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死神様は生贄の娘を離さない 第二巻  作者: 武村


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四話 黄泉の中へ

森の中は

 やけに静かだった。


『オイデ……』


 その声はまだ続いている。


 雅は誘われるように、

 その声のする方へ進んでいく。


 きっと、

 この声の先に

 村人がいるはず……

 

 雅に恐怖心はなかった。


 ただ、村人を救いたい。


 その思いだけが、

 雅をつき動かしていた。


 しばらく歩いて

 はたと気がつく。


 雅は足を止めた。


 鳥のさえずりも。


 虫の羽音も。


 獣の気配も。


 何も感じない。


 雅はぶるりと肩を震わせた。


「……!」


 風が吹き抜けた。

 冷たくて、

 息の詰まるような。


 山の風じゃない……


『オイデ……』


 声は近くから聞こえてきた。

 

 

 雅はグッと提灯を持つ手に力を込めた。


 早く助けなきゃ。


 雅は覚悟を決めて、

 声に近づいた。


 少し歩くと

 開けた場所にでた。


 一人の男が倒れていた。


 猟師の格好。

 間違いない。

 探していた村人だ。


「良かった!」


 雅は男に駆け寄ろうとした。


 しかし、雅は足を止める。


 倒れている男の横に、

 黒い影が見えたからだ。   

 

「あれは……!」


 痩せ細った体。


 骨ばった長い手足。


 膨れ上がった腹。


 地を這うように、

 男の周りを徘徊するそれは、

 人ではなかった。


「……餓鬼。」


『腹が減った……』


『俺に食わせろ……』


『食いたい……』


 一体や二体ではない。


 至るところから

 その声は聞こえた。


 木々の隙間。

 草むらの中。


 気がつけば、

 同じ影が男を取り囲んでいた。


 しかし、

 雅がそこへ訪れた瞬間。


 餓鬼たちのぎょろついた目が

 雅をとらえた。


『生きた……人間。』


『美味そうだ……』


『食おう……食おう……』


 ぞわりと

 雅の背中に悪寒が走った。


 それでも雅は力強く行灯を握りしめ、

大声で叫んだ。


「その人から離れなさい!」

 

 雅の叫びに、

 餓鬼たちは動きを止めた。


『……』


『……』


 無数の目玉が

 雅を見つめていた。


 餓鬼たちは雅を見据えたまま、

 一体、また一体と近づいてくる。


 次の瞬間。


『食わせろー!』


 一体が飛びかかったのを合図に、

 次々と雅に襲いかかった。


「きゃあ!」


 雅はとっさに

 持っていた提灯を掲げた。


 その時。


 提灯の火が

 ごうごうと大きく燃え上がった。


『ギャアア!!』


 その炎に包まれた餓鬼たちは

 黒い煙を上げて燃えていた。


 雅は目を見開き

 提灯を見つめた。


 勢い良く燃える提灯は

 不思議と熱くはない。


 その炎は普通ではなかった。


 神の巫女と崇められている雅の霊力に

呼応したのか、

 その炎は清らかな気を放っていた。


『……熱い』


『あれは嫌だ……』


『近づけない……』


 餓鬼たちは踏みとどまる。


 しかし腹が減っている餓鬼たちは、

なおもじりじりと雅に近づこうとする。


 数が多すぎる!


 雅は提灯を掲げながら、

 数歩後ずさった。


 餓鬼たちは

 炎を恐れながらも

 徐々に距離を詰めてくる。


『食わせろ……』


『食わせろ……』


 まるで呪詛のような声が、

 森を支配する。


「くっ!」


 雅は唇を噛んだ。


 猟師を助けたいのに……!


 餓鬼をどうにかしなければ、

 近づくことすら叶わない。


 その時だった。


 グラリ。


 足元がわずかにぐらついた。


「えっ?」


 雅のすぐ後ろの地面から、

 冷たい風がぶわりと吹き上がった。


 餓鬼たちはぴたりと動きを止めた。


『……駄目だ』


『奴だ……』


『逃げろ……』


 今まで雅を食おうとしていた餓鬼たちは、

一斉に怯え始めた。

 

 

 雅は思わず振り返った。


 冷たい風が吹き上がった瞬間、

 無数の白い糸が雅の両足を絡め取る。


「なに、これ……」


 背筋が粟立った。


 やがて地面は崩れだし、

 黒い靄のようなものが辺りに立ち込める。


『逃げろ……!』


『あいつだ……』


『黄泉に引きずり込まれるぞ……』


 餓鬼たちは我先にと、

 山の奥へと逃げていく。


 雅は動けなかった。


 猟師がまだそこにいる。


 あの人を連れて、

 早くこの場から逃げなければ。


「あっ!」


 猟師に伸ばした手は

 届くことなく。


 雅は暗い闇の中へ

 落ちていった……。


 森の中は静かだった。

 猟師は倒れたまま。


 崩れ落ちたはずの地面は

 何もなかったかのように

 元に戻っている。


 遠くで鳥のさえずりが聞こえた。 

 

 やがて

 猟師は目覚める。


「うっ。」


 重い瞼を上げて、

 ゆっくりと体を起こした。


 見慣れた森の中。


「俺は、いったい……」


 辺りを見回した男は、

 はっと何かに気がつく。


 男は近づき、

 それを拾った。


「巫女様の鈴……」


 それは、

 雅の着ていた着物の袖の振りに付いてある

鈴のお守りだった。


「巫女様……

 そんな……!」


 猟師の顔から血の気が引いた。


 猟師は急いで山を降りると、

 村人にこう語った。


「巫女様が消えた」


 と。

 

  

 

「うっ……」


 雅は痛む頭を押さえながら、

 立ち上がった。


「ここは、どこなの?」


 さっきまでいた森ではない。


 暗くどんよりとした空。


 遠くには川が見える。


 彼岸花が生い茂るそこは、

 全体的に灰色がかっていた。


「やっとお目覚めかい?

 美味しそうな巫女様……」


 女の声。


 ばっと後ろを振り返ると

 そこには巨大な女郎蜘蛛のような生き物が、

 雅を見下ろしていた。

 

 上半身は人間の女のようだが、

 下半身は蜘蛛そのもの。


 艶やかな黒髪をなびかせながら、

 女は妖艶にその赤い口元をニヤリと歪ませた。


「あなたが、私をここへ連れて来たのね。」


 雅は顔を強ばらせ、

 そう呟いた。


 女郎蜘蛛はくすくすと笑う。


「連れてきたんじゃなくて……」


 長い指が雅を指した。


「招いたの。」


『オイデ……』


『助けてくれ……』


 その声は、あの時聞いた声だった。


 雅の顔はさらに強張る。


「あんた、優しいのねぇ。」


 その女は楽しそうに目を細めた。


「助けてって言えば、

 騙されて、あんな森に入ってくるんだから。」


「あの人は、どこなの?」


 雅は悠然とした態度で

 女にたずねた。


「あの人?」


「森で倒れていた村の猟師よ。」


「さぁ?

 村にでも帰ったんじゃない?

 餓鬼も、私に恐れて逃げていったでしょ?」


「そう……」


 雅は、ひとまず猟師の安全が知れて

ほっと胸を撫でた。


「あんた、随分と余裕ねぇ。」

 

 女郎蜘蛛は面白そうに目を細めた。


「ここがどこだか

 わかっているのかい?」


 どこまでも続く灰色の世界。


 咲き乱れる彼岸花。


 仄暗い川。


「……黄泉。」


「御明答。」


 女はニヤリと笑った。


「あんたはもう、

 どこにも行けないの。

 行くのは私の腹の中さ……」


「……どうして私を狙ったの。」


 雅は絶望するでもなく、

 淡々と話す。

 だが、そこにはわずかな恐怖が滲んでいた。


「どうして?

 あんたみたいに、

 霊力が高い人間は

 美味しそうなんだもの。」


 女郎蜘蛛はゆっくりと身を屈めると、

雅を覗き込み舌舐りをした。


「神に愛され、

 人に愛され、

 あやかしにも愛される魂。」


 女はその白い指先で

 雅の頬を優しく撫でた。


「そんな魂、

 滅多に手に入らない……」

 

 雅は女郎蜘蛛を睨んだ。


 怖くないわけではない。

 しかし、ここで怯むわけにはいかない。


「私を食べたところで、

 あなたの乾きは癒えない……」


 女郎蜘蛛の眉間がぴくりと動いた。


「何?」


「あなたは餓鬼と同じよ。

 あなたの飢えは、

 魂ひとつで埋められるようなものじゃない。」


「黙れ!」


 女郎蜘蛛は笑みを消し、

 怒りをあらわにした。


「時間稼ぎしたって無駄さ!

 お前はもう現世には帰れない!」


 白い糸が一斉に雅を狙う。


 雅はとっさに駆け出した。


「っ!」


 しかし糸は雅の足首に絡みつき、

 強引に引き寄せられた。


 地面に強かに頭を打ち付けた。


「うっ……!」


 動けない雅に無数の糸が伸びる。


 腕、

 肩、

 首、

 着物の裾にまで絡みつく。


「やめて……」


「嫌よ。

 せっかく手に入ったのに、

 食べないなんて、

 もったいないでしょう?」


 雅は歯を食いしばった。


 ここまでなの……


 半ば諦めかけたその時。


 ざわり……


 空気が変わる。


 女郎蜘蛛も動きを止めた。


 冷たい。


 だけど怖くはなかった。


「まさか!」


 女郎蜘蛛は辺りを見回し、

 怯え始めた。


「何故……

 お前が……」


 瞬間。

 張り巡らされた白い糸の群れは、

 音もなく断ち切られていた。


「黄泉で、

 好き勝手しているのはお前か。

 黄泉蜘蛛よもつぐも。」


 静かに怒る男がそこに立っていた。

 

 漆黒の髪。


 夜よりも暗い黒衣。


 そして、

 月のように輝く金色の瞳。


 男が一歩、黄泉蜘蛛に近づいた。


 たったそれだけで、

 周囲の空気が一気に重くなった。


「ちがっ、違うの!」


 黄泉蜘蛛は思わず後ずさった。


 先ほどまでの余裕はどこへ行ったのか。


 女は必死に弁明する。


「私はただ……!」


「言い訳など聞かずとも、

 生者を黄泉に引き入れた……」


 女の声に男の静かな声が重なった。


「それだけで十分だ……」


 次の瞬間、

 黄泉蜘蛛の体が地面に倒れた。


 見えない力で押さえつけられているようだった。


「まっ、待って!

 黄泉、守……!」


 黄泉蜘蛛は男をそう呼んだ。


 雅は男を見た。

 黄泉守。

 聞いたことがある。


 生きている者が

 見てはいけない存在。


 しかし、目の前の男は

 雅になど一切目もくれず、

 ただ、地面に平伏す黄泉蜘蛛に

冷たい視線を向けていた。

 

 「黄泉の掟を忘れたわけではあるまい……」


「……わ、私はただ。

 少しだけ、あの女の魂を……」


 黄泉蜘蛛はぶるぶると震えていた。


「言い訳はいい。

 ……黄泉に生者を引き入れ魂を食らう。

 お前は掟を破った。」


 男は淡々と続ける。


「お前の沙汰が決まった。

 ……罰は受けねばならぬ。」


 冷たい男の声が辺りに響いた。


「やめて……

 お願い……

 たったの一回だけじゃない!」


 黄泉蜘蛛は泣きながら懇願した。


「いや!」


 切り裂かれ、

辺りに散らばっていた無数の白い糸が、

 己の主を自ら縛るように

 ぐるり、ぐるりと黄泉蜘蛛の体に巻き付き始めた。


「いや!

 嫌ぁぁぁぁ!」


 糸はやがて黄泉蜘蛛を包み込むと、

眩い光を放った。


 次第に悲鳴が止む。


 光は消え、

 そこには一匹の小さな蜘蛛だけが残っていた。


「……その姿で百年だ。

 己の罪を悔い、改めれば

 元に戻れるかもしれんな……」


 男は蜘蛛を見下ろして、

 淡々と告げた。


 雅はそんな男の背を

 ただ黙って見つめることしかできなかった。


 黄泉蜘蛛を殺さず、

 罰を与えたその姿は

 恐ろしくもあり、

 そして

 どことなく

 哀しさと寂しさを感じた。

 


 終わった……


 なんとか生きている……


 雅は緊張の糸が切れ、

 頭を打ったせいか、

 視界が揺れた。


 ドサッ。


 男は振り返った。


 黄泉に生者がいる……


 現世に返さねば。


 男は雅を抱き上げると、

 黄泉の入り口へと歩き始めた。

 

 

四話 黄泉の中へ [完]


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