第8話 約束
「待って待って! 隣のお婆ちゃんの家に空き巣が入ったの!?」
今まで大人しく聞いていた紅葉が耐えられないと割り込んだ。
「そうだよ、もう随分と前だけどね」
「無事で良かった、けど……お父さんが助けに入ったんだ、すごい」
「俺の顔を見ただけで空き巣は逃げたけどな! ははは!」
「お父さん、静かに」
気分が良くなって大きな声が出てしまう。すぐに紅葉が俺の口を手で覆った。
部屋は暗いまま、俺達は双葉に気付かれないように夜更かしを続けているのだ。
「お父さんに助けを求めて来た子がお昼に会ったお姉ちゃんかな?」
「どうだろうな? どんな子だったんだ?」
「んー、大人って感じじゃなかったよ」
「なら違うんじゃないかな。空き巣事件でお腹にいた子か……その後の子か」
空き巣事件があったのは俺が高校三年生の時だ。
少なくとも成人は迎えているはず。
「そっか……あれ? 神隠しと関係あるの?」
「アキに空き巣事件のことも話したんだよ。あらかじめ教えないと怒るだろ?」
紅葉が苦笑いをしながら一応は納得する。正直な話、空き巣事件の話はしておきたかった。亡くなった婆さんに関わる話だ。故人に親近感が湧くかも知れない。
「というのも、空き巣事件を話した時のアキは少し様子が違っていたんだ」
そして俺は高校三年生の神隠しについて話し始めた。
高校三年生の八月三十一日。
この日はバイトが入っていて、神社に来たのは昼を大きく過ぎた頃だった。
「おーい、アキ?」
しかし神隠しに遭ってもアキの姿は見当たらない。
妙だな。俺が来たらすぐに出てくるのに……。
ひょっとして、まだ来てないのだろうか。
「なんだ、いるじゃないか」
本殿の前にアキの姿を見つけて近付いていく。
アキは座ったままで俯いていた。ひょっとしたら暑いのかも知れない。
俺に気が付いたのか、やっとアキは顔を上げた。
「! アキ?」
急いで駆け寄る。はっきりとアキの顔には涙が浮かんでいたのだ。
近くで見ると頬には乾いた涙の跡も残っている。
「おい、どうした? 大丈夫なのか?」
「……心配ないよ。別に体調が悪いわけじゃないし」
みっともなくオロオロする俺を見て、アキは笑い返して隣を示す。
促された通りに俺も座る。しかし何を言って良いのか分からない。
しばらくの間、俺たちは静かに晴天を眺めていた。
この調子でアキの正体なんて訊けるのか。
「今年は受験でしょ? 調子はどうなのよ?」
少しだけぎこちない口調でアキは訊いてきた。
詳しくは聞かないで欲しいということなのだろう。
「今も大変だよ。でも最近は成績も良くなってるんだぞ」
「……愛の力だ?」
「うるせーな」
出来るだけ普段と変わらないように軽口を叩く。
話し始めてしまえば自然と会話は進んでいった。
日が沈み始めた頃、空き巣の件をまだ話していないことに気が付いた。
これは話さねばと口を開く。何せ大活躍だったのだから。
「最近、ちょっと大きな事件があったんだよ」
「事件? どうせ忘れ物とかでしょ?」
「……平和すぎるだろ」
「実際に平和でしょうよ」
確かに平和すぎるから空き巣に入られているとも言える。
一旦は聞き流して、俺は概要を説明していった。
「――で、俺が部屋に入ったら空き巣はすぐに逃げたんだよ」
「…………」
一通り話し終えるが、途中からアキは黙りこくっていた。
顔色を窺ってみても良く分からない。驚いているような気もするけど……。
「やっと分かった」
アキは一言だけ俺に返すと立ち上がった。俺に背を向けたまま離れていく。
言葉の意味を訊くよりも先に霧が俺たちを包み始めてしまう。もう時間がない。
「なぁアキ……お前、一体どこの誰なんだ?」
だから代わりに訊こうと決めていたことを訊いた。
息を呑む音。アキが振り返るのが分かった。
しかし霧は濃くなって、アキの表情はもう見えない。
「……じゃあ、次に会ったら自己紹介をしよう」
「分かった、絶対だぞ」
アキの言葉に強く頷いた。
すでに風も出ていてアキの姿は分からない。
「うん。また会おう、シュウ」
「約束だからな!」
そうして俺は神隠しから戻ってきた。
来年こそはアキの正体が分かると思って日常に戻ったんだ。
そして一年後。大学一年生の八月三十一日。
無事に受験を乗り越えた俺は夏休みに帰省して神社に行った。
今度こそ自己紹介をした上で、いつも通りに笑ってやろうと決めていた。
また会おうって約束を楽しみにして、柄にもなく早起きをしたほどだ。
――でも神隠しには遭わなかった。
次の年も、その次の年も、俺は神社に行ったけど無駄だった。
いつの間にか当たり前に会えると勘違いしていたんだと思い知らされた。
「…………」
「これがアキとの約束だよ。まだ守れていないんだけどね」
「……今までずっと?」
「うん、そうだね。あれからは一度も神隠しに遭ってない」
「明日も八月三十一日だね」
「もう毎年のことだからなぁ」
大学にいる間も、村に帰って役場に勤めてからも、親が病気のために村を離れてからも、紅葉が生まれた後だって、八月三十一日だけは神社で待っていた。
珍しく紅葉が押し黙っていた。何か思うところがあるのかも知れない。
俺としてはこの話を聞いて婆さんの孫とまた会いたいと思って欲しかった。
――コン、コン。
その時、居間の扉が小さくノックされた。
俺と紅葉が見れば、少しずつ扉は開いていく。
「……お母さん?」
入ってきたのは体を縮めた様子の双葉だった。
飲み物でも取りに来たのだと思うが……少し様子が変だ。
「どうしたの?」
「あー、びっくりした! 真っ暗な部屋から囁き声が聞こえるから」
「あはは、おばけだと思った?」
「やめてよー、怖いじゃない」
なるほど。家族全員が寝てるはずの深夜に、真っ暗な居間から声が聞こえてきたら、そう思っても不思議はない。もっとも紅葉はけらけらと笑っているが。
「おばけとお話しすれば良いじゃん」
物怖じせずに紅葉が言い切った。この辺りは俺に似ている。
「絶対にイヤ!」
双葉は強く否定して、紅葉へと踏み込んだ。
「私はね、おばけが一番嫌いなの。二位はゴキブリで三位は椎茸よ。それでもおばけに会うくらいなら、ゴキブリと椎茸の味噌汁だって飲んでやるわ」
「あー!」
紅葉が双葉を指さして声を上げた。さらに俺を見ながら小声で「お母さんだったの?」なんて訊いてくる。気付いたらしい。流石にピーマンは克服していたか。
「何よ、うるさいわね……ってこんな時間なの?
紅葉! 早く寝なさい! 少し話すだけって言ったでしょ」
双葉の声が響いて、紅葉は一目散に逃げていく。
このままベッドに入っての逃げ切りを狙っているのだろう。
「おやすみなさーい」
深夜の挨拶が捨て台詞のように二階から聞こえてきた。
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