五話 正体
「き、桔梗ちゃん……。」
「なあに?
おねえちゃん。」
その声はもうあの桔梗の声ではなかった。
「あなた、
何をする気なの……?」
「何って……」
桔梗の姿がぐらりと揺れる。
「言ったじゃないか。」
「あなたを、救う。
あなたを、幸せにするって。」
嬉しそうに笑う桔梗の顔が、
見知らぬ男の顔へと変わっていく。
「離して!」
透子は咄嗟に手を離そうと引っ張った。
しかしそれを桔梗は許さない。
「駄目だよ。」
「どうしてそんな顔をするの?
あなたを救いたい。
僕はおねえちゃんが大好きなんだ。」
「……やめて。」
震える声でうったえる透子の腕を
桔梗がこれでもかと強く掴んだ。
「大好きな人には、
幸せになって欲しいでしょ?」
「母様と黄泉守様が教えてくれた。」
「母様は苦しんで、
絶望して、
苦しんで苦しんで苦しんで、
そして死んだ。」
目の前の男は笑っている。
それなのに目だけが笑っていなかった。
「そして母様の魂を
黄泉守様が救ってくれたんだ。」
「それは違うわ!」
「何が違うの?」
不思議そうに首を傾げる男は、
透子を掴む手に
また力を込める。
「っ……!
黄泉守様は結果的に
あなたのお母様を救ったのかもしれない。」
透子は痛みに耐えながらも、
目の前の男に語りかけた。
「でもそれは、
苦しんだからじゃないわ。」
「幸せになるために
苦しまなきゃいけないなんて。
そんなの悲しすぎるわ……」
桔梗だった男は
透子の言葉が理解できず、
不思議そうな顔をした。
「悲しい?」
「そうよ。」
「なぜ?
嬉しいの間違いでしょ?」
透子は驚き、
目を見開いた。
話が通じない。
この男の思想は
透子の想像以上に歪んでいた。
「……お願い。
手を離して……」
「嫌だ。
離してしまったら、
おねえちゃんを救えないじゃないか。」
「……桔梗ちゃんは、
お母様を救いたかったの?」
「違うよ?
救ったのは黄泉守様だ。」
「ううん。
そうじゃなくて……」
透子は小さく首を横に振った。
「あなたは、
お母様に生きて、
幸せになってほしかったんじゃないの?」
ずっと笑っていた男の顔が、
わずかに強ばった。
「生きて?」
男は首を傾げた。
「違う。
母様は苦しんだから救われた。」
「救ってくれたのは黄泉守様。」
「黄泉守様は僕の神様だ!」
「僕もあんなふうになりたい。」
「僕も大切な人を救いたい。」
笑顔を絶やさない男が、
透子には苦しんでいるように見えた。
「桔梗ちゃん、
手を離して。
お願い。」
「駄目。
離さない。」
あまりにも強く握られて、
腕も手ももはや感覚が薄れていた。
しかし男はぱっと両手を離した。
一気に力が抜けた透子は
後ろへ倒れ込んだ。
男は透子に股がると、
今度はその両手を
透子の首にかけた。
「ちょっとお喋りしすぎちゃったね。」
ゆっくりと両手に力を込める。
透子は咄嗟にその手を掴んだ。
じわりじわりと首が絞まる。
「桔梗ちゃん……
あなたは間違ってる……」
その時だった。
慌ただしい足音が、
廊下の向こうから響いてくる。
「透子さん!」
勢いよく開かれた扉の先。
「───!!」
ハクと雪女が
驚愕の表情で立っていた。
見知らぬ男が
透子を手にかけようとしている。
「透子さんから離れろ!」
ハクが叫ぶ。
雪女は目の前の男を見て
確信した。
「ハク!
こいつよ。
こいつが雪山で会った
半妖の男だわ!」
「あぁ。
ハクさんに、
雪女さん。
どうしたの?」
男は透子に手をかけたまま、
首だけ動かして
二人を見つめる。
「今すぐ透子さんから
手をどけろ!」
「嫌だよ。
離してしまったら
おねえちゃんを救えない。」
「おねえちゃんは僕に優しくしてくれた。
だからおねえちゃんを幸せにしたい。」
行動が異常なのに、
どことなくあどけなさが残る
目の前の男。
ハクは
自分の推察が正しかったのだと
最悪な形で知ってしまった。
「お前は、桔梗か。」
「ん?
そうだよ?」
「桔梗、ちゃ、ん……」
透子はもう意識を保つのもやっとの状態だった。
「どうしたの?
おねえちゃん。
苦しい?
痛い?」
嬉しそうに問いかける男。
「やめなさい!」
雪女が叫んだ。
「あなたがしていることは
救済でもなんでもないわ!」
男はほんの少しだけ
手の力をゆるめて、
雪女を見た。
「どうして?
苦しまなきゃ、救えないんだよ?」
「お前のやっていることは
救いでもなんでもない!」
「ただの殺しだ……」
ハクの言葉が重く部屋に沈む。
それでも
意味が分からない桔梗は
ただ首を傾げるだけ。
「何言ってるの?
苦しみがあるから
救いがあるんだ。」
それまで笑顔だった男は、
すっと真顔になった。
「ねぇ。
二人は邪魔しに来たの?」
「……そうね。」
雪女は桔梗から目を離さなかった。
「あなたにとっては
邪魔なんでしょう。」
「俺たちは、
透子さんを助けにきたんだ。
お前の魔の手から。」
「おねえちゃんを救うのは僕だよ。」
真顔の男は
透子から手を離して立ち上がった。
「はぁ。
早くしないと
黄泉守様が帰ってきちゃうよ。」
ハクと雪女は
臨戦態勢を取った。
透子は力なくぐったりとしている。
視界がかすみ、
意識が薄れていく。
「あなたたちも、
僕に優しくしてくれた。
だから後で救ってあげる。」
「でもまずは、
おねえちゃんからだ。
誰にも邪魔はさせない。」
逃げられる!
そう思った二人は
同時に攻撃を仕掛けた。
雪女は桔梗目掛けて吹雪を起こし、
ハクはその隙に桔梗へ向かって駆け出す。
しかし一瞬にして、
桔梗も、
そして透子までもが
その場から姿を消した。
「くそっ!!」
ハクが床を殴りつける。
雪女もハクに近づき、
辺りを見回した。
荒れた部屋だけが残る。
「そんな……。
あの一瞬で……。」
雪女は驚きを隠せなかった。
そんな二人を
透子を抱き抱えた男が
すぐ側に立って見つめているのに、
全く気づかない。
桔梗は、
悠然と二人の横を通り過ぎて
部屋から音も立てずに
出て行った。
五話 正体 [完]




