第20話 わたしのおにいちゃん
◇妹分:日向 葵視点
私は満たされていたと思う。
一人娘として両親に、英雄の関係者として近隣住民に、毎日のように可愛がられる。
ひいじいちゃんの元パーティーメンバーだった人たちも、もちろん可愛がってくれた。残念ながら皆高齢で、私が小学校を卒業するまでに亡くなってしまったが、それでも話してくれた内容は今でも覚えている。
私は、今でも後悔している。
彼は昔から、人前に肌を露出しない人だった。夏休みでもプールに行ったりしないし、一緒にお風呂に入ったこともない。
けど、私はその時どうしても彼とプールに行きたかった。当時小学1年生で、聞き分けのない私を……中学1年生の彼はとても困ったように、それでも一緒に来てくれた。
お互いに一人っ子で、多分お互いに兄妹だと思っていたのだろう。たくさん甘やかしてくれたし、その分たくさん甘えた。
だからこそ、踏み込んでいい場所がわからなかったのだ。小1の子供が理解できることではないだろうが、それでも今も私は、それが小骨のように刺さり続けている。
頑なに長袖の上着を脱ごうとしない彼に、私は全力で甘えた。一緒に泳ぎたい、だからそれを脱いで一緒に行こうと。
何故そうして甘える私を、周囲の大人たちは止めようとするのか。無知で甘やかされていた私は、何も気付いていなかった。
仕方ない、と言わんばかりに上着を脱いだ彼の体は、いくつもの古い火傷の痕と、浸出液が染みついたガーゼ。
「ごめんね、僕、怪我してるから入れないんだ」
そう言いながら頭を撫でようとしたその手を。
私は。
避けてしまった。
あの時の彼の顔が記憶にこびり付いている。
もしもあの瞬間の私に戻れるなら、その手を拒んだりしないのに。
その後のことは思い出せない。気付いたら、もう彼も私もそれぞれの自宅に帰っていた。
ただ、その後も彼はいつも通り接してくれた。
私も、それに甘えていつも通り過ごした。謝る言葉もないままに、彼の優しさに甘えたのだ。
私が意を決して謝ることが出来たのは、中学生になってから……彼は既に高校を卒業し、ダンジョン攻略者となっていた時だ。
遅すぎた、と自分でも思っている。だけど、そうして謝った私に、彼は事情をきちんと話してくれた。
ダンジョンに憧れた。だけど、自分はダンジョンに向かない特殊スキル。
使っていればいつかはスキルが成長して、パーティーを組んでダンジョン攻略だって出来る。
スキル効果の関係上、肉体が傷つくのは仕方がないし、その見た目が悪いことも理解しているから。
だから、怒ってなんかないし、嫌いになるなんてありえない、と。
泣いた。恥ずかしげもなく泣いた。彼の胸の中で、彼に抱きしめられ、彼に撫でられながら泣いた。
泣き疲れて寝てしまって、起きてもまだ私の頭を撫でてくれていた。
だから仕方がないのだ。
あんな酷いことをしたのに、それでも本当の兄の様に愛情を持ってくれる。
そんな彼……千花兄ぃを、好きになってしまうのは。
私は満たされている。
千花兄ぃと生まれた日が同じという幼馴染が東京に引っ越して、私と千花兄ぃが一緒に居る時間が格段に増えた。
その幼馴染のことを憎く思っていた訳じゃない。ただ、その子のことを話す彼の顔が、祖父のことを話す時に似ていたから……嫉妬の感情があったことは、否定しない。
千花兄ぃは努力家だ。火傷の痕で痛い筈なのに、道場に来ては投げられ叩かれ、それでもひたむきに努力する。
年齢は千花兄ぃの方が上だけど、私は物心ついたときから稽古している。だから千花兄ぃには負けられない。まぁ、自分の気持ちに気付いてからは、良いところを見せたいなんていう武術において不純な動機が混じっていただろうけど。
それでも、やっぱり千花兄ぃは凄かった。
お父さんだって、千花君がいつか道場を継いでくれたら、なんて話していた。
千花兄ぃは笑いながら、僕なんてまだまだですよ、と言っていたけど……。
道場を継ぐってことは、千花兄ぃが私の、お、お婿さんになるってことで……。
真っ赤になった顔は、見られなかったと思う。
だから私が、満たさなくてはいけない。
千花兄ぃが空っぽになった日。
スキルに恵まれなくて、祖父のようになれなくて、それでもダンジョンを諦められないと……千花兄ぃが苦しみながら足掻いていたのに。
彼の大切なものを、ダンジョンが根こそぎ奪っていった。
もしも元あるダンジョンから魔物が溢れても、近くに住む攻略者が被害を最小限に食い止めてくれるだろう。
だが、そんな希望も抱けないくらい、一瞬で連れていかれてしまった。
ダンジョン化。歴史の授業でしか聞いたことが無い。起こるはずがない事件。
事故ではなく事件とされているのは、そこに何らかの意思があった可能性を否定できないから……らしい。未解決のまま今に至るから、何もわかっていないのだ。
唐金十造の元パーティーメンバー、その親族が寄り合い、葬儀は行われた。
皆が涙を流し、遺体も無い葬儀で故人を偲ぶ中……千花兄ぃは、泣いていなかった。
どこまでも絶望して、どこまでも虚ろな瞳で、何もない所を見つめ続ける。
そんな彼を、私は放っておくことなんてできなかった。
だから私が、守らなければならない。
千花兄ぃは、今まで以上にダンジョンへ入り浸る様になった。
友達のお姉さんがダンジョン協会の受付嬢をしていると言うから、連絡先を交換してもらって、千花兄ぃが追い詰められていないか確認してもらっていた。辛そうではあるけど、毎日ちゃんと安全に戦っていると聞いて、ホッとした。
千花兄ぃの配信を見ることはできなかった。だって千花兄ぃ、視聴制限をかけているんだ。
理由はわからないけど、攻略者証を持っていないと見られない設定。だから、代わりに確認してもらうんだ。
近所の人たちとも交流を欠かさなかった。千花兄ぃに優しくしてもらえるように。……まぁ、私がそんなことしなくても、皆元から優しかったけど。
それでも無駄なことだったとは思わない。千花兄ぃを一番近くで見守ることが出来るのは私だ。
18歳になったら……攻略者になれたら、すぐに千花兄ぃとダンジョンに行くんだ。
毎日何時間でも一緒に居て、毎日一番近くで千花兄ぃを支えるんだ。
彼が望む私になり続けるんだ。
どこか遠くに行ってしまった幼馴染なんかより、私の方が近くに居られるから。
私が千花兄ぃを守るんだ。
千花兄ぃに呼ばれた。
電話で、話があって家に来て欲しいって。大切な話なのかな。
ついに、私の想いも実るのかな。
急いで予定をキャンセルして家を飛び出し辿り着いてみれば。
別の意味で頭が真っ白になった。
誰?このひとたち。
◆妹分:日向 葵視点 終了




