第一部 第4話 女であること
その日の夜。
新凪は洗面所の鏡をぼんやり見ていた。
顔色は少し戻った。
でも。
自分が“女”に見えなかった。
髪もパサついている。
服も地味。
昔は、もう少しおしゃれが好きだった気がする。
でも。
いつからだろう。
“自分がかわいいく見えるか”を考えなくなったのは。
その時。
「新凪さん?」
後ろから声がした。
振り返ると、真人が立っている。
「体調、どうですか?」
「はい、大丈夫ですよ」
最近は特に無理をしているということもなかった。
「明日、予定あります?」
「え?」
「買い物、行きません?」
新凪はきょとんとした。
「買い物?」
「服とか」
その瞬間。
胸がぎゅっとなる。
「だ、大丈夫です!」
反射的に断っていた。
「まだ着れますし……!」
嘘だった。
でも。
お金を使わせたくなかった。
負担になりたくなかった。
すると。
真人は少し困ったように笑った。
「私が行きたいんです」
「え……?」
「三人で普通に出かけたい」
その言い方が、ずるかった。
翌日。
ショッピングモール。
新凪は終始そわそわしていた。
値札を見るたび、心臓が落ち着かない。
「や、やっぱり高くないですか」
「大丈夫です」
「でも……」
「新凪さん」
真人が少し真面目な顔をする。
「もっと自分にお金使っていいと思います」
その言葉に、新凪は何も返せなくなった。
自分にお金を使う。
そんな感覚、もうずっと忘れていたから。
「ママこれ!」
結子が持ってきたのは、柔らかいベージュのワンピースだった。
「絶対似合う!」
「む、無理無理!」
新凪は全力で首を振る。
「年齢的に!」
「関係ないって!」
「あるの!」
でも。
半ば押し切られるように試着室へ入れられた。
鏡の前で、新凪はしばらく固まる。
こんなの、何年ぶりだろう。
“かわいいく見える服”を着るなんて。
恐る恐るカーテンを開ける。
「……どう、ですか」
恥ずかしくて、まともに顔が見られない。
すると。
真人が固まった。
「……」
数秒、無言。
新凪の心臓が跳ねる。
やっぱり変だった?
不安になった瞬間。
「……かわいいです」
真っ直ぐな声だった。
誤魔化しも、お世辞っぽさもない。
その瞬間。
新凪の顔が一気に熱くなる。
「そ、そんな真顔で言わないでください……!」
心臓がうるさい。
恥ずかしい。
でも。
嬉しかった。
驚くくらい。
横で見ていた結子が吹き出した。
「はいはい、ごちそうさま」
「結子!」
新凪が真っ赤になる。
でも。
真人はまだ少し呆けたみたいに見ていた。
その視線が、妙に落ち着かない。
そのあと。
何着かの服を買ってもらってしまった。
そして。
真人から財布を渡された。
「えっ?」
「これで、必要なものを買ってきてください」
「そんな、十分買ってもらいました!」
真人は何やらモゾモゾしている
「その……私ではどうしようもないこともあって」
「あの……下着とか、女性の日のものとか」
新凪は顔を赤くして俯いてしまった。
買い物を済ませたあと。
勢いで美容院へ行くことになった。
トリートメントする。
毛先を揃える。
髪を少し整える。
前髪を流す。
それだけ。
でも。
終わって鏡を見た瞬間、新凪は少し息を止めた。
“疲れた母親”じゃなかった。
ちゃんと、“女性”に見えた。
「……すご」
結子が素直に呟く。
「ママかわいい」
「や、やめて……」
恥ずかしくてたまらない。
でも。
その時。
鏡越しに真人の顔が見えた。
……また固まってる。
しかも今度はもっとわかりやすい。
視線が泳いでいる。
耳まで赤い。
「……真人さん?」
声をかけると、びくっとされた。
「えっ、あ、いや」
明らかに変だった。
その反応を見た瞬間。
新凪の胸がどくん、と鳴る。
……もしかして。
そんな考えが頭をよぎってしまう。
帰り道。
真人は妙に静かだった。
しかも。
周囲を気にしている。
男の視線が新凪へ向くたび、空気がぴくっと変わる。
その様子を見て。
隣で結子が、全部察した顔になった。
「……あー」
「な、なに」
結子はにやっと笑う。
「お兄ちゃん、ママに見惚れてるんだ」
「っ!!」
空気が止まる。
真人が完全に固まった。
新凪も一気に真っ赤になる。
数秒沈黙。
そして。
「……図星だ」
結子が爆笑した。
その横で。
新凪の胸は、どうしようもなく甘く苦しく鳴っていた。
【結子の観察日記】
今日から日記を始めてみたいと思う。
ママとお兄ちゃんの反応面白いから。
今日はママの服を買いに行った。
新しい服を着たママを見て、お兄ちゃんが固まってた。
固まってたのに目だけ泳いでた。
美容院で綺麗になったママを見てお兄ちゃんはさらに目が泳いでた。
いつものお兄ちゃんと全然違う。
お兄ちゃん、これから、ママと普通に暮らせるのかな?




