人の手によって、暗い、すのこの台の下に落ちていった。もうすのこ台の下に落ちてしまえば救えない。わしらには救えないものじゃよ、ポッター。
それに気付いたのはペロッペの落下音を聞いた瞬間だった。しまった! と気付いたものの、もうどうすることもできず、顔を洗って顔が濡れているのか、涙で頬が濡れているのか、全くわからない状態になって風呂を出た。親にはペロッペのことは話していなかった。取り上げられて捨てられる気がしていたから。
ペロッペとの短い生活は、わたし自身が終止符を打ち、幕を閉じた。
誰かの忘れものが、わたしの忘れっぽさによって、ゴミになってしまった。未だに思い出しては胸の辺りが苦くなる。
ペロッペがどんな顔をしていたのかすら、いまは思い出の中でぼやけてしまっている。




