第2話 神隠しの二人
およそ二十年ほど前の八月三十一日。小学校六年生の夏休み最後の日だった。
暑い中、村の外れにある山まで俺は足を運んでいた。
「まったく、夏休みも今日で最後だって、のに……」
ぶつぶつと文句を言いながら俺は石段を登る。
この石段は山道とは違って獣道の奥にあった。
登り切ったところにある神社の存在を聞いてから、毎日のように俺はお供え物と一緒に通っていた。今も両手には古くなって欠けた皿を一枚ずつ握っている。
「わざわざ俺が、こんなこと……」
相変わらず文句を言ってはいるが別に本気ではなかった。
単に長い石段で気が立っているだけ。何せ田舎は実際のところ暇なのだ。
この調子で進んでいると傾いた鳥居が見えてきた。この鳥居を抜ける度、倒れるんじゃないかと心配になる。その後、罰当たりかもと怖くなるのだが。
でも心配するのは仕方ないと思う。古い鳥居だ。許してほしい。昔は綺麗な赤色だったのだろうが、今はあちこちの塗料が剥げてしまっているくらいなんだし。
この神社は山の中腹にあるが、長い石段は見つかりにくいし地上からは見えない。村の人も大半は存在すら知らないはずだ。
「着いた……」
鳥居を抜けて境内に出る。まぁ、境内とは言うが実際は広場のようなものだ。
周りは深い森に囲まれていて奥には小さな本殿が見えていた。
何度来ても『忘れられた神社』という印象を受けるのだった。
軽く息を切らしながら本殿へ歩み寄ると、俺は入口の前に片方の皿を置いた。
皿にはいくつか和菓子が載っている。作法は分からないが、これで良いらしい。
「おーい、でてこーい」
次に俺は境内の中心に立った。周囲の森に向けて声を上げる。
何度か繰り返すが一向に出てくる気配はない。
諦めて俺は溜息を吐く。
がしがしと頭を掻き、負けを認めて呟いた。
「……飯だぞ」
「なー」
残った方の皿を石畳に置く。
すぐに真っ白な子猫が出てきた。
「可愛くない奴」
この生意気な子猫は神社の近くに住み着いているようだった。
親猫も見当たらないのだが、どうやって生活しているのか。
ここで見かけて、その時に持っていた食べ物をあげたのがきっかけだった。
どうにも気になるので夏休みの間だけでもごはんをあげることにしたのだ。
「…………」
しかしこの子猫、どうにも不愛想というか……ふてぶてしい。
今だって俺が撫でても全く興味を示していない。
皿に載った缶詰をマイペースに食べ続けている。
いや「ごはんをくれるなら撫でさせてやろう」と言ってる気さえした。
俺が呼んでも出てこないくせに、ごはんを置くと出てきやがる。
報酬代わりに撫でていると、あっという間に食べ終わったようだった。
見れば一滴も残さずに食べ尽くされていた。缶詰は全て舐め取られ、古い皿は新品のようだった。ぴかぴかと光って見えるくらい。
「そんなに腹減ってたのか?」
「なー」
眠そうな声を出しながら子猫は立ち上がり、森へと帰っていく。
腹が立つことに一度も俺を見ることはなかった。
「……やっぱ可愛くない奴」
呟いてはみたものの、どう頑張っても負け惜しみにしか聞こえなかった。
未練がましく子猫を眺めていたが諦めて俺も帰ることにする。
空になった皿を拾おうと――
「あれ?」
異変に気付いて周囲を見回す。
――いつの間にか境内は深い霧に包まれていた。
この辺りに霧なんて出たかな……いや、おかしい。
あんなに晴れていたんだ。流石に不自然すぎる。
「うわ」
立ち尽くしていた俺に、今度は突風が吹いてきた。
こんなに強い風は山でも経験したことがない。
風は収まるどころか勢いを増していく。
しかも四方八方から吹き付けるようで咄嗟に腕で顔を庇っていた。
「くそ、何だこれ……?」
霧で視界は塞がれて周囲の様子は何も見えない。風で揺られて自分が立っているかも曖昧になってしまう。耳元で風の音がごうごうと煩かった。
「え?」
しかし――その全てが急に消えた。
霧なんてどこにも見当たらない。風もぴたりと止んでいる。
見回せばいつもの神社だし、見上げれば雲一つない晴天だ。
「えっと……」
思わず本殿の方を振り返った。神社も森も静まり返っていて、鳥や虫の声すら聞こえない。もちろん薄情な子猫だって出てこない。
『忘れられた神社』なんて考えていたが神社には違いない。そう思うとなんだか急に怖くなってきた。俺は少しずつ鳥居の方へと後退していく。
やがて鳥居の真下まで来ると「ごめんなさい」と早口かつ小声で言って神社に背を向ける。そのまま一目散に石段を駆け下りた。
「か、勘弁してくれよ」
思わず引きつったような声が漏れた。
石段を下っている内に、また霧が出てきたのだ。
進めば進むほどに霧は濃くなっていく。
すでに自分の足元しか見えないほどだった。
どうにか石段を下り終えると、獣道を走る。まだ霧は晴れない。
でも大丈夫。この獣道をまっすぐ抜ければ森の外に出るはずだ。
「これで……!」
獣道を抜けた瞬間、視界が開けた。
一気に霧が晴れたのだ。見上げれば元通りの晴天。
「嘘だろ?」
獣道を抜けた先は、元の神社の境内だった。
俺は周囲の森から境内へと飛び出したことになっているらしい。
境内の中心にはぴかぴかの皿だけが残っていた。
「終わった……」
本殿の入口前にある階段に腰かけて空を見上げる。カラッと気持ちの良い晴天。置かれている状況の深刻さと違いがありすぎて、情緒がどうにかなりそうだった。
あれから何度か神社を出ようとしたのだが必ず戻ってきてしまう。しばらく歩くと霧が立ち込めて、霧を抜けると元の神社に出るのだ。
「完全に閉じ込められてる……ん?」
視界の端で何か動いた気がした。
本殿から見て左手にある鳥居へと意識を向ける。
「うわっ! 今の何!?」
「え、誰かいるのか?」
少女の声が聞こえてきた。慌てて声の方へと走る。傾いた鳥居のすぐ近く。ちょうど石段を登り切ったばかりといった様子で少女が立っていた。
真っ白なワンピースに麦わら帽子。田舎で浮かれるお嬢様みたいに場違いな服装なのに、白くて長い手足は妙に健康的で……何故か神社に映えていた。
「あ!」
不安になっていた俺は少女へと声を掛けようとする。
それよりも先に俺を見つけて少女は口を開いた。
「今の何!? すごい風だったけど……この辺りはよく風が吹くの?」
少女の顔が見えた。俺よりも少し年上かも知れない。
どうやらこの子も俺と同じ境遇にあるらしい。
「はぁ? 出られない? この神社から?」
「そう言ってるじゃないか。出ようとしたら戻されるんだよ」
俺が状況を説明すると、少女は大口を開けて笑って見せた。
まあ、普通に考えたら信じないとは思う。
「いや、笑ってる場合じゃなくて……」
「まーまー、一度試してみよう。何かの勘違いだって」
話もろくに聞かず、少女は俺の手を引いて神社から出ようと歩き始める。仕方ないので後に続いた。実際に見てもらった方が早いだろう。
いや、待てよ? 試してみる価値はあるか。ひょっとしたら二人一緒なら出られるのかも知れない。少なくともこの子が出られないと決まった訳じゃない。
「何よ、この状況……」
「もうダメだぁ……」
しばらく悪足掻きをした後、俺たちは仲良く二人で本殿前の階段に座り込んでいた。絶望する子供が一人から二人に増えただけである。
二人で神社から出ようとしても結果は同じだった。霧が出ては境内に戻ってきてしまう。一応は探してみたが、俺たち以外の人は見当たらなかった。
「……アンタ、村の人じゃないよね」
気分転換で気になっていたことを訊いてみた。
村の人間はみんな顔見知りだからすぐに分かる。それに村の子供はもっと日焼けしているだろう。立ち振る舞いも丁寧な気がする。まさか本当にお嬢様だろうか。
「親戚とか?」
「まぁね……君は村の子だね」
服装を見てもすぐに分かる。女の子は綺麗なワンピースだが、俺は掠れたプリントシャツとハーフパンツだった。
「俺はシュウ。あだ名だけど」
「じゃあアキよ。私もあだ名だけどね」
これも何かの縁だろうと名乗れば名乗り返してきた。出来ることもないので、だらだらと俺たちは雑談を始めた。
「アキって何だよ。あだ名じゃねーだろ」
「……別に良いでしょ、もう選択肢がなかったのよ」
「なんだそりゃ?」
「それよりも! 早くその子猫を連れて来なさいよ! 見せて!」
アキはべしべしと俺の肩を叩く。思ったよりも横暴である。
猫好きだったようで、歩きながら子猫の話をしたらこうなってしまった。
「無理だって。どこにいるかも分からねーし」
「呼べば良いじゃない。いつも餌をあげてるんでしょ?」
「……アイツは餌がなければ来ねーんだよ」
「あはは! 完全に召使いじゃん!」
アキが腹を抱えて笑っている。何も言い返せずに俺は苦笑いするしかなかった。客観的に見て召使いである。
「いいから! アイツを見たければごはんを持ってこいよ、一発だ」
「それしかないかー……ところでシュウって小学生?」
「そうだよ」
「思ったより子供だったなぁ」
やはり年上だったようだ。中学生くらいか? にやにやと笑いながらアキは俺をぐりぐりと撫でてくる。大変腹立たしい。
「でもさ、この村って他に小学生はいるの?」
「俺の他にもう一人いるよ」
「……女の子?」
「まぁ」
今度は「あらあらぁ」なんて言いながら根掘り葉掘り訊いてくる。好き放題に遊ばれているのは明らかだった。
だけどアキと話しているのは嫌な気分ではなかった。
……どこか居心地良い気分で、他愛のない話が続いていった。
「出られないねぇ」
「出られないなぁ」
二人で夕焼けを眺めて呟く。そう、駄弁っている間に日が暮れてしまったのである。絶望というより諦めに近い心境だった。
もう神社からは出られないのだろうか。いっそ、ここで生きていく方法を考えるべきかも知れない。現実逃避なのか本気なのか良く分からない思考を進めていく。
「ちょっと! シュウ、これって……」
「え? うわ!」
先に気付いたのはアキだった。見れば、周囲の森から境内へと霧が流れ込んできている。急いで立ち上がったが、すぐに霧は俺とアキも包み込んでしまう。
「くそ、やっぱりか」
「シュウ?」
今度は風も出てきて、来た時の状況を再現しているようだった。
アキの声も風で良く聞き取れない。
「シュウ、そこにいる?」
「うん、アキは大丈夫か?」
返事はない。それとも風で聞こえないだけなのか。
風と霧で周囲の状況は全く分からなくなっていた。
「シュウ、またね」
でも最後にそう聞こえた気がした。
どれだけ続いたのかも分からなかったが、急に風は止んで霧が晴れていった。
目を開くと、そこは先ほどまでと変わらない神社のままだった。
「……アキ?」
しかし夕暮れにアキの姿は見当たらない。
「ひょっとして、帰ってきたのか?」
何となくそんな気がして石段を下りることにする。
苦労することもなく家に帰ることが出来た。もちろん霧なんてどこにもない。
きっと神隠しというやつだったのだろう。
こうして俺はアキと出会ったのだった。
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