四話 胸騒ぎ
次の日。
男は天界に行く前に
透子の部屋へ向かっていた。
「黄泉守……」
後ろから呼び止められ、
男は振り返る。
「雪女か。」
「天界に行くと聞いたけど。」
「ああ。
俺がいない間、
透子を頼む。」
「それはかまわないのだけど……」
言い淀む雪女に、
男はわずかに眉を寄せた。
「なんだ。」
「私の思い過ごしならいいの。
ただ……」
雪女は廊下の先を見据えた。
「あの子、
なんだか変だわ。」
「変?」
「どう説明すればいいのか……
あの子が何者なのか、
まだ分かっていないでしょう?」
「……そうだな。
それも踏まえて、
天界へ確かめに行く。」
「そう……」
「ハクにも伝えてあるが、
桔梗をよく見ていてくれ。」
「わかったわ……。」
男は頷くと、
透子の部屋へと
歩きだした。
男は透子の部屋の前で足を止めた。
「透子。
入るぞ。」
「はい。」
襖を開けると、
透子はもう既に
朝の支度を済ませていた。
「おはよう、透子。」
「おはようございます。
黄泉守様。」
微笑む透子の傍へ腰を下ろした。
「透子。
俺は今から天界へ行ってくる。」
「天界に、ですか?」
「ああ。」
「桔梗ちゃんのことを、
お調べになるのですね?」
「ああ。
今は分からぬことが多すぎる。」
「そうですか。
……危険はありませんか?」
透子が不安げに尋ねた。
男は安心させるように、
優しく手を握る。
「雪女やハクがいる。
大丈夫だろう。」
「違います。」
透子は首を横に振った。
男は疑問に思い、
小さく首を傾げた。
「何が違うのだ?」
「私が心配なのは、
黄泉守様のことです。」
男は目を瞬いた。
「黄泉守様に、
危険はありませんか?」
「……俺の事か。」
「はい。
私は黄泉守様が傷つくのは嫌です。」
透子の真っ直ぐな言葉に、
男の胸は熱くなった。
透子は男の手に指を絡めた。
「透子。
俺は大丈夫だ。
天界には話をしに行くだけだ。
何も心配することはない。」
「分かりました。」
少し安心したように笑う透子に、
男も微笑み返した。
「心配なのは俺も同じだ。
すぐに戻るから、
この屋敷から離れるなよ。」
「分かっています。」
穏やかに頷く透子を、
男はたまらず抱き寄せた。
離れるのはほんのいっときだ。
それでも
自分の目が離れるのは
たまらなく嫌だった。
透子はそっと、
男の背に腕を回した。
しばらく抱き合ったあと、
男は静かに透子を離した。
「では、行ってくる。」
「はい。
行ってらっしゃいませ。」
襖が静かに閉まる。
黄泉守の気配が遠ざかるのを、
少し寂しく思いながら
透子は扉の先をしばらく見つめていた。
「おねえちゃん……」
背後から声がして、
透子は驚いた。
振り返ると、
どうやって入ったのか、
桔梗が立っていた。
「桔梗ちゃん?」
桔梗は笑顔で透子のすぐ側に座った。
「おはよう!
おねえちゃん。」
「おはよう。
桔梗ちゃん。」
透子も微笑んで桔梗を見つめる。
「こんな朝早くにどうしたの?」
「黄泉守様がいなくなってたから。」
透子にはその声が寂しそうに聞こえて、
桔梗の手をそっと取った。
「黄泉守様は
天界に行ったのよ。」
「天界に?」
「そう。
桔梗ちゃんのことを
調べに行ったの。」
「私のこと?」
「すぐに戻るって
言ってたから、
ここで一緒に待ちましょうね。」
「……うん。」
桔梗はじっと、
握られた手を見つめていた。
「おねえちゃん……。」
「なあに?」
「おねえちゃんは、
黄泉守様のこと大好き?」
透子は一瞬驚いたように、
目を見開いたが
すぐに笑顔を見せた。
「うん。
大好きだよ。」
「そっか。
良かった。」
透子の言葉を聞いて、
桔梗は嬉しそうに笑った。
「桔梗ちゃん。
なんだか嬉しそうだね。」
「うん!
嬉しいよ。」
「だって、
おねえちゃんが
幸せそうだから。」
「ふふ。
ありがとう。」
透子は、
桔梗の感情が
日々豊かになっている気がして
嬉しくなった。
「おねえちゃん。」
「ん?」
「私ね。
おねえちゃんが大好き。」
桔梗は透子の手を
ぎゅっと握った。
「黄泉守様も大好き。」
「ふふ。
これからもっと大好きが増えるよ。」
「そうなの?」
「たくさんの人と出会って、
たくさんのものと触れ合って、
大好きが増えていくのよ。」
透子は
桔梗の頭をそっと撫でた。
「私がそうだったから。」
桔梗は透子の顔をじっと見て、
にこりと笑った。
「……やっぱり、
おねえちゃんは優しいね。」
「そうかな?」
「そうだよ!
だからね……」
桔梗は笑顔だった。
「桔梗ちゃん?」
透子は不思議そうに
首を傾げた。
「おねえちゃんには
もっと幸せになって欲しい……」
桔梗は透子の指に
自身の指を絡めた。
「……僕が二人を。」
わずかに、
桔梗の声が低くなる。
「救ってあげる……」
「えっ……?」
透子は、
桔梗の声に違和感を覚えた。
しかし目の前の桔梗は
変わらず笑顔で透子を見ている。
「どうしたの?
おねえちゃん。」
声もいつもと同じ。
「……ううん。
なんでもないわ。
ありがとう、桔梗ちゃん。」
「僕ね。
おねえちゃんに会えて良かった。」
桔梗は握った手に力を込めた。
ぎちりと音が鳴るほどに。
「いたっ……!」
痛みに顔を歪める透子に、
桔梗はまた笑みを深める。
「おねえちゃん。
知ってる?」
「苦しんだ先に、
救いがあるんだよ。」
「何を言って……」
「大丈夫だよ。
心配しないで……。」
桔梗の纏う空気が
ぶわりと重く、
部屋中に広がった。
四話 胸騒ぎ




