15-2伝わる
「(…難しい…難しい…)」
ミーナと別れたあと、自室にて、机に向かったギルバートは、熱心に辞書を引いていた。
「(…難しい…とは…?難しいとは…?!)」
ギルバートは血眼で、辞書に載っている、難しい、の項目を読み続け、そして、先ほどミーナが言った言葉の意味をなんとか理解しようとしていた。
「(…俺のことを好きになってほしい、に対する返しが、難しい…?…ということは…、つまり…)」
ギルバートは静かに辞書を閉じると、両手で顔を覆い、椅子の背もたれにこれでもかともたれかかり、背中をのけぞらせた。
「(つまり…。いや、もう一度辞書で言葉の意味を…)」
「…何やってんの?」
急に声をかけられて、ギルバートは、はっと両手を顔からはずした。すると、白い目をしたユーリが反転して立っていた。
「……人の部屋にはいる前にはノックをしろ」
「したし。返事ももらったから」
「あっ、ごめん、僕が返事しちゃった…」
ソファーに座ってお菓子を食べていたらしいレーガが、おろとろとギルバートとユーリを交互に見た。
ユーリはのけぞったままのギルバート目の前に、教科書のとあるページを見せた。
「わからないところがあるの。教えて」
「……」
ギルバートは教科書を受け取ると、体勢をもとに戻した。そして、ここは…、と平然と解説を始めた。ユーリはギルバートの隣に屈むと、ふんふん、とその説明を聞き始めた。レーガはまだ少しおろおろとしながら、2人を見守った。
「ふーん、…うーん…なるほど…」
ユーリはギルバートがノートに書いた文字を見つめながらそう頷く。ギルバートはそんなユーリを見ながら、そういえばもうすぐテストか、と思い出す。
最近は各休み時間と放課後はミーナの見守りのために時間を割いていたため、普段よりは勉強に使う時間が少なかった。しかし、そんなことを理由に成績を落とすわけにはいかない。
「(そんなことになれば父さんが…)」
そんなことを考えて、ギルバートは、はっとする。
「(…テストの成績以前に、父さんが、俺がこんなに軟弱な男になったと知ったら…)」
ギルバートは、公然で堂々とミーナに好意を伝えている自分の姿を改めて客観視する。
幼い頃から浴びてきた冷たい父の視線を思い出して、ギルバートはつい背筋が伸びる。
「(…でも別に、…不思議だ、後悔はしていない…)」
ギルバートは、生まれて初めて感じる不思議な感覚を味わう。絶対的な存在だった父に逆らうという背徳感と恐怖感はもちろんあるけれど、それでも、今の自分が自分にとっての正解だという絶対的な自信があった。
「(…まあ、本人には全く伝わっていないんだが…)」
「うん、わかった。ありがとうギルバート。また来るかも」
ユーリはそういうとテキパキ教科書とノートを片付けるとこの場から去ろうとした。ギルバートは、まてまてまて、とユーリを引き止める。ユーリはあからさまに嫌そうにギルバートを見る。
「…なに?」
「勉強を教えた代わりに、俺の話を聞いてくれ」
「…ねえさまに気持ちが伝わらない件なら、男らしく自分でなんとかするんじゃなかったの?」
「どうしたら俺のことを好きになってもらえるか聞いたら、難しいって返された話を聞いてくれ…!」
ギルバートは恥を忍んでユーリに打ち明ける。ユーリは目を丸くした後、嬉しそうににやりと目を細めた。
「それは…言葉の通りなのでは?」
「おいユーリ、君今、明らかに嬉しそうな顔をしたな?何がそんなに愉快なんだ?人の不幸がか??」
ギルバートがユーリに詰め寄ると、まあまあ、とレーガがユーリにクッキーを差し出した。ユーリは、ありがとう、と言うとクッキーを頬張った。ギルバートは、ぎりぎりとユーリを睨みつける。レーガはギルバートに向かって今一度、まあまあ、と微笑んだ。
「ギルバートがよければ、僕が一度、ミーナにどう思っているのかそれとなく聞いてみようか?」
レーガがギルバートにそう尋ねた。ギルバートとユーリは同時にえっ!と声を漏らしたが、嬉しそうな顔をするギルバートとは対照的に、ユーリは嫌そうな顔をしていた。
「だめだよレーガ。そんなのかっこわるすぎ。ねえギルバート」
ユーリがギルバートを挑発するように言う。ギルバートは、ぐっ、と言葉を詰まらせた後、いや…、と苦しそうに頭を振った。
「ここまで難航を極めているんだ。恥を忍ぶしかない…」
「ええ?!正気?散々男らしくとか言ってたくせに!根性なし!」
「うっ…」
ユーリにそう言われてギルバートはつい長年の癖で怯む。レーガは、ユーリとギルバートを順番に見つめた後、ユーリの方を見た。
「…ねえユーリ、何がそんなに嫌なの?」
「え?」
レーガの言葉に、ユーリはきょとんとする。レーガはユーリを見つめて小さく微笑む。
「なんか…もしかして、ミーナとギルバートがうまくいくのが、嫌なのかなって」
朗らかにものすごいことを言うレーガに、ギルバートはぎょっとしたあと、ユーリを見た。ユーリはレーガの方を少し目を丸くした後、本心の分からない笑顔を見せた。
「まあ、普通そうだよね。こんな暑苦しくて古臭くて煩い男が兄になるなんて、誰だって嫌でしょう?」
爽やかにそう言いのけるユーリに、ギルバートは歯ぎしりをする。レーガはユーリをじっと見つめた後、優しく目を細めた。
「ええ〜、ギルバートもユーリも良い人だからきっと良い兄弟になれそうだよ〜」
「もう、勘弁してよレーガ」
ふふ、ときらきら笑顔で言うユーリを、ギルバートは苦々しい顔で見つめた。
そうして、冬休み前のテストがもうすぐ、という季節になった。教室はテスト期間特有の空気感が漂っていたけれど、ギルバートは特に普段と変わらずに過ごしていた。
すると、クラスメイト2人からギルバートは話しかけられた。2人ともあまり話したことのない人物で、ギルバートは不思議そうに彼を見上げた。
そのクラスメイトたちは、少しだけぎこちなく、頼む、と言った。
「わからないところがあるんだ。教えてくれない?」
予想外の言葉に、ギルバートは少し目を丸くした後、構わない、と快く引き受けた。2人は安堵した様子でお互いの顔を見合わせた。
「助かったあ…」
「ほんとだよな。勇気出して声かけてよかった…」
「…そんなにか?」
そこまで自分は周りから怯えられていたのかと、ギルバートは些か不服な気持ちになる。クラスメイトは、だってさ、と続ける。
「なんかギルバートって完璧超人だし。自分にも他人にも厳しそうでさ…」
「でも最近、この人も人間らしいとこあるんだって思って」
「意外と声、かけられるのかもって」
な、とクラスメイトたちは顔を見合わせて微笑む。ギルバートは少し目を丸くして彼らを見つめる。
「(…ずっと、身の丈に合わないような肩肘を張っていたから、だから、人として不自然になっていたんだな…)」
ギルバートはそんなことに気がつく。無理矢理なれもしない自分になろうとした結果、自分で自分の首を絞めていたのだ。ギルバートは彼らを見つめながら小さく微笑む。
すると、3人の話を聞いていたらしいクラスメイトがわらわらと近寄ってきた。
「なあギルバート、次は俺に教えてほしい!」
「その次は俺!わかんないとこがあってさ…」
クラスメイトたちは口々にギルバートに助けを求める。ギルバートは周りを見回しながら、これはこれで大変だな…、と思いながらも、口元は緩んでいた。
放課後になり、ギルバートはいつものようにミーナの元へ向かおうとした。いつも教室に向かっていたけれど、クラスメイトに話しかけられていたことで少し出遅れてしまったため、ミーナがいつも運動している中庭にそのまま向かうことにした。
その途中のカフェテリアで、ギルバートはお菓子を囲むレーガとアイリーンを見かけた。アイリーンはギルバートに気がつくと、あっ、と声をかけた。
「ミーナなら教室だよ」
アイリーンはそうギルバートに教えた。ギルバートは少し目を丸くした後、そうなのか、と言った。
「(…めずらしいな)」
「ガーベラたちと一緒にいるみたい」
「そうか…。なら少し、時間を置くか…」
ギルバートは、助かった、とアイリーンに言ってその場から去ろうとした。するとアイリーンが、でも、とギルバートに声をかけた。
「迎えに行ってあげたほうがいいかも」
「…?なぜ?」
ギルバートは不思議そうに尋ねる。アイリーンは頬杖をついてそっぽを向くと、なんとなく、とだけ返した。ギルバートは怪訝そうにアイリーンを見た後すぐ、前にミーナが、ガーベラたちとジャックたちの輪の中に一緒にいたことを思い出してはっとした。なんとなく嫌な予感がして、ギルバートはミーナの教室に向かった。
ミーナの教室に向かったギルバートだけれど、目に入ったのは、女子生徒たちだけで楽しそうに話すミーナの姿だった。ギルバートは安堵して小さく息をついた。すると、女子生徒の一人がギルバートに気がついて、あっ!と声をあげて微笑んだ。それにより、他の女子生徒たちもギルバートに気がついた。
「あ…、すまない、出直す」
ギルバートは、邪魔をしてしまったと思い教室から去ろうとした。すると、ギルバートの元へ女子生徒たちが数名やってきて、いいからいいから!とギルバートを呼び止めた。
「いっしょに話しましょうよ!」
「ね、いいでしょう?」
ギルバートはそう誘われて、どう断ればいいかわからず困惑しつつも、ミーナの友人に変な態度は取れず、少し考えた結果、無難に微笑んで、いや、水を差すから、と言った。そしてミーナに向かって、また迎えに来るから、と言い残すと、足早にこの場を去った。
ギルバートは、ミーナのクラスから去ると図書館に向かった。そして、しばらく勉強した後、またミーナのクラスに戻った。すると、女子生徒たちはいたけれど、ミーナの姿はなかった。
「…ミーナは?」
ギルバートが女子生徒たちに尋ねると、用事があるって帰ったわよ、と返された。
ギルバートは、なんとなく嫌な予感がして背中に戦慄が走る。
「(…避けられている…?避けられている…?!)」
「ねえギルバート、せっかくだしお話しましょうよ」
「テスト明けの冬のダンスパーティー、誰と踊るの?決まってる?」
「相手がいなかったら私と踊ってくださらない?」
女子生徒の突然の誘いに、周りの女子生徒たちが、あーっ!と不満げな声を上げる。ギルバートに誘った女子生徒は、ごまかすように笑いながら、冗談だってえ、と手を振る。
「ねえギルバート、どうして突然、ミーナが好きだなんて言い出したの?」
ガーベラが笑顔でそうギルバートに尋ねた。ギルバートは、え?とガーベラの方を見る。
「…別に突然思い始めたわけじゃない」
「でも、昔はそんなこと絶対に口に出さなかったじゃない。どういう風の吹き回しなの?」
ガーベラは確かに笑顔だったけれど、感情のわからない顔をしていた。ギルバートはガーベラの質問の意図がわからず、少し困惑したけれど、真っ直ぐに彼女を見つめた。
「…伝えるべきだって、ようやくわかったから」
ギルバートはそうガーベラに返すと、失敬、と言ってこの場から去った。そして、ミーナを探すために急いだ。




