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予期せぬ来訪者②

 張り詰めた空気を切り裂くように、騎士たちの後方から一つの足音が進み出てきた。

 銀色の装甲がこすれる音とは違う、柔らかな布擦れの音。

 現れたのは、金糸の刺繍が施された豪奢な外套と、質の良い絹の服を纏った若い男だった。

 年齢は二十代半ば。整った顔立ちには知性が漂っているが、その表情は疲労と切迫感に歪んでいる。


 ブレイドは眉をひそめた。

 どこかで見たことがある顔だ。しかし、名前まではすぐに思い出せない。


 男はブレイドの数歩手前まで進み出ると、信じられない行動に出た。

 泥や埃で汚れることなど一切気にする素振りもなく、セシリアの隣で石畳に両膝をついたのだ。


「なっ……! ア、アンドリュー様!? なりませぬ、あなた様がそのような真似を……!」


 隣で平伏していたセシリアが、弾かれたように顔を上げて悲鳴のような声を上げた。

『アンドリュー』。

 その名を聞いて、ブレイドの記憶の糸がようやく繋がった。


(……ああ、思い出した。ルナリア王国の第一王子か)


 勇者として王宮に招かれていた頃、遠巻きに何度か顔を見たことがある。

 当時の国王であるミハエルの背後に控え、常に控えめで大人しい印象の青年だった。


「セシリア。君一人に重荷を背負わせるわけにはいかない。それに、これは私自身の責任でもある」


 アンドリューはセシリアを優しく制すると、真っ直ぐにブレイドを見上げた。

 その瞳には、一国の王族としての矜持と、それを投げ打ってでも掴み取らねばならない覚悟が宿っている。


「……勇者ブレイド殿。不躾な現れ方をしたこと、深くお詫びする。だが、どうか王都を、ルナリアを救ってはくれないだろうか。これは、国王としての私からの正式な懇願だ」

「ほう?」


 ブレイドは口の端を少しだけ吊り上げた。

 皮肉な響きを含んだ声で問い返す。


「国王、だと? ルナリアの王はあのふんぞり返った狸親父のミハエルだったはずだが。お前はただの王子だろう」

「今は私がルナリアの国王だ」


 アンドリューは静かに、だがはっきりと言い放った。


「前国王ミハエルは、半年前に王座を剥奪され、幽閉の身となっている」

「……クーデターか。随分と思い切ったことをしたな。若造が」

「クーデターではない。正当な弾劾だ」


 アンドリューの言葉に、苦渋の色が滲む。


「父……前国王ミハエルは、世界の英雄であるブレイド殿の暗殺計画に関与していた。平和になった途端に勇者の力を恐れ、王国の威信を示すためにあなたを始末しようとした。……その愚行が公になり、貴族院と国民の激しい批判を浴びたのだ」

「……へえ」


 ブレイドの相槌は、氷のように冷たく、そして乾いていた。

 王国の上層部が自分の命を狙っていたことなど、とうの昔に気づいていたし、その事実自体には今更何の感情も湧かない。


「私が音頭を取り、父を玉座から引き摺り下ろした。そして私が王位を継ぎ、新たな体制で国を立て直そうとした。……だが、そこに山脈から未曾有の魔物の大群が押し寄せてきた。まるで、英雄を裏切った愚かな国への天罰のようにな」

「天罰ね。都合のいい言葉だ。お前ら人間が身勝手に開拓を進め、魔物の縄張りを荒らした結果だろうに」

「……返す言葉もない」


 アンドリューは深く頭を下げた。

 最高権力者である一国の王が、泥にまみれてただの一介の元勇者に頭を擦り付けている。

 通常であればあり得ない、異常な光景だった。

 周囲の騎士たちも皆、己の無力さを噛み締めるように拳を握り、悔しげに俯いている。


「どうか、お願いだブレイド殿。我々王族が愚かであったことは認める。だが、民に罪はない! 女子供が、罪なき人々が魔物の牙にかかっているのだ! あなたの力さえあれば……」

「断る」


 ブレイドの声は、一陣の冬の風のように冷徹に響いた。


「お前が親父を引きずり下ろそうが、お前が王になろうが、俺には関係のないことだ。民に罪がない? それも知ったことか。俺はもう、誰かのために剣を振るうことはない」

「ブレイド殿……!」

「帰れ。国王直々の頼みだろうが、俺の答えは変わらん」


 絶対的な拒絶。

 王の必死の懇願すらも届かない。

 絶望が、アンドリューとセシリア、そして騎士たちの顔を覆い尽くそうとしたその時だった。


 ちょんちょんと。

 ブレイドの背中に隠れていた小さな手が、彼の外套の裾を軽く引いた。


「……ブレイド」

「ん? どうした、リリア」


 ブレイドは鋭い殺気をすっと収め、振り返ってしゃがみ込む。

 フードの奥で、宝石のような瞳が不安げに揺れていた。


「ねえ、あのひとたち、とっても困ってるみたいだよ?」

「……そうだな。困っているだろうな」

「助けてあげないの……?」


 その無垢な言葉に、ブレイドは一瞬だけ言葉を失った。


「向こうの人……泣きそうなお顔してるよ。ブレイド、いつも言ってるじゃない。悪い魔物がいっぱいいるなら、やっつけちゃえばいいって」

「いや、それは……そうだが」

「お外の世界、いっぱい見せてくれるって約束したのに、魔物さんがいっぱいいたら、遊びに行けないよ? ……助けてあげて?」


 小首を傾げ、純粋無垢な瞳で見上げてくるリリア。

 そして、次の瞬間。


「……くっ、くくくっ……あははははは!!」


 腹の底から湧き上がるような笑い声が、朝の街に響き渡った。

 静まり返っていた空間で、ブレイドが突如として爆笑したのだ。

 アンドリューもセシリアも、周囲の騎士たちも、何が起きているのか分からず呆然とブレイドを見つめている。


 ブレイドは腹を抱えて笑いながら、内心で激しい皮肉を感じていた。


(ああ……なんて傑作だ。人間どもが魔族を根絶やしにしようと開拓を広げ、魔物を殺し、滅ぼそうとしていたのに……)


『魔族』を恐れ、排除しようとしていたのが他でもない『人間』たちだ。

 その人間たちが今、魔族であるリリアの口添えによって救われようとしている。

 こんな極上のブラックジョークが他にあるだろうか。

 皮肉すぎる状況に、ブレイドはどうしても笑いを堪えきれなかった。


「……リリアが、お前たちを助けてやってくれと言うんでな。気が変わった。行ってやってもいい」

「ほ、本当ですか……!?」


 セシリアが顔を輝かせ、アンドリューも信じられないといった表情で顔を上げる。


「おお……感謝する、ブレイド殿……! やはりあなたは慈悲深き英雄……」

「勘違いするな」


 ブレイドの鋭い声が、アンドリューの歓喜の言葉を途中で切り捨てた。


「俺は英雄だから行くわけじゃない。この子の言葉に従うだけだ。そして……タダで動く気は毛頭ない」

「も、もちろん! 報奨金はいくらでも……」

「金はいらんと言ったはずだ」


 ブレイドは聖剣の柄から手を離し、腕を組んでアンドリューを見下ろした。

 その瞳は、獲物を値踏みする肉食獣のようだった。


「俺が欲しいのは、代償だ。……王族の命を、一つ貰おう」

「なっ……!?」

「前国王のミハエルような、価値のないジジイの命じゃない。お前たちにとって最も重く、価値のある命だ。俺が王都の魔物を全て掃討した暁には、その命を俺の好きにさせてもらう。……飲めるか?」


 その要求は、悪魔の契約そのものだった。

 王国の危機を救う代わりに、王族の誰かの命を奪う。


「お待ちください! それでは……」


 セシリアが青ざめて声を上げようとした。

 だが、アンドリューは彼女を制し、真っ直ぐにブレイドを見つめ返した。


「……わかった」

「ほう?」

「王都を、民を救ってくれるのであれば……この私の命、好きにするがいい」


 その言葉に、ブレイドは目を細めた。

 狂気の沙汰か、それとも王としての真の覚悟か。


(……まあ、少しは面白くなってきたか)


「交渉成立だ。さっさと案内しろ、新国王殿」


 ブレイドは外套を翻し、冷笑を浮かべて歩き出した。

 その後ろを、フードを被った小さな魔王の娘が、何も知らない無邪気な足取りでトテトテとついていく。

 王国の命運を懸けた、最高に皮肉で歪な『救済』が、今始まろうとしていた。

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