第9話 夏の終わりに神隠し
目を覚ましてすぐに時計を見る。
普段よりも遅いなと寝惚けてから今日は休みだと思い出した。
「ん?」
そこで違和感に気付く。あまりにも静かだった。
いつもだったら今頃は紅葉に叩き起こされているはず。
俺はベッドから出ると紅葉の部屋へ向かった。
小さく「紅葉?」と声を掛けるが返事はない。扉を少し開けて中を見た。
「うわ、相変わらず凄いな……」
ダイナミックというかアクロバティックな寝相で紅葉は眠っているようだった。
凛々しい表情などはいっそ芸術的に思えたが、起きる気配は全くない。
「……遅くまで話していたからな」
この様子だと昼過ぎまで起きないかも知れない。
夏休み最後の日をこのまま寝かせて良いのかと少し考える。
婆さんの孫と話す機会が減るのは可哀想に思う。もう少しだけ寝かせてから起こすのが妥当かな。ただ、これから俺は神社に行く予定があった。
「うん、双葉に声を掛けてから出よう」
むき出しになっていた紅葉のお腹をしまって、俺は一階へと降りて行った。
「双葉?」
「あ、起きたんだ」
「紅葉が起きないんだ、もう少し経ったら起こしてやって」
「良いけど。アンタが遅くまで話してたからでしょ?」
「悪かったよ。でも婆さんの通夜もあるんだから早く起こさなきゃだろ?」
「……分かった。昼前には起こすわよ」
呆れ顔の双葉が頷いたことを確認すると、俺は準備を始める。
今日は予定通り神社に行くつもりだった。
「それじゃあ行ってくるよ」
「お通夜には遅れないでね」
神社へ向かう俺を双葉が見送ってくれる。毎年のことなので慣れたものだ。
軽く双葉に手を振ると俺は神社へ向かって歩き始める。
最近は村の人口も一気に減ったから山までの畦道も人通りはなかった。
何となく寂しさを感じながら歩き慣れた道を進んでいく。
森に入ると獣道を抜けて石段を登った。やがて傾いた鳥居を抜けると相変わらずの古びた神社に出る。日陰になっている俺の特等席に急いで逃げ込んだ。
「……今日も待たせてもらいますよ」
持参した和菓子を本殿の前にそっと置いた。
ただ待っているのも退屈なので最近は文庫本を読むことにしていた。
この位置は意外と涼しくて本を読むには快適だったりする。
「ふぁあ……」
落ち着いてくると少し眠くなってきた。
いつも気を張ってると疲れてしまうし、これくらい軽い気持ちの方が良いと思っている。いや、本当は神隠しが起こらなくてもアキと会えなくても構わないんだ。
約束したから来ているというだけの話。だって神隠しが起こった時、アキが一人きりだったら酷いじゃないか。きっと俺は約束を破ることが嫌なんだろう。
本を読んでる間に正午を過ぎていたらしい。
持ってきたおにぎりとお茶で俺は昼食を取った。
「紅葉の奴、ちゃんと起きたのかな?」
双葉は声を掛けてくれたと思うが、あの様子だと簡単には起きないだろう。
気になるけど日が沈むまでは神社にいる予定だった。
「少しの間だけでも誰かに代わってもらえたら良いんだけど……無理だよなぁ」
顔を合わせたのは俺だけで他にアキを知っている人はいない。
アキのことを全く知らない人が代理で待っていても仕方ないだろう。
そう。結局は写真の一枚だって持っていないんだ。
こんな状態じゃアキの正体を調べることだって出来やしない。
人間じゃないのかも知れないとは思ったが、じゃあ何だと言われても分からない。アキの話が全て嘘で演技だったのかと訊かれてもやはり答えは分からない。
気になることはもう一つ。分かるはずもないのだが。
あの時アキはどうして泣いていたんだろう?
何度も繰り返した思考を追いやって時間を潰していると日が暮れ始めた。
流石に限界か。婆さんの通夜に参列する準備をしなければならない。
「……今年も無駄か」
後片付けを始めようと俺は立ち上がって伸びをする。
「あ、お父さーん!」
「? 紅葉?」
声がしたので見てみれば、鳥居の下に紅葉がいた。
流石に起きたらしい。迎えに来てくれたのかも知れない。
「お姉ちゃん! もう少しだから頑張って!」
「……そんなこと言ったって、紅葉ちゃんが、速すぎるのよ」
紅葉が振り返って石段の上から声を掛ける。
ここからは見えないが、誰か一緒に来ているらしい。
――いや、今の声はどこかで聞いたことがあるような?
「……え?」
しばらく紅葉を眺めていたが、現れた女の子を見て声が出なくなった。
女の子は石段を蹴って鳥居を抜ける。服装は白いワンピースに麦わら帽子。
初めて会った時と何も変わらないまま、呼吸を荒げて紅葉の隣に立っていた。
「きっと久しぶりだよね、シュウ?」
「アキ……?」
女の子が俺を見つけて笑う。俺は呆けたままで動けない。
やはり年を取っているようには見えなかった。
昔は浮かれたお嬢様みたいな服装だと思ったが、今では割と普通の女の子に見えるんだな……そんなどうでも良さそうなことだけが頭に浮かんだ。
「本当にアキなのか!?」
「ん? そうだよ?」
「どうして神隠しでもないのに神社にいるんだよ?」
「あはは! お父さん、すごく驚いてる」
俺の様子を見て紅葉が手を叩いて喜んでいた。
いや、それだって変じゃないか。
「ちょっと待て。そもそも何で紅葉と一緒にいるんだ?」
「昨日の夜に話した隣のお姉ちゃんだよ」
「私は紅葉ちゃんから話を聞いて神社まで来たのよ」
「一体何がどうなってるんだよ……」
いよいよ意味が分からずに俺は頭を抱えた。アキと紅葉は楽しそうに笑っている。お前ら、絶対に俺を見て遊んでるだろ。
「私はね……昨日までの一週間、毎日神隠しに遭ってたのよ」
アキの言葉に思わず息を呑んだ。
小学校六年生から高校三年生までの七年間、俺は神隠しに遭っていた。
だけどアキは昨日までの七日間、神隠しに遭っていた?
「本来なら有り得るはずがないんだけど……」
何を今更という話だし、納得出来る点が多かった。
つまり俺とアキでは神隠しに遭った時代が違っていたということか。
確かに神隠しなんてものが同じ時間を対象にするとは限らない。
「俺がアキと初めて会った頃はまだ生まれてもいなかったのか……」
そりゃあアキを探しても見つからないわけだ。
「そういうことになるね」
「待て待て。じゃあ空き巣事件の時、お腹にいた子がアキ?」
「そうだよ。お母さんから何度も話は聞いてたからね。すぐ分かったよ」
「分かったならその場で教えろよ」
「嫌よ、過去を変えたりしたら大変でしょ」
確かに。下手な真似をして俺と双葉が破局でもしていたら目も当てられない。
それに神隠しを悪用して過去を変えるなんて怖くて出来ないな――いや待て。
「もっと前でも良かっただろ。最後の神隠しの後ならいつでも大丈夫なんだから」
「無理に決まってるじゃない。シュウがお隣さんだって私が知ったのは昨日よ?」
「ああクソ! ややこしい!」
「シュウにとっては毎年だっていうのは早い段階で分かったんだけどね」
そりゃそうだ。ぐんぐんと成長したからな。一日であんなに背が伸びたら不思議だろう……だから逆に俺からはアキが年を取っていないように見えたのか。
「お隣さんだと分かって確認してみれば、通夜には来る予定だって聞いたから今夜は会えると思ってたんだけど……」
アキはそう言いながら紅葉に目配せする。紅葉は答えるようにニヤリと笑った。確かにお前らは気が合いそうだと思う。息がぴったりじゃないか。
「先に私がお姉ちゃんに会いに行ったんだよ」
「そう、昼過ぎくらいから紅葉ちゃんと遊んでたの」
「で、昨日お父さんから聞いた神隠しの話をしたら……」
「まさか私の話だとは思わなかった!」
アキと紅葉はきゃっきゃっと女の子らしく笑っている。
俺はと言えば、まだ情報が整理出来ていないくらいだ。
「いやー、紅葉ちゃんが近所の子だとは聞いてたけどシュウの娘だとはね」
「それはお互い様だろ。紅葉から聞いた子がアキだとは思わねーよ」
「私もお父さんから聞いた話をお姉ちゃんが全部知ってるとは思わなかったよ」
それぞれの視点で驚きを口にする。
直後、思わず全員で笑ってしまった。
「で、話を聞いたらシュウは今日も神社で待ってるって言うのよ。
それで急いで来たってわけ。毎年待っていてくれるとは思わなかった」
どうやらアキは俺を待たせたことを気に病んでいるらしい。
相変わらず意外と真面目というか、気を遣うというか……。
自分で決めたことだから俺は気にしていなかったが、だからこそ咄嗟に答えられず、言葉に詰まってしまった。その隙にアキは続けて言った。
「私は東条千秋。亡くなった隣のお婆ちゃんの孫よ。
あだ名は『ちーちゃん』をお姉ちゃんに取られたから仕方なく、ね」
「遠藤秋一だ。結局、幼馴染の双葉とは結婚したよ。
昨日は娘の紅葉と遊んでくれてありがとうな」
約束していた通り、俺たちは互いの自己紹介を済ませる。
ようやく俺たちは同じ夏の終わりで挨拶をすることが出来たのだった。
「あれ、今何時?」
唐突にアキが声を上げた。言われて自分のスマホを取り出す……そうか、アキのスマホは田んぼに落としたんだ。今の時刻は十八時を過ぎた頃だった。
「そろそろ行かないとまずいか」
「そうなの?」
俺の声に紅葉は首を傾げた。時間のことは考えていないらしい。俺は本殿前の荷物を取りに行く。偉そうなことを言った手前、遅れたりしたら双葉が怒りそうだ。
「あ……やべ、忘れ物だ」
荷物をまとめると、三人で鳥居を抜けようとする。
しかし忘れ物を思い出して振り返った。そこで俺は動きを止める。
「ん?」
いつもと何も変わらない、見慣れた古い神社。
境内を囲む森の近くで何かが動いたような気がして目を凝らす。
「アイツ……」
白い猫が石畳の端っこで丸くなっていた。
「シュウ? もう行くんでしょ?」
「そもそも……アキはどうしてこの神社に来たんだっけ?」
俺は足を止めたまま、アキに訊いた。
後ろで二人から不思議そうな声が漏れた。
「お婆ちゃんの体調が悪かったから神社までお参りに来たんだよ」
「何でこの神社だったんだ? 誰も知らないような場所だぞ」
「前にお婆ちゃんから聞いたのよ。昔から大事にしてるって……」
なるほど。元気がない婆さんのために縁のある神社へ通っていたわけか。
俺の方はどうだったかと考えて……思い出した。
最初は隣の婆さんにお供え物を頼まれたんだ。
そのお供え物をこっそり猫にあげたのが始まりではなかったか。
遠くの猫はふてぶてしい様子で丸くなっている。
その姿は不愛想で、何というか……可愛くない奴だった。
「あ、そうだ! お婆ちゃんに神隠しのことを話したら大笑いしてたよ。
元気がなくなっていたから、楽しそうな顔が見れて良かったな」
そう言ってアキは不意に滲んだ涙を拭う。その様子を見て、ようやく気が付いた。あの時アキは昨日の昼に亡くなった婆さんのために泣いていたのだ。
「ひょっとしたらアキと同じだったのかもな」
婆さんに餞別でもあげたかったのではないだろうか。
それが悪戯だと言うなら何だか妙に納得できる。
――というのも、白猫はあの頃と変わらないままの子猫に見えた。
「? 忘れ物は?」
「んー、もういいや」
本殿の前に忘れた和菓子はそのまま置いていくことにする。
きっと腐らせたりはしないだろう。昔からごはんは綺麗に食べていた。
「あ、あのね、お姉ちゃん」
「ん? どうしたの、紅葉ちゃん」
今まで大人しかった紅葉がアキに声を掛ける。
珍しくしおらしい様子で続きを口にした。
「来年も遊びに来ない?」
アキは両目を瞬いている。紅葉からこう言われたのは予想外だったのだろう。
しかしすぐに回復すると紅葉に笑いかけた。
「うん、また来年も来るよ」
「ほんと? 約束だからね!」
紅葉が上機嫌にアキの周りを跳ね回る。アキが「シュウも来て欲しそうだし」なんて呟いたのは睨んでから無視しておく。そこで急に紅葉が足を止めた。
「わぁ、秋だね!」
紅葉は境内から見える夕日を指さして笑う。
ちょうど神隠しも終わる頃だった。
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