七話 静かな違和感
夜もすっかり更けた頃。
屋敷の外に、
一人の影が現れた。
結界を抜けた先、
静まり返った屋敷を
男は見つめていた。
透子は
もう眠っているだろうな。
声を聞きたかったが、
少しだけ様子を見てから
俺も眠ろう。
そう思いながら、
玄関を開けた。
「お帰りなさいませ。
主様。」
「ああ。
何か変わりはなかったか。」
「……実は。」
いちの様子に
男はわずかに眉を寄せる。
「ああ。
主。
やっと帰ってきた。」
「ハク。」
「主。
話がある。」
ハクといちの様子を見て、
男は自分が留守の間に
何かあったのだと悟った。
「何があった。」
ハクは一度
透子のいる方を見た。
「……まずは
透子さんのところへ。」
男の表情が強張る。
「透子に何かあったのか。」
男たちは廊下を歩きながら、
話を続ける。
「いや。
透子さんに何かあったって
わけじゃないんだ。
ただ……」
ハクはわずかに
言い淀んだ。
「なんだ。」
「主が留守の間、
少し厄介なことになった。」
「厄介なこと。」
黄泉守は眉間に皺を寄せた。
「ああ。」
ハクはまた、
透子のいる部屋の方を見た。
「少女を一人、
屋敷に入れたんだ。」
男は足を止めた。
「……少女?」
「結界のすぐ外で倒れていた。」
「何故、
屋敷に入れた。」
「その少女は
腹を裂かれていた。」
男は腕を組んで、
ハクの言葉を聞く。
「腹を?
いったい誰に。」
「……半妖の男。」
男は目をわずかに開いた。
「その少女はどこにいる。」
「透子さんと一緒にいるよ。」
「透子と?」
ハクは困ったように、
眉を下げた。
「その子、
ずっと透子さんの手を握って
離さないんだ。」
「……。」
男の表情が
ほんのわずかに険しくなった。
「それより、
少女の傷には
あの爪痕の残穢と
同じものが残っていた。」
「……案内しろ。」
ハクは頷いて、
男を透子とその少女が待つ部屋へ
案内した。
ハクが部屋の前で
声をかける。
「透子さん。
開けるよ。」
「はい。」
すっと障子を開けると、
透子の目と
男の目が合った。
「黄泉守様。
おかえりなさい。」
「ああ。
遅くなった。」
部屋には
眠る少女と、
その隣で座る透子。
透子の手は
少女に握られていた。
男の視線が
透子の手へと落ちる。
「……」
男はわずかに眉を寄せた。
「黄泉守様。」
透子の声に
男は視線を戻した。
「この子、
桔梗さんと言うんです。」
「桔梗……」
花の名だ……
しかし、
男ではない。
少女は静かに眠っていた。
「黄泉守様。
こちらに来てください。」
男は透子の隣に座る。
「お疲れ様です。」
「ああ。」
透子の声を真横で聞きながら、
男の視線は透子の握られた手に。
「……」
「黄泉守様?」
「……こいつは
眠っているのだろう?」
「はい。
でも手を離してくれなくて。」
「……そうか。」
男はそう言うと、
桔梗の手を見つめた。
「ずいぶんと、
お前に懐いているようだな。」
「そうでしょうか?」
「ああ……」
男は
そっと
桔梗と透子の握られた手を取ると、
優しく桔梗の手を解いた。
さっきまで
固く握られていた手は、
嘘のように
するりと解ける。
(……妙だな。)
あんなに強く握っていたのに。
男はわずかに眉を寄せたが、
少女の寝顔を見て
その違和感をすぐに切り捨てた。
「黄泉守様?」
「いや、何でもない。」
透子の手を優しく握る。
「ふふっ。」
「なんだ。」
「いえ。
黄泉守様も寂しかったのかなって。」
「……さあな。」
「ふふっ。」
透子は握られた手を見つめ、
そっと握り返す。
「……。」
男はその手に視線をむけながら、
わずかに機嫌が良くなったのを、
透子は感じていた。
「透子。
今日はもう遅い。
お前も、休め。」
そう言って、
男は立ち上がると、
透子の手を引いた。
「はい。」
男は透子の手を引いて、
部屋を出た。
ハクの横を通る時、
二人は目配せをした。
「それじゃ、
透子さん、おやすみ。」
「はい。
おやすみなさい。
ハクさん。」
ハクは
小さく頷き、
その場に残った。
眠る少女を見つめながら。
手を引かれながら、
透子は男を見つめた。
「黄泉守様。」
「ん?」
「黄泉守様も
ちゃんと休んでくださいね。」
「ああ。」
男は短く返した。
「お前が休めば、
俺も休む。」
男の返事に
透子はほっとした。
透子を部屋へ送り届けると、
男は手際よく
布団を敷いた。
「透子。」
名を呼んで、
透子の手を取ると、
布団の傍へ座らせた。
「今日は遅くなって、
すまなかった。」
「いいえ。」
透子は静かに首を振った。
「黄泉守様は
ちゃんと
帰ってきてくださいました。」
「それだけで
充分です。」
そう言って
透子は優しく微笑んだ。
男はそんな透子を見つめながら、
心が温まるのを感じた。
「……そうか。」
男は短くそう答えるしかできず、
ふっと口元が緩んだ。
「早く寝ろよ。」
透子の頭を優しく撫でると、
男は立ち上がった。
「黄泉守様も。」
「ああ。」
透子に背を向けて、
襖に手をかける。
「黄泉守様。
おやすみなさい。」
男は手を止めて
振り返る。
「ああ。
おやすみ。」
そうして、
男は部屋を後にした。
男は透子と別れた後、
桔梗が眠る部屋へと向かった。
すっと障子を開ける。
「ハク。
変わりはないか。」
「ああ。
まったく。」
部屋に入り、
静かに戸を閉める。
男は桔梗のすぐ傍に
腰を下ろした。
桔梗は深く眠っているようだった。
男は傷を見るため、
そっと布団をめくった。
着物をずらして
腹の傷を見る。
「……これはいつ縫ったのだ。」
「数刻前かな。」
それにしては
早すぎはしないか……
傷は
血も滲まず、
数刻前まで開いていたとは
思えないほど、
すでに治りかけていた。
「……間違いない。
わずかだが、
この残穢は奴のものだ。」
「うん。」
ハクは静かに頷く。
「だけど、
この子を見つけた時
周りには誰もいなかったよ。」
男は治りかけた傷口を見つめた。
「結界のすぐ外で、
この子だけが倒れていた。」
「他の気配もなくて、
どこかから運ばれた形跡もない。」
男は桔梗の着物を直すと、
布団をそっとかけた。
腕を組み、
考え込む。
「……妙だな。」
「ここで考えても仕方がない。
明日、こいつに話を聞こう。」
「ああ。
でも、この子が覚えているかどうか。」
ハクの言葉に
男は視線をハクに向けた。
「俺もいくつか
この子に質問したんだ。」
「何と言っていた?」
「それが……」
ハクは眠る桔梗を静かに見つめた。
「この子は最初、
半妖の男にやられたと言っていた。」
「もう一度確認した時、
答えが曖昧だったんだ。」
「記憶が混乱していた可能性もある。」
「ああ。」
ハクは頷いた。
「俺も最初はそう思った。」
「だが。
半妖の男と言った時も、
次に訊ねた時も、
どちらも嘘を言っているようには
見えなかった。」
「……。」
男は桔梗に視線を向けた。
少女は
穏やかな寝息を立てている。
「……明日、
直接聞くしかないだろう。」
男は深く息をつくと、
静かに立ち上がった。
「今日は、休もう。」
「明日になれば、
見えてくるものもあるはずだ。」
「そうだね。」
ハクも男に続いて立ち上がった。
男は部屋を出る時、
もう一度桔梗に視線を送った。
何も知らない少女が、
静かに眠っている。
全ては明日だ。
そう思った男は、
静かに障子を閉めた。
七話 静かな違和感 [完]




