第13話
鉄柵の向こうで、セディックが縋るように叫んだ。
「お、オスカー・ヴァレンティン卿……! 誤解です、私はローレンス侯爵家の嫡男……いや、その、エレノアの婚約者です! エレノアを騙してこんな辺境へ連れ去ったのでしょう!? 今すぐ彼女を返しなさい!」
「騙した、だと?」
オスカーは門へ一歩近づいた。
革靴が石畳を鳴らした瞬間、周囲の空気が張り詰める。
「貴様らが家族会議の席で、エレノアに家督と婚約者の座を放棄させた署名入りの書類は、すでに王都の貴族院から写しを取り寄せてある。……『身を引いてくれれば丸く収まる』と言って彼女を追い出したのは、貴様ら自身だろう」
「そ、それは……!」
元クロムウェル伯爵が震える声で割り込んできた。
「親子の、家族の些細な行き違いです! 親が娘を躾けるのは当然のこと! あの子も少し頭を冷やせば、親のありがたみがわかるはず……! エレノアをここに呼んでください! 顔を見れば、あの子は必ず言うことを聞きます!」
その卑しい言葉に、オスカーの金色の瞳から一切の感情が消えた。
元伯爵が鉄柵の隙間へ差し入れかけた手を、門番が押し戻した。
「彼女は会わないと言っている。顔を見せれば従う、などと思うな」
「な……っ!?」
「エレノアは、自分の意思でここにいる。俺が結婚を申し込み、彼女が受けてくれた。……貴様らが連れ戻して働かせる娘は、ここにはいない」
セディックが、再び鉄柵へしがみついた。
「婚約だと!? そんなもの、認められるか! エレノア、出てこい!!」
オスカーは声を荒らげなかった。
「二度と、そんなふうに彼女の名を呼ぶな」
セディックの手が止まった。
「借金の話なら清算を担当する役人へ持っていけ。彼女に負わせるな。ここへ何度来ても、返事は変わらない」
「お姉様は、私を見捨てません! お姉様、聞いているんでしょう!?」
マリアンヌが門を叩いた。
オスカーが護衛へ目を向けると、両脇の通用口から兵士たちが出てきた。
「退去を命じる。従わずに門を壊したり、屋敷へ押し入ろうとしたりすれば拘束する。……兵をつけて街道まで送れ。今後、彼女に付きまとうようなら、すぐに知らせろ」
「ま、待ってくれ! 娘に一言、話をさせてくれ!」
「嫌よ! お姉様、助けて! お金を頂戴よぉぉッ!」
歩くよう促されても、三人は門から離れようとしなかった。
結局、セディックは柵から手を引き剥がされ、マリアンヌは兵士に両脇を支えられて連れていかれた。元伯爵は何度も振り返ったが、屋敷の扉は閉じたままだった。
オスカーは、三人が通りの角を曲がるまで門の前を動かなかった。
*
領主邸の二階、海を見渡す執務室。
私は、柔らかなクッションの置かれた椅子に深く腰掛け、湯気の立つ紅茶を口に含んでいた。
柑橘と蜂蜜の甘い香りが、喉を心地よく潤していく。
海に面した窓は、門とは反対側にある。閉じた扉の向こうで、かすかに声がした。
父の声だった気もする。
カップを置きかけて、手を止めた。
会わないと、もう伝えたのだ。怒鳴られたからといって、返事を変える必要はない。
私はもうひと口、紅茶を飲んだ。
今日は、蜂蜜を少し入れすぎてしまった。けれど、その甘さがありがたかった。
しばらくすると、廊下の気配も静かになった。
私は席を立たなかった。カップの底に残った紅茶を、ゆっくり飲み終えた。
カチャリと扉が開き、オスカーが部屋に入ってきた。
私を見ると、彼は足を止めた。
何か言おうとしてから、少しだけ眉尻を下げる。
「……怖がらせたか」
「いいえ」
私は立ち上がり、ふわりと笑って首を振った。
「紅茶が冷める前に、飲み終わりました」
オスカーは一瞬きょとんとした後、ふっと喉を鳴らして笑った。
彼が手を伸ばすより先に、私は近づいて、その腰へ腕を回した。
「ありがとう。……会わずに済んで、ほっとしました」
背中へ、大きな手が回ってくる。
しばらく抱き合ってから、私は顔を上げた。
「オスカー様にも、お茶を淹れますね」
「今は、このままがいい」
思いがけない返事に、胸が温かくなった。
私は胸元へ顔をうずめ、もう少しだけ腕に力を込めた。




