黒鋭角
「急に呼び出してなんだってんだ、一城の主になったからって何でも許されると思うな。まあ、今日は祝い酒だからつきあうが」
「ああ、悪かった。俺の買った家は良かった。狭いながらも庭があり、垣根の向こうに柿の木や紅葉が植わっている。今時珍しい全木造りで夏に背伸びし、冬に屈まる、息をし、成長する家。季節感も味わえる、俺にはこれ以上望めない程良い家だ。娘は古臭いとごねたが」
「さっそく自慢か。それで、住み始めてもうそれなりの時間経つだろう、そろそろ俺も呼んでくれ」
「しかし、だがな、家。あの家が、たまらん、もうたまらんのだ」
「何が、そういえばお前、結構やつれたな」
「隣家だよ、隣の家。二階の窓から墨硯程真っ黒な箱が覗いていたんだ、鋭角で切り出したばかりの石材のような妙に四角張った。その家から昼も夜も、嬌声やら歌声やら、終いには喘ぎや怒声まで聞こえてくる。煩くて気が狂いそうだ。だがなぜか、妻や娘には声も聞こえず、あの箱も見えない」
「お前は真面目すぎたんだ。家を買った事で体から緊張が抜けた、その隙に変なものを見た、それだけだ、気にするな」
「俺は隣家に乗り込んだ。だが、中は無人だ。近所のご婦人から話を聞いたら有名な幽霊屋敷なのだそうだ。新しく住みついた者も、ひと月持たず引っ越すか、変死してしまう。信じられるか、不動産連中には隣の家までは説明の義務はない。俺は馬鹿だったんだ、馬鹿だった」
「何を言ってるんだ、実質住んでる家には被害が無いんだろう。なら何も問題ないじゃないか」
「いいや、ある。俺が越して二月が過ぎる頃、隣家は取り壊された。その際に作業員が一人、奇声を上げて道路を突っ切ろうとして撥ねられてな。大変な騒ぎにもなったが、そんなものはどうでもいい、問題は別にある」
「どうでもいいってお前、でもそれなら尚更良かったじゃないか、そうなりゃもう建てられることもないし安心だろう」
「違ったんだよ。二階の窓から見えていた箱は、一部でしかなかった。家が取り壊されて全体が見えてきた、巨大な箱だ。工事連中、あの箱の中を平気で出入りしていた、見えてないんだな。信じられない、圧倒的な威圧感。あれ程に禍々しいにも拘らず。あの箱、作業員が一人死んで少しでかくなったんだ。もう少しで俺の家の敷地に入る」
「そんなのは幻想だ、大体なんで箱だと思ったんだ。そんなもの箱じゃないだろう」
「あれは箱だ、なぜなら時折蓋が開いてあれらが顔をみせるんだ。同時に大音声で騒ぎだす。たまらん、もうたまらんのだ」
「お前大丈夫か、目がおかしいぞ。それに、ビールも飲んでないのに口から泡が」
「ああ、たまらん。あの箱の中に入りたい、そう思ってしまう自分が」