第1話 父娘と隣の孫娘
両肩を交互にぐるぐると回しながら狭い田舎道を歩く。
村役場に勤めている俺は明日の仕事も終わらせるために残っていたのだ。
「もう真っ暗だな、久しぶりに無理した気がする……」
すっかり暗くなってしまった様子を見ると、日が短くなったことを実感する。
まぁ無理もないか。明日は八月三十一日。夏の終わりと言って良いだろう。
「?」
ふと線香の香りが鼻を突く。
そうだ、隣の婆さんが亡くなったんだ。耳をすませば家の中からは話し声も聞こえてきた。集まった親族で通夜の段取りでも話しているのだろう。
隣の婆さんは信心深い癖に悪戯が好きで口の減らない人だった。
子供の頃から良いように遊ばれた記憶がある。
元気な婆さんだったが、最近は一気に体調を崩してしまったらしい。それでも数日は持ち堪えたが、今日の昼頃に亡くなったと聞いている。
長い付き合いだし縁もある。
明日の通夜には家族で参列するつもりだった。
「……明日の夕方に神社から帰って来ても、急いで行けば間に合うだろ」
毎年、俺は八月三十一日には休みを取ることにしている。
古くから馴染みのある神社に行って一日を過ごすと決めていた。
自宅の敷地へ入る。元は農家だった両親のものだ。古い家だから色々とガタは来ているが、どれだけ紅葉が走り回っても広さだけは困らない。
「あー、こりゃ拗ねてるか?」
スマホの時計を見ると、普段より二時間近くも遅くなっていた。
紅葉が不機嫌になっているかも知れない。
「ただいまー」
がらがらと俺は玄関の引き戸を開けた。
「おかえりー!」
ぱたぱたという足音が聞こえてくる。
すぐに紅葉が出迎えてくれた。小学校三年生で、とにかく喋る娘だ。
背はあまり高くないが親のひいき目込みで言えば美人だと思う。
見た限り機嫌は悪くないが油断は出来ない。
夏休みだからと夜更かしを企んでいるのかも知れなかった。
とりあえず俺は二階にある自分の部屋へと向かう。
夕飯の前に着替えたかった。紅葉が後ろをついてくる。
「あのね、今日は家の前で遊んでたんだけど」
「家の前? 何か事件でもあったのか?」
「こんな田舎で事件なんてないよ! ただ、隣の家が騒がしくなったの」
「あぁ、隣の婆さんが亡くなったからな」
着替えを終えて一階に戻る。居間で食事の準備が出来ているはずだ。
流石にお腹が減っていた。やはり紅葉はずっと喋りながら後をついてくる。
「ここで遊んじゃダメかなって思ってたら、お姉ちゃんが声を掛けてくれたの」
「……お姉ちゃん?」
「お姉ちゃんは虫が嫌いで、夏休みの途中から村に来たんだって。こんな田舎に来たのは初めてだって言ってたよ」
「へぇ、婆さんの関係者かな」
それにしても随分と紅葉が懐いている。
明日はお礼くらい言った方が良いかも知れない。
「あ、おかえり。結構遅かったね」
「ただいま、すぐに食べて良い?」
思った通り、夕飯の準備は終わっていたらしい。キッチンで洗い物をしている嫁の双葉に声を掛けて座席に着いた。紅葉も隣に腰掛ける。
俺が食べ始めても紅葉はずっと喋っていた。
今日はよほど話したいことがあるらしい。
「お姉ちゃんはね、村に来てすぐにスマホの充電器を忘れたことに気付いたんだって。村中の店を探し回ったけど、同じ型の充電器がなかったって怒ってたよ」
「個人商店兼駄菓子屋にあるわけがないんだよなぁ」
「その後、GPSで帰ろうとしたらスマホの充電が切れて道に迷ったみたい」
「中々に運がない……でも狭い村だし、田んぼと畑ばかりだから帰れるだろ」
「うん、だから田んぼにスマホを落としちゃったの……」
「傷が広がるなぁ。そのスマホがどうかしたのか?」
漬物をぽりぽりと齧りながら続きを聞いた。
紅葉は少し困ったような顔をする。
「お話してたら私のスマホと機種が一緒だったみたいで、充電器を貸して欲しいってお願いされてね。お姉ちゃんのスマホは……結局、電源も付かなかったけど」
「防水でも田んぼに落ちたら厳しいだろうな。それで仲良くなって遊んだのか」
「うん、仲良くなったんだけど……」
「?」
珍しく紅葉が言い淀む。お姉ちゃんのことを気に入っているらしい。
小さい村だし兄弟姉妹もいない。年が近い子と遊べて楽しかったのだろう。
「お婆ちゃんの孫みたいよー。この村に来るのは初めてなんだって」
双葉がキッチンから声を上げた。
「いたなぁ、孫娘」
「でも明日には帰っちゃうのが嫌なのよね」
「……ああ、なるほど」
せっかく仲良くなったお姉ちゃんだけど、明日の葬式が終わったら帰ってしまう。もう会えないと思って落ち込んでるというわけか。
「それなら連絡先を交換すれば良いんじゃないか?」
「うん、そう思ったんだけど……スマホが」
「そこに繋がるわけか」
「番号だけ交換するのも、家族の連絡先っていうのも……なんか……」
うーん、と紅葉は首を捻っていた。
確かに軽い気持ちで連絡先を聞きづらい状況になっている気はする。
「……難しく考える必要はないんじゃないか?」
「え?」
「また会おうって約束すれば良いんだよ。連絡先を交換してもしなくても、気持ちがなかったら関係なんて途切れちゃうものだからな」
「んー、そうかなぁ……会ってくれるかな」
紅葉は納得していない様子だった。無理もないか。約束しても必ず会えるわけではない。最終的には相手次第になるだろう。
「お父さんも、また会おうって約束してる人がいるんだ」
「え? そうなの?」
「実を言うと、まだ会えてないんだけどな」
「ダメじゃん」
「ははは! でも、いつか会えると思って楽しみに待ってるんだよ」
「……誰と約束したの?」
おっと、紅葉の興味が俺に移ったらしい。
紅葉は「教えて教えて」と俺に詰め寄ってくる。
「でもなー、今日はもう遅いからなー……」
「えー! ここまで話したんだから教えてよ! おーしーえーてー」
ばんばん、と紅葉がテーブルを叩く。
さっきまでの落ち込みはどこに行ったのか。
「約束した方が良いって言うなら最後まで聞かないと分かんないよ。
それに遅くなったのはお父さんのせいじゃん! お話しようと思ってたのに!」
感情的に話してたと思ったら急に論理展開してきた。末恐ろしいもんだ。
それに帰りが遅くなったことも、見せなかっただけで根に持っていたらしい。
「……結局、誰なのかは分からなかったかな」
「誰かも分からないのに、また会う約束をしたの?」
思わず声を出して笑ってしまう。
あまりにも紅葉の言う通りだった。
「実は『神隠し』の時に会ったんだ」
「神隠し!?」
紅葉がキラキラと目を輝かせている。
面白そうな単語が出てきたら、いつもこうだ。
「いつのこと!? 私もやりたい! どうやれば良いの?」
「んー、そうだなぁ……」
紅葉の物言いに思わず苦笑してしまう。
そうして神隠しと少女について俺は話し始める。
あれは小学校最後の夏だった。
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