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9-1君についた嘘

ミーナはひたすら無心で廊下を歩いた。さっき見た光景について深く考えたくなくて、ただただ足を前に進めた。


「(…べつに、気がついていたこと。傷つかなくてもいい。わかっていたこと)」

 

むしろ、どうして傷つくの?まるで彼らと同じ土俵に立てていると思っていたみたい。身の程をわきまえなさい、豚。

ミーナは心の中でそう言い聞かせる。


「あらミーナ」


ガーベラに呼び止められて、ミーナは動揺しながら立ち止まる。そして、反射的に貼り付けた笑顔を見せた。 


「なあに、ガーベラ」

「ねえミーナ、これから私たちの仲間にいれてあげましょうか?」


ガーベラがそう、笑いながらミーナに言った。ミーナはよくよく意味が分からずに首をかしげる。


「…私が、あなたたちの?」

「ええそうよ。私たちの中に、アイリーンに恋人を取られた人が何人かいるし、アイリーンをひとりぼっちにしてやろうって、そういう話になったのよ。あなたも彼女たちの気持ち、わかるでしょう?」


ガーベラはミーナに近づいてそう話しかける。ミーナは、え…、と声を漏らしてガーベラを見つめる。


「(…ガーベラとまた、友達に戻れる…)」


ミーナはそんなことを思う。彼女の仲間になったら、そうしたらまた前みたいに優しくしてもらえるのだろうか。周りから笑われても、あなたは可愛いから大丈夫だって、そう言ってくれるのだろうか。


「ね?あなただって、アイリーンのことなんか嫌いでしょう?」


ガーベラはそう、ミーナに囁く。ミーナは恐る恐るガーベラを見上げる。ミーナに笑いかける彼女の顔が、あの春の日の魔女と重なる。


そして、いつも明るい笑顔で自分と接してくれるアイリーンを思い出す。彼女といて、ミーナはいつも楽しかった。自由に笑うことができた。彼女と仲良しでいたい気持ちと、ギルバートのことが好きな気持ちは、両立したっていいはずなのだ。


「…ガーベラ、あなたとまた仲良くしてもらえるのなら、嬉しい。…でも、アイリーンをひとりぼっちにするためだっていうのなら、私はそっちには行けない。私はアイリーンが大好きだから」


ミーナの答えに、ガーベラは眉をつり上げる。


「…あなたって間抜けね。婚約者の心を取られておいて、よくそんなことが言えるわね」

「アイリーンにその気はないんだもの。彼女にどうこう言う理由がないわ」

「…その気がない?そんなデタラメよく信じられるわね。アイリーンがわざとたぶらかしてるに決まってるじゃない。そんなにやすやすと他人を信じて、馬鹿みたいよ」


ガーベラに詰められて、ミーナは目を伏せる。ミーナは小さく微笑むと、それでもいい、と言った。ガーベラは、はあ?と眉をひそめる。


「アイリーンはね、こんな私を、友達だって言ってくれたの。だから、もし彼女に騙されていたんだとしても、それでもいいの」


そう言ったミーナを見てガーベラの顔が歪んだ瞬間、ミーナは背後から誰かに勢いよく抱きつかれた。振り向くと、アイリーンがいた。 


「あ、アイリーン…」

「ミーナ、ごめんなさい、ごめんなさい…!」


アイリーンが、ミーナの背中に顔を埋める。ミーナは、謝るアイリーンに困惑する。

ガーベラと女子生徒たちは、アイリーンに話を聞かれていたと少し慌てながらその場を去っていった。


ミーナは体の向きを変えて、アイリーンと向かい合った。アイリーンは、真正面からミーナに抱きついた。


「ごめん、ごめんね、ミーナ…」


そう謝るアイリーンに、ミーナは目を伏せて、そして、ううん、と頭を振る。そして、アイリーンを抱きしめ返す。


「大丈夫だよ、大丈夫だから」

「ミーナ…」


アイリーンはゆっくりミーナから体を離すと、ミーナを涙がにじむ瞳で見つめた。ミーナはそんなアイリーンに目を細める。


「私ね、本当に気にしないから。…でもね、ギルバートが好きなら好きだって、教えてほしいな」

「…わかった、言うね。ギルバートのことは全然好きじゃない」

「えっ」


ミーナはきょとんとしてアイリーンを見つめる。アイリーンは小さく鼻をすする。

ミーナは困惑しながら、ええと…、と声をもらす。


「あの、私に気を使わなくっても…」

「本当の本当に、ギルバートは好きじゃない」

「えっ、…と…」


ミーナは頭にクエスチョンマークが溢れる。アイリーンは、目をこするとミーナをまっすぐに見つめた。


「私ね、ミーナに嘘をついてた。私はずっと男が嫌いだったから。あいつらのせいで仲良くしてた子たちがいなくなっちゃったから。男なんかろくでもなくて、しょうもないから、きっとミーナもあの男に傷つけられるだけだって、そう思って遠ざけようとしてた。ミーナのためだって勝手に思ってやってた。ミーナのギルバートへの気持ちも知らないで、本当にごめんなさい…」

「…アイリーン…」

「ギルバートが私のことを好きなんてただの噂で、それを利用してギルバートが私に迫っているようにあなたに見せていただけよ。だから私たち2人は本当に何もないの」

「そ、そう、だったの…?」


ミーナは、予想外の展開にまばたきを繰り返す。

でもとにかく、目に涙をためて謝るアイリーンのことが辛くて、大丈夫だから、とミーナはアイリーンをもう一度抱きしめた。

ミーナは、アイリーンとギルバートは両思いではなかったことに安堵しつつも、ギルバートの片思いに胸が痛んで目を伏せる。


「…でもね、ギルバートのことは本当なんだ」

「え?」

「でもね私、アイリーンとやっぱり友達がいいし、これからも仲良くしたい、だから、」

「ちょ、ちょっと待って!ギルバートのことって、ギルバートが私を好きって話?それ噂よ、真実じゃないわ」

「…でも私、本人からそう聞いているから」

「本人…から…?」


アイリーンは目を丸くして固まる。ミーナはそんなアイリーンに首をかしげる。アイリーンはしばらく固まったあと、深いため息をついた。


「…ああもうっ、かき回したお詫びだから仕方ない!」


ミーナこっち!とアイリーンは言うと、ミーナの手を引いて歩き出した。ミーナはアイリーンにされるがままに歩いた。












アイリーンと一緒にミーナは歩き回った。しばらくしてアイリーンはようやく誰かを見つけたようで、あっ!と声を上げた。顔を上げると、そこにはギルバートがいた。ギルバートもこちらをみて、あっ!と声を上げた。


アイリーンはミーナの腕を引いてギルバートの前に行くと、じろりとギルバートを睨んだ。ギルバートは、そんなアイリーンに、気まずそうに目を泳がせる。


「…まさか本人にも言ってるなんてね…」

「……」


アイリーンに詰められてさらに目を泳がせるギルバート。ミーナはよくわからずに、2人を交互に見つめる。

アイリーンは咳払いすると、腕を引いてミーナをギルバートの前に立たせた。


「ミーナが、あなたと私のことで、…゛友情のはざまで゛心を悩ませています!その事実より尊重したいプライドがあるのなら、もうあなたは私には救えません!」


アイリーンはそう言うと、ミーナから手を離して去っていってしまった。ミーナは、急にギルバートと二人きりにさせられて慌てる。


「(…き、気まずい…どういう顔をしたら…)」


ミーナは困惑して目を伏せる。

ギルバートも何やら黙り込んで考えている。

重く長い沈黙が続く。この重圧にこれ以上は耐えられない、とミーナが感じ始めた頃、ようやくギルバートが小さく息を吐いた。


「……君に昔、アイリーンが好きだと言ったのは…それは、…うっ、…嘘…でした…」


ギルバートが苦々しそうにそう言った。ミーナは、えっ、と声が裏返った。


「う、嘘?」

「…昔君に、思いを寄せる人を聞かれたときに、咄嗟に…」


ミーナは呆然とギルバートを見つめる。ギルバートは遠慮がちにミーナを見た。


「…周りからよく聞く名前だったから適当に挙げてしまったんだが、君の友人だということが頭から抜けていた。…そのせいで余計にややこしくしてしまった。…そんな嘘を、ずっと訂正できなかった。嘘をつくなんて男らしくないと、思って、…でも言ったことは消せなくて、……隠し通そうと、してしまった…。…こうやって君を悩ませておくほうがずっと、男らしく、ないのに…」


ギルバートはそう吐き出すと、自分が情けなくてたまらないのか項垂れた。ミーナはそんなギルバートを呆然と見つめる。


ギルバートは、小さい頃から男らしくだとか、そういうことを口癖にしてきた人だった。いつも硬すぎるほど真面目で、そのまっすぐさから、ミーナをいじめる男子たちを追い払ってくれていた。


一度ついてしまった嘘を、彼がこれまで大切にしてきた信条のためにどれだけ抱え込んでしまっていたのか、ミーナにはすぐ想像できた。


出会った頃から、ギルバートはいつも1人で抱む人だった。

泣きたいような時も、自分の周りに人がいるときは平気なふりをして、誰にも見られないところでたった一人、蹲って耐えていた。小さな背中でじっと耐えている姿を初めて見かけてしまったときは、幼い頃から両親の前で泣いたり笑ったりして困らせまくっていたミーナからしてみたら衝撃的だった。


それが、彼の言う゛男らしくあるため゛というのなら、ミーナに何も言えることはなかった。けれど、重荷を黙って抱えすぎる彼に、自分がしてあげられることはないかとよく思っていた。


この嘘でずっと悩んでいたであろうギルバートを想像したら、一人で抱え込む幼い姿のギルバートがミーナの頭に浮かんだ。その時、嘘をつかれて悲しいとか、裏切られたとか、そんなことはちっとも思わなくて、ただただ彼の悩みが少しでもなくなればいいと願って、ミーナはゆっくり笑った。


「…そういうことも、あるよねえ」


ミーナは、そう言ってギルバートに笑ってみせた。彼に悪気があるわけではないことも、彼が悪意のある嘘をつくような人ではないことも、長年一緒にいるからよくわかっていた。だからミーナは、素直にギルバートに笑いかけられた。


「嘘くらいつくよね、生きてたら」


ね、とミーナはギルバートに笑う。ギルバートは申し訳なさそうに目を伏せる。反省しているらしいギルバートが可哀想で、でもなんだか可愛くて、ミーナは口元を緩めたあと、申し訳なさから目を合わせられないらしいギルバートの顔を覗き込んだ。 


「反省していますか?」


ミーナはわざとらしいほどに畏まってギルバートに尋ねた。ギルバートは目を丸くしてミーナを見つめると、と、とても…、と答えた。そんなギルバートを見て、ならよし、とミーナは微笑んだ。
















無事、5年生最後のテストが終わった。努力の甲斐もあって、普段よりもよい成績をミーナはおさめることができた。


校内に張り出された順位を、ミーナはアイリーンと一緒に眺めていた。紙に書かれた順位を見る同学年の生徒たちの悲喜交交を肌で感じながら、ミーナは、頑張った分報われたことに少し得意げな気持ちになる。


「相変わらず、1位はギルバートなわけね」


アイリーンが順位を眺めてそう呟く。ミーナは、すごいよねえ、と感心しながら笑う。そんなミーナを見つめて、アイリーンは小さく微笑む。


「…無事、わだかまりが解けたみたいでよかった」

「アイリーン、ありがとう、あなたが引っ張ってくれたから…」

「まってまって!私は謝らなくちゃいけないほうだから!」


アイリーンは、本当にごめんね!とミーナに抱きつく。ミーナは笑いながら、もういいよ、とアイリーンを抱きしめ返した。

アイリーンはミーナから体を離すと、でもね、と人差し指を立てた。


「あの人、私の顔と名前が一致してなかったのよ?信じられる?」

「ええ…?」


ミーナは目を丸くする。この学園のほとんどの男子の憧れであるアイリーンを知らないことなどあるのだろうか、とミーナは半信半疑になる。アイリーンは、ほんとよ、と呆れた顔をする。


「私がアイリーンだって知らずにしばらく接してたのよ?ほんと、どれだけ慌てて私の名前を出したんだか」


アイリーンは、はあ、とため息をつく。ミーナはそんなアイリーンを見てくすくすと笑う。

アイリーンはミーナの笑顔を見てつられるように笑った後、うーん、と眉をひそめた。


「…でも、これで白い結婚はなくなるわけね」

「え?」

「だって、する意味がないじゃない。好きな人と結婚するのなら」


アイリーンにそう言われて、ミーナは目を丸くしてじわじわと頬を赤く染める。


「なっ…、な、なんで知ってるの…?!」

「あの日のミーナの顔を見たらわかるわよ」


アイリーンはミーナの手を握ってそう笑う。ミーナはどんどん顔を赤く染めた後、そっか…、と呟いた。


「する必要がない…そっか…」

「そうよ!…なんだか素敵ね。家のために顔も知らない人と結婚させられる人なんかたくさんいるのに、好きな人と結婚できるなんて」

「うん…、でも、ギルバートは私のことをどうも思ってないし」

「え?」

「この結婚に私だけ喜んでて、…なんか、申し訳ないな…」


ミーナはそう言って苦笑いを漏らす。硬直したアイリーンはミーナをしばらく見つめる。ミーナはそんなアイリーンに小首をかしげる。


「どうかしたの?」

「え、えー…うーん……」


アイリーンは眉をひそめて目を固く閉じ、長考を始めた。ミーナはアイリーンの奇行に意味が分からずに混乱する。


「ど、どうしたの?なに?どこか痛いの?」

「うーん…頭が…」

「頭?風邪とか…?」

「……」


アイリーンはじっとミーナを見つめる。ミーナは心配そうにアイリーンを見つめる。アイリーンは、ううん…、と小さく声を漏らしたあと、はあ、とため息をついた。


「…まあ、これ以上出しゃばるのも違うか…」

「え?」

「ううん、なんでもない。もう治っちゃった」


アイリーンはそう言って無邪気に笑う。ミーナは、本当に大丈夫?とアイリーンを見つめた。






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