13-1すれ違う
最近、ジャックが妙に馴れ馴れしい。
ミーナは廊下を一人で歩いていた時に突然ジャックに話しかけられて、困惑しながら彼を見上げた。ジャックは何やら自分に話しかけながら、ずいずいと近づいてくる。なんとか話を切り上げられないかと目論んでいたミーナもいつのまにかジャックによって壁際に追いやられた。ジャックが行く手を阻むように立って、ミーナのもたれる壁に腕をつくものだから、逃げるに逃げられない。
「(…なんで?)」
ミーナはひくつく口角を無理やり上げて彼の話を聞きながら、疑問で頭が一杯になる。過去に彼からされてきたことを考えたら彼のそばに寄るだけで鳥肌が立つのに、彼を無碍に扱えば報復としてまたあの日々が戻るかもしれないと思うと、無理にでも笑って彼の機嫌をとらなければと考えてしまう。
「どうかした?」
話の途中でジャックがそうミーナに尋ねた。ミーナは困ったように笑いながら、えっと…、と目を伏せた。
「その…どうしたのかなって…」
「どうした、とは?」
「あなた、私のことがほら、…嫌い、だったじゃない?なのにどうして今、その…仲良く…してくれるのかなって、…不思議で……」
できれぱ関わってほしくない、二度と。そう思うものの、余計なことを言って彼を怒らせるのも怖い。ミーナは目を泳がせながら自分の無力さに情けなくなる。
ジャックは、なんだ、と笑った。
「それは悪かったと思ってるよ。だから反省して、こうやって君に接しているんじゃないか」
軽い様子のジャックに、ミーナはあ然とする。
「わ、悪かった…、って、思ってる、んだ…」
「そうそう。それにさ、君、痩せただろ?可愛くなったよ。そんな君を見て俺も考え直したんだよ。あの頃はちょっとからかいすぎたなって」
ジャックは壁に腕をついたまま、ミーナに顔を近づけた。ミーナは肩をすくめてできる限りジャックから離れつつ、苦笑いを漏らす。
「(…私が痩せたから、考え直した?どういうこと?)」
「仲良くしようよ。ミーナも卒業したら結婚なんだろ?それまでに思う存分遊びたいだろ」
ジャックはミーナの手を握る。ミーナは全身に鳥肌が立ち、逃げたくてたまらなくなる。ミーナは、あっ、と声を漏らすと、ジャックから距離を取った。
「もう行かなくちゃ。ごめんなさい」
ミーナはしどろもどろになりながらジャックに頭を下げた。ジャックはそんなミーナを見て、余裕そうに、はいはい、と軽く言うとひらひらと手を振った。ミーナは脱兎のごとく彼の前から逃げ出した。
体中の震えが止まらない。怖くて、恐ろしくて、涙がこみ上げる。ジャックの顔を見るたびにあの時の思い出がリフレインする。
ミーナはジャックが見えなくなったところで立ち止まり、そして、しゃがみ込んだ。動機がはげしくて、呼吸すら上手くできない。ミーナは、ゼーゼーと乾いた呼吸を繰り返して、吐き気すら感じた。
ジャックはミーナを見かけると、頻繁に話しかけてくるようになった。一人でいる時や、ガーベラたちといる時に、馴れ馴れしくミーナに接してきた。
ジャックが去ったあと、ガーベラはミーナに、彼いいじゃない、と微笑んできた。
「もっと仲良くしたら?」
「…でも」
彼に色々言われてきたし、と言いかけてミーナは言えなかった。過去にガーベラもミーナに色々言っていたから、それを掘り返すことになりそうでミーナは黙ってしまった。ガーベラの機嫌を損ねたくないと、そう思ってしまったのだ。
ガーベラはミーナを見てにこりと笑った。
「ジャックって顔もいいし頭もいい。女子生徒から結構人気あるのよ?試しに遊んだらいいじゃない」
「……そう、かな…。でも私には無理かな…」
ミーナは苦笑いを漏らす。ガーベラは、あら、と微笑む。ミーナはガーベラから目をそらして、それ以上何も言えなかった。
ジャックは隙あらばしつこくミーナに話しかけてきたけれど、不思議とアイリーンといるときは、すれ違っても彼は話しかけてこなかった。だからミーナは、いつも以上にアイリーンといると安心することができた。
アイリーンといると、さらにガーベラといるときの自分との差が明確になった。
ガーベラが自分に優しくしてくれたら嬉しいし、笑いかけてくれたらつられて笑ってしまう。それでも心の奥底で、下手なことをしたらまたあの時みたいに魔女のような恐ろしい彼女が現れるのではと恐れてしまうのだ。
だからミーナは、自分の一挙一動を過剰なほど気にした。ガーベラの周りの女子生徒たちが、上辺ではミーナのことを受け入れても、心の中では自分を笑っているのは、一緒にいるときからあけすけだった。だから余計に、ガーベラとその友達の輪に呼ばれると、ミーナは不自由な中で無理やり笑うしかなかった。
それでも、ガーベラに呼ばれるとミーナは断れなかった。過去に彼女にいつもついていった幼い頃の自分がまだ、彼女についていったほうがいいと今の自分に訴えるのだ。頭では彼女といると苦しいとわかっているのに、それなのにガーベラに呼ばれるとつい、ついていってしまった。
放課後、ミーナは帰る準備をしていた。すると、向こうの席からアイリーンがこちらへ来るのが見えた。ミーナは微笑んで、アイリーンのほうへ歩き出した。すると、その腕をガーベラにつかまれた。
「あっ…」
「ねえミーナ、放課後カフェテリアでお話しましょう」
ガーベラは優美に微笑む。ミーナは苦笑いを漏らして、でも私…、とおずおずとアイリーンの方を見た。すると、アイリーンは小さく微笑むと、荷物を持って教室から出てしまった。ミーナは、アイリーン!と呼ぶと慌てて彼女を追いかけた。
「待って、待ってアイリーン!」
ミーナはアイリーンを追いかけて、その腕をつかんだ。アイリーンは少しのあいだ振り向かずに固まったあと、笑顔でこちらを振り返った。
「…私のことは気にしないで。また今度でいいから」
「でも、でも私、アイリーンと…」
「ガーベラに呼ばれてたじゃない。そっちに行ったほうがいい」
「あのねアイリーン、私はあなたと、」
「私、ほとんどの女の子に嫌われてるから」
アイリーンはそう、なんでもないように笑う。ミーナはそんなアイリーンを呆然と見つめる。
「…だからあなたも、ガーベラたちといたほうがいいわ」
アイリーンはそう言うと、ミーナの腕から逃れた。
「また時間が空いた時、誘ってくれたらうれしいな」
アイリーンはそう言って微笑むと、ミーナに背中を向けて歩き出した。ミーナは唇をぐっと噛みしめたあと、またアイリーンを追いかけようとした。しかし、その腕をガーベラにつかまれた。振り向くと笑顔のガーベラと、その友人たちがいた。
「が、ガーベラ…」
「ほら、行きましょう」
ガーベラは微笑んでミーナの腕を引く。ミーナは、でも、と口を開く。しかし、ガーベラは笑顔でミーナをみつめる。
「なあに?」
その優しいはずの笑顔に、ミーナは怖くて何も言えなくなる。ミーナは目を泳がせたあと、ううん、なにも…、と頭を振ってしまった。ガーベラは、そう、とだけ言うとまた歩き出した。ミーナはちらりと後ろを振り返るけれど、アイリーンの姿はもうなかった。
カフェテリアにてミーナは、ガーベラたちが談笑しているのを、心ここにあらずの状態で聞いていた。
さっきのアイリーンの笑顔が忘れられなくて、今すぐにでも彼女に会いに行かなくてはと思うのに、ガーベラの意に反してここを抜けることが恐ろしくてできない。
すると、ジャックとその取り巻きまで輪に加わってきた。ガーベラと女子生徒たちは彼らを歓迎して話を続ける。
ジャックはミーナの隣に座ると、ミーナの座る椅子の背もたれに馴れ馴れしく腕をかけた。ミーナは背中を浮かせて、体を縮こませて、なるべくジャックに近づかないように苦心するけれど、彼はそんなミーナの努力もわからずに体を近づけてくる。ミーナは場の空気を乱さないために笑顔を取り繕いながら、今すぐにでもここを逃げ出したくて泣きたかった。
「(…帰りたい…。私はこんなことがしたくて痩せたわけじゃなくて……)」
ミーナはそんなことを考える。痩せてから優しくなったガーベラと仲良くしようと怯えながら身を削って、その結果アイリーンにあんな顔をさせた。痩せてからはジャックも謎に馴れ馴れしくなって、近づいてくる彼を見るたびに過去を思い出してしまう。
自信が欲しくて痩せたのに、どんどん自分の予想に反した方へことが向かっていく。
「(…ああ、いつまで経っても馬鹿で間抜けな、豚…)」
そう心の中で自傷したとき、ミーナとジャックの間を何かが遮った。そして、ジャックの顔がミーナから離れた。横を向くと、ノートで顔を退けられたジャックと、そのノートを持つ眉間にしわを寄せたギルバートがいた。
「(…ギルバート…)」
「なんだよ、お前も仲間に入れてやろうか」
ジャックはギルバートのノートから逃れるとそう言い放った。ギルバートはノートを手で払ってから鞄にしまうと、ミーナの方を見て、もう行くぞ、と言った。ミーナはそんなギルバートを見上げる。
「(…助けてもらえる…)」
ミーナは救われる気がした。うん、と言おうとした瞬間、まあまてよ、とジャックがミーナの肩をつかんでギルバートの方を見た。
「彼女は俺たちと楽しくお話してるんだよ。邪魔するなよ」
「…楽しく?」
ギルバートは眉をひそめながら、ミーナに触れるジャックの手を払った。ジャックはにやりとギルバートの方を見て笑った。
「結婚までは自由に恋愛しても構わないだろ?あと1年しかないんだぜ?楽しみたいだろ?お前も羽を伸ばせよ」
「俺はそういうのに興味がない」
ギルバートは淡々と返す。ジャックは、ふんっ、と鼻で笑った。
「お前になくても、彼女にはあるかもしれないだろ?」
ジャックはミーナの座る椅子の背もたれにまた馴れ馴れしく腕を絡める。ミーナは背中に鳥肌が立つ。
周りの女子生徒たちが、いいじゃない、とミーナに勧める。
「楽しみましょうよ、残りの青春を」
「ミーナも自由にして、ギルバートも自由にしたらいいじゃない!」
そうひとりの女子生徒が言うと、他の女子生徒たちが顔を見合わせて笑った。そして、そうしたらいいじゃない、とギルバートに口々に話しかけた。ギルバートは困惑したように彼女たちを見る。ミーナは、ガーベラの友人たちのギルバートへの熱い視線と、一連の話を聞いていたらしい周りにいた女子生徒たちの彼への視線を見つめて胸が痛くなる。
「(…ギルバートのことを好きな人はたくさんいるんだ…)」
ミーナは目を伏せる。彼に他の人と仲良くしてほしくない。けれど、自分にそんなことを言う権利なんかないと、ミーナは思い詰めてしまう。
「(…変わったのは見た目だけで、根本は何も変われていない…)」
ミーナは制服の裾を握りしめる。するとジャックが、なあ、とミーナに話しかける。
「それでいいよな、ミーナ?」
ジャックに見つめられて、ミーナは恐怖で頭が真っ白になる。ミーナは、う、うん、とわけがわからないまま頷く。すると、周りが盛り上がる声が聞こえた。ガーベラも満足そうにほほ笑んでいる。そんな彼女を見て、ミーナは、よかった、正しいことをした、と安堵する。
その時に、ギルバートの呆然とした顔が見えた。
「(…そうだ、彼がアイリーンのことを好きなのだと思って私が白い結婚を申し出たときも、彼は頑なにそれを拒否して、真面目に向き合おうとしてくれてた。…そもそも彼は、こういうことを不誠実だと嫌うはずなんだ。それなのに、私は…)」
「…君の好きにしたらいい」
ギルバートはそう言うと、背中を向けて去って行ってしまった。ミーナはその背中を呆然と見つめる。するとジャックが、よし、と言うとミーナの肩を抱いた。ミーナはぎょっとして自分に触れる手を見つめる。
「なら早速、俺とデートしよう。日曜日。オペラでも観に行くか。チケットは用意する」
「えっ、えっ、えっ…」
「あら、素敵じゃない」
頬杖をついたガーベラがにこりと微笑む。ミーナはジャックの手から逃れようと体を動かすけれど、手が力強く掴んできて離れない。ミーナは恐怖で震えながら目を泳がせる。
「…でも私、やっぱり、婚約者がいるのに…」
「なんだよ、自由恋愛許可したのは自分だろ?」
ジャックの取り巻きがそう口を開くと、そうだそうだと周りが同調する。彼らの声に、ミーナは過去がフラッシュバックして耳をふさぎたくなる。
するとジャックが、まあまあまあ、と周りを宥めた。
「なら、ギルバートにミーナとデートしていいか許可を得てくる。それならいいだろ?」
ジャックはそう言うと、ミーナの返事を聞く前に立ち上がり、なら許可取りに行くか、と言って歩きだした。それに続いて、取り巻きたちも歩き出す。ミーナは魂が抜けたように呆然とテーブルを見つめた。
ギルバートにあんな顔をさせてしまったのに、彼がジャックの言うことを却下してくれるわけがない。
そう頭ではわかっていたのに、カフェテリアに戻ってきたジャックが笑顔で、許可は取れたぞ!と言うのを聞いたミーナは深く傷ついた。
ジャックはミーナに、約束の場所と時間を一方的に伝えて、そして満足そうに去っていった。ミーナは顔を青くして立ち尽くす。
ガーベラはそんなミーナの心境を知ってか知らずか、よかったわね、と微笑んだ。
「いいじゃない。一度くらいデートしたって。ジャック、モテるんだから。周りからうらやましがられるわよ?」
ガーベラはそう言うと、ふふ、と微笑んだ。ミーナはそんな彼女に頭で考えるよりも先に、笑わなくてはと察して口角を上げていた。ガーベラとほほ笑み合いながらミーナは、なんでこんなに苦しいのに、自分は笑っているのか、わけがわからなくなった。
カフェテリアでガーベラたちと解散したあと、ミーナは誰とも話したくなくて、中庭まで走った。息を切らしてようやく中庭まで到着したとき、後ろから誰かが追いかけてきた。振り向くと、アイリーンがいた。
「…アイリーン…」
「お節介かも、だけど、…何かあった?」
アイリーンは心配そうにミーナを見つめた。ミーナは、胸の奥が安堵から温かくなるのを感じる。ミーナは目を伏せて、こみ上げる涙をこらえる。
「…ごめんね、アイリーン。あの時、私…」
ミーナは涙がこぼれそうになって唇をかみしめる。するとアイリーンは、ううん、と頭を振って目を細めた。
「…昔からの友達には勝てないわ。それは仕方がないもの。ごめんなさいね、小さい子供みたいに拗ねちゃって」
「違うの、違う、私はね、あなたと、」
あなたと一緒にいたいの、という言葉を伝える前に、もういいの!とアイリーンはミーナの言葉を遮った。ミーナは消化不良になりながら口を噤む。
アイリーンは心配そうにミーナを見つめた。
「それより、何かあったの?とても思い詰めていたようだったけど」
「……」
ミーナは、ジャックとのことも思い出して顔が青ざめる。そんなミーナを見て、アイリーンはミーナの背中をささえた。
「ねえ、レーガもいていいならカフェテリアに移動しましょう。ね。お菓子もあるから!」
アイリーンはそう言うと、ミーナを連れて歩きだした。
カフェテリアに向かうと、レーガがいた。レーガは紅茶と、お茶請けのマシュマロを用意してくれた。ミーナはレーガの作ったマシュマロを口に含んで、少しずつ胸が温かくなるのを感じる。
少し心が落ち着いたところで、ミーナは、つい自由恋愛をしてもいいとギルバートに言ってしまったこと、ジャックと日曜日でかけることになったこと、ギルバートはそれを許可したこと、を途中言葉がよどみながらも説明した。
話を聞き終えたアイリーンは、へえ…、と眉をひそめて頬杖をついた。
「なにジャックって。なにがしたいわけ?」
「彼、厄介だよね。いじめっ子だし…」
レーガがそう言いながら目を伏せる。アイリーンは、ええ、と目を丸くする。
「あの男、そうなの?」
「うん。…ちなみに、僕もいじめられてた一人です… 」
「ええっ?」
「あの…私も…」
「はああ?!」
アイリーンは瞬きを繰り返したあと、怒りの表情に変えた。
「なにそいつ!サイテー!本当に信じられない!許可するギルバートも許せないけど、とにもかくにも、私が代わりに断ってきてあげる!!」
アイリーンはそう言うと、ばたばたとこの場から去っていった。ミーナは、彼女にそんなことをさせられないと、慌てて、だめよ!と声をかけるけれど、アイリーンは止まらずにどんどん進んでいってしまう。彼女を止めようと立ち上がるも、まあまあ、とレーガはミーナを引き止めた。
「れ、レーガ…、アイリーンが…」
「大丈夫だよ。あのジャックも、アイリーンにはきっと何も言えないと思うから」
レーガは苦笑しながら言う。ミーナはよく意味が分からずに困惑する。レーガは、まあ座ってよ、とミーナを促す。ミーナは見えなくなったアイリーンの背中を何度も気にしながらも、レーガに言われるがまま座った。
「(…確かに、ジャックはアイリーンがいるときは話しかけてこなかった…。何かあるのかな…)」
「そっか、ミーナもいじめられてたんだ」
レーガがミーナを見つめた。ミーナは、うん…、と目を伏せて苦笑いを浮かべた。レーガはそんなミーナを見て少し目を細めたあと、目を伏せた。
「…苦しいよね」
「…うん」
「ギルバートがジャックのことに気がついて庇ってくれるようになってからはなくなったんだけど、それでもまだ思い出すんだ。…彼らの笑い声とか、いろいろ」
「…うん、私も。…でもね、我ながら情けないよ。こんなにも、ずっと、忘れられないなんて」
ミーナはそう自虐的に笑う。するとレーガは、そんなことないよ、真剣な眼差しで否定してくれた。ミーナはそんなレーガを見つめる。
「そんなことない。まったくないよ、ミーナ。君は強いよ。そんな過去があったのに、こうして今、いられるんだもの」
「…レーガ…」
「…僕ね、お菓子を作っていると楽しい。それを美味しいって言ってもらえるときも。僕のお菓子を嬉しそうに食べてくれる人のそばにいると、別に僕なんかでもここにいていいのかもって、思えるんだ。その人がいるべき場所って、誰にでもどこかに必ずあると思う。自分を受け入れてくれる、そんな場所が」
レーガは、ミーナを見つめて微笑む。
「ミーナにも必ずあるよ。もしかしたらもう、あるのかもしれない」
レーガの優しい笑顔に、ミーナは言葉に詰まる。ミーナは目を伏せると、レーガはすごいな、と言った。
「お菓子作りのすごい才能がある。性格だってとっても優しい。…それに比べて、私は何もない。いつまでも卑屈で、自信がなくて…」
「…ミーナ、」
「…ごめんね、こんな話しても困らせるだけなのに。こういうところが良くない、良くないの」
ミーナはそう言って笑う。レーガが何かを言いかけた時、ばたばたとアイリーンが帰ってきた。その表情は、行く前よりもさらに険しくなっていた。
「なんなのよ…、なんなのよなんなのよ!あのギルバートとかいう男!!ほんっとに腹立つ!何が男よなにがっっっ!!」
「あ、あの、アイリーン…?」
レーガがおろおろとアイリーンに話しかける。アイリーンは怒りが冷めやらぬ様子で、もう知らない!と息巻いた。
「腹が立ったから、助けてやらなかった!!あんなやつ、これで少しでも懲りたらいいのよ!!」
「…えっ、え、つまり、ミーナはジャックとデートしなくちゃいけないの?」
レーガはまばたきを繰り返しながらアイリーンを見た。アイリーンは少しずつ冷静になると、あ…、と声を漏らした。
「……そうよね、そのとおりよ、それじゃあ駄目なのよ…。ごめんなさい、お詫びに代わりに私がジャックと出かけるから…」
「そ、そそ、そんなのいいのよ!もとはといえば、断りきれない私が悪いんだもの」
「うう…、ミーナあ…」
アイリーンが、だってギルバートが!ギルバートがぜーんぶ悪いんだもん!とミーナにしがみつく。ミーナはアイリーンを抱きしめながら、ごめんね、本当にありがとう、と何度も謝罪と感謝を彼女に繰り返した。
アイリーンとレーガと別れた後、ミーナは一人で廊下を歩いていた。なんとなくまだ宿舎に戻りたくなくて、ふらふらとしていたかったのだ。
すると、ジャックとその取り巻きたちの笑い声が向こうの方から聞こえてきた。ミーナは咄嗟に彼らから見えないように身を壁で隠した。
「で、あのミーナとデートするわけ?」
取り巻きの男が笑う。ジャックは、そうだよ、と返す。
「なんだよ、ちょっと可愛くなったからって気になってるのか?」
「なわけあるか。ギルバートの婚約者に先に手を出して、あいつに勝つんだよ」
ジャックは握り拳を作り、そこに力を込めた。取り巻きたちは、そんなジャックに、おお、と声を漏らす。
「婚約者に手を出されたアイツの顔、どんなだろうな」
「まあー、でも、所詮あのミーナだろ?そこまでアイツが何か思うかな…」
「良いんだよ。アイツ、幼馴染同士だからか知らんけど、昔から謎にミーナには過保護だから、ミーナが遊ばれたら多少は腹が立つだろ。最後に絶対、アイツに一矢報いてやる」
ジャックがそうほくそ笑む。取り巻きたちは声を上げてジャックの周りで盛り上がる。
ミーナは彼らから隠れながら、そういうことか、と目を伏せる。
「(…ギルバートへの嫌がらせか…)」
ミーナはジャックの最近の馴れ馴れしさの理由が分かり、謎に納得した。ギルバートは優しいから、ミーナがジャックに弄ばれたと知ったら怒ってくれるだろう。ジャックはそれを狙っているのだ。
「(…そんなこと知ったら、余計に日曜日、行きたくない…)」
ミーナはしゃがみ込んで膝に顔を埋める。しかし、断ったら、ミーナのくせにとジャックの逆鱗に触れて、またあのからかいが再開するかもしれない。そうしたら恥をかくのはミーナだけじゃない。婚約者のギルバートも、弟のユーリも、友達のアイリーンやレーガだって笑われるかもしれない。
ミーナは考えすぎて頭がまわらなくなり、ただただ目を硬くてじて眉をひそめて、誰もいない廊下で一人、うずくまり続けた。




