七 復讐者の貌
処分は迅速であった。
役員昇進の話は消え、懲戒処分と、解雇一歩手前の降格が通達された。席は窓際の、書類棚の陰に移された。その月のうちに、恵子は黙って離婚届を食卓に置いた。判は既に押されていた。
「あなたは、一度も私の話を聞かなかった」恵子は言った。「説明しろと言うだけで」
小坂は反論しなかった。できなかった。
窓際で過ごす日々のなかで、小坂は一つの疑問に取り憑かれた。
なぜ、あれほど完璧に証拠が揃っていたのか。不正の指示メールは、社内でも限られた者しか知らないはずだった。怪文書の文面も、あの音声も、まるで、小坂の傍にずっといた者が作ったかのようであった。
小坂は元来、論理の人である。疑問を放置できない性分が、今度は彼自身の首を締めた。彼は過去の人事記録を洗い、怪文書の言い回しの癖を追い、そして、ひとつの名にたどり着いた。
高橋智樹。享年二十四。五年前、別の会社で小坂の部下であった男。小坂の詰問に耐えかねて精神を病み、ある冬の朝、自ら命を絶った。
小坂は、その名をほとんど覚えていなかった。大勢いた部下の一人にすぎなかったのである。覚えていたのは、「彼は打たれ弱かった」という、自分に都合のよい総括だけだった。
遺族の欄には、兄の名があった。高橋隆一。
小坂は椅子から動けなくなった。
すべてが、静かに、組み変わっていった。
高橋隆一は、弟を死に追いやった男の性格を、五年かけて研究していた。揚げ足を取りたくなる癖。曖昧な言葉に過敏に反応する習性。自分の理屈を理解してくれる者に、無条件に心を許す弱さ。それらを調べ上げた末に、彼は「完璧な部下」として小坂の前に現れたのである。
小坂が最も攻撃したくなる絶妙な隙を作り、それを完璧に塞いでみせる。それが信頼を生む。信頼は依存を生む。依存した人間は、背中を押されれば、自分から崖へ歩いていく。
高橋は何ひとつ、強制しなかった。
完璧な論理の城を築き上げた気でいた小坂は、その城壁の石垣ひとつひとつが、最初から復讐者によって崩されるために積み上げられていた事実を、いまさら知るのだった。




