第15話 記事をAIに頼むのは、いつも最後です
第14話では、似た副業記事が無数にある中で、他人と同じものを増やすのではなく、自分にしか作れない部分を残す必要があると考えました。
今回は、そもそも俺がAIをどう使って記事を書いているのかを振り返ります。
「AIに書かせた記事は、読まれないらしい」
noteで似た記事を見ていると、ときどきそんな言葉を見かける。
区切り線が多い。
見出しが細かい。
箇条書きが多い。
最後には、きれいなまとめが付いている。
確かに、AIへ丸ごと任せた文章には、そういう形が出やすい。
「じゃあ、俺の記事も同じなのか?」
文章を整えているのはChatGPTだ。
構成も見出しも、読みやすい言い回しも、かなり任せている。
それだけ見れば、AIに書かせた記事で間違いない。
だが、俺は最初から、
「この記事を書いてくれ」
と頼んでいるわけではなかった。
たとえば、Etsyへ出したバイリンガル教材。
すでにテンプレートがあるため、内容と画像を変えれば、別の商品をいくつも作れる。
しかし、まだ一つも売れていない。
「売れていない商品を、さらに増やす意味はあるのか?」
商品数が増えれば、検索で見つかる入口も増えるかもしれない。
反対に、誰にも見られない商品が並ぶだけかもしれない。
作れないわけではない。
ただ、多少の手間と時間はかかる。
売れているなら、次も作ろうと思える。
売れていない今は、よほど暇なときでなければ作る気が起きない。
俺は、その迷いをそのままChatGPTへ相談した。
そして、まず新商品を作るのではなく、現在の商品ページを目立たせることにした。
タブレットに絵本を表示した使用イメージ。
日本語、ローマ字、英語で学べることを説明する画像。
日本語版と英語版の歌が付いていることを伝える画像。
PDFとMP3の利用方法。
実物が発送されないデジタル商品であることの説明。
何枚もの商品画像を作った。
途中で、商品に含まれていない練習シートまで画像に入れてしまった。
「これは使えないな」
便利そうに見せるために、存在しないものを載せるわけにはいかない。
その画像は使わなかった。
相談する。
試す。
違和感に気づく。
修正する。
ここまで進んでも、まだ記事を書く話は出ていない。
記事になるのは、いつも最後だった。
「このやり取り、記事にできるんじゃないか?」
そこで初めて頼む。
「ここまで話したことを記事にして」
依頼だけ見れば、たった一行だ。
だが、その前には何十回もの対話がある。
疑問。
反論。
数字。
実際に行った作業。
うまくいかなかった結果。
次に何をするかという判断。
短い命令で記事ができているのではない。
長い対話の、最後の一言だけが短いのだ。
俺はChatGPT以外のAIにも小説を書かせている。
Gemini。
Perplexity。
Claude。
小説家になろうでは、この四つを使い分けながら、六作品ほど連載している。
作品によっては、Perplexityが本文を書き、ChatGPTが修正と校正をする。
Geminiは、感情や展開を少し大きく動かす傾向がある。
会話が進み、事件が起こり、ラノベらしく話が先へ進みやすい。
ChatGPTは、設定の整合性や細かな描写に強い。
ただし、丁寧に書こうとして説明が長くなることがある。
Perplexityは、その中間に近い。
Claudeは落ち着いているが、場面によっては淡々としすぎる。
とはいえ、AIごとの作風が完全に固定されているわけではない。
「ライトノベル調で」
「起承転結を明確に」
「テンポよく、分かりやすく、読みやすく」
「一話は何文字程度」
「続きを読みたくなる伏線を入れる」
そう頼めば、どのAIもある程度は修正できる。
さらに、同じ作品で対話を積み重ねれば、それまでの設定や修正方針も文章へ反映されていく。
「結局、AIだけで決まるわけじゃないんだな」
記事も同じだった。
AIへ突然、
「noteで稼ぐ方法について記事を書いて」
と頼めば、おそらく平均的な文章が出てくる。
テーマを決める。
読者の悩みを考える。
継続して投稿する。
SNSで宣伝する。
有料記事へ誘導する。
間違ってはいない。
だが、すでに大勢が同じことを書いている。
AIに書かせたから個性がなくなるのではない。
書き手自身の材料も判断も渡さず、平均的な正解だけを求めるから、誰が書いても同じ文章になる。
俺の記事にも、ChatGPTがきれいにまとめすぎることはある。
「そこまで成功していない」
「売上は四百円のままだ」
「その機能はまだ完成していない」
「その商品は実際には入っていない」
「それは別のアカウントの話だ」
違えば止める。
削る。
現実に戻す。
何を残し、何を違うと判断したか。
そこに、俺自身の考えが入っている。
「でも、記事の材料に困らないことと、読まれることは別なんだよな」
これが一番大きな問題だった。
俺には記事の材料がある。
AIへ相談すれば、疑問が出る。
何かを試せば、結果が出る。
商品を作れば制作記録になる。
Etsyの商品ページを直せば改善記事になる。
AIごとの小説の違いに気づけば比較記事になる。
さらに、公開したnote記事はClaude Codeに読み込ませ、ショート動画へ変換できる。
現代版の、
『無職のおっさん、今日も謝る』
江戸版の、
『無職浪人、今日も腹を切る』
記事を短い物語へ変え、静止画像、AI音声、字幕を組み合わせる。
つまり、一つの対話から、
note記事。
ラノベ。
画像。
動画。
投稿文。
いくつものコンテンツが枝分かれしていく。
記事の材料には、ほとんど困らない。
だが、それを誰かが求めているかは分からない。
自分の考えが反映されていても、興味を持たれなければ読まれない。
独自であることと、需要があることは同じではない。
俺は、記事テンプレートの最初を書き直した。
見出しは、
「記事やコンテンツに困らない方法」
そして、その下に説明を加えた。
俺は、AIにいきなり記事を書かせているわけではない。
まず、疑問に思ったこと、相談したいこと、試したこと、うまくいかなかったこと、記事への反応、ビューや売上などの数字について対話する。
自分の考えがある程度まとまったところで、初めて記事にしてもらう。
その記事が、また別のコンテンツの材料になる。
「これなら、実際にやっていることに近いな」
記事を書くためにAIと話しているのではない。
考えるためにAIと話している。
記事は、その結果を残す形式の一つだった。
俺は画面を読み返した。
区切り線もある。
見出しもある。
箇条書きも使う。
表面だけなら、AIらしい文章に見えるかもしれない。
だが、その中には、俺が実際に迷った時間がある。
売れなかった数字がある。
作らなかった判断がある。
使わなかった商品画像がある。
「問題は、AIが書いたかどうかじゃない」
俺は最後の一文を入力した。
「誰の考えも入っていない文章になっているかどうかだ」
記事を保存する。
次は、その記事をClaude Codeへ読み込ませる。
現代のおっさんと江戸の浪人が、また別々の時代で同じ問題に悩むことになる。
記事を作るのは最後。
だが、記事ができたところから、次の制作が始まる。
そして、その結果を見た俺は、またChatGPTへ相談するのだろう。
売上は、まだ四百円。
それでも、考えることまで止まったわけではなかった。
第15話では、AIへ記事を丸投げする方法と、対話の最後に文章化する方法の違いについて書きました。
実際には、最初から「記事を書いて」と頼むことはほとんどありません。
疑問や相談から始まり、試した結果や数字を確認し、違和感を修正し、考えがまとまったところで記事へ変換しています。
そのため、最後の依頼が短くても、その前には長い文脈があります。
一方、自分の考えが反映された記事を作れることと、それが読者に求められることは別です。
現在の課題は、記事の材料を作ることではなく、その内容を読者の疑問や需要へどうつなげるかという部分にあります。
著者
無職のおっさん
協力AI
ChatGPT:企画判断・対話整理・物語構成・本文作成・文体調整
Claude Code:note記事からの動画変換・自動生成処理
Gemini・Perplexity・Claude:小説制作における比較と実作業




