第二章 一話 不穏な日常
翌日。
いつものように賑やかな朝餉を終えて、
透子は雪女と庭を歩いていた。
「透子さん。
昨日はよく眠れた?」
「……はい。」
「嘘つかなくていいのよ。
ほら、ここ。」
雪女は透子の目元を
そっと指さす。
「隈ができてる。」
透子は苦笑して、
眉を下げた。
「黄泉守様が心配で……」
「あの人なら大丈夫よ。」
優しく語りかける雪女に
透子はまた苦笑した。
「分かってはいるのですが、
なかなか寝付けなくて。」
「本当に、
黄泉守が好きなのね。」
「はい。」
透子は迷うことなく頷いた。
「透子さんは優しいわね。」
雪女は優しく微笑む。
「そうでしょうか?」
「ええ。
こんなにも想ってもらえて、
羨ましいくらいだわ。」
透子は照れたように笑った。
「私が、
好きでそうしているだけで。
当たり前というか……
特別なことは何も……」
透子の言葉に雪女は目を細めた。
(だから黄泉守は、
この子に惹かれたのね。)
「やっぱり連れて帰りたいわ。」
半分冗談でそう口にする。
「駄目だ。」
どこからともなく男の声が聞こえた。
雪女と透子は辺りを見回す。
「黄泉守様、どこですか?」
透子はキョロキョロと
辺りを見回す。
「ここだ。」
聞き慣れた声に
透子は自然と顔を上げると、
男が屋根の上から
こちらを見下ろしていた。
「黄泉守様!」
「あなた、
結界を見ながらこっちも見ていたの?」
雪女の声には若干の呆れが混じっていた。
「結界を見ていたら、
視界に入っただけだ。」
わずかに視線を逸らす男に
雪女は気づいていた。
「はいはい。
そういうことにしといてあげる。」
雪女はくすりと笑う。
「黄泉守様。
そんな高いところ、
怖くはないのですか?」
透子の純粋な目に
男は頬を緩ませる。
「お前も来てみるか?」
透子を連れようと、
男は屋根の縁へと歩み寄った。
「駄目よ。」
雪女が止めるように、
透子を抱き寄せた。
「あんなところ、
透子さんには危ないわ。」
「大丈夫だ。
俺がついてる。」
いたって真面目に
男は答えた。
「あなたが良くても、
透子さんは人間なの。」
雪女はやれやれと額に手をやった。
「わ、私はここからで大丈夫です。」
透子は慌てて手を振った。
「そうか。」
少し残念そうな男の声に
二人は顔を見合せてくすりと笑った。
「それより、
何か変わりはあった?」
「いや。
特に変わりはない。」
屋敷全体、
そして周りの山を見る限り、
全くと言っていいほど
変わりがなかった。
「そう……
何もないのなら、
いいのだけれど……」
あの爪痕のこともあり、
雪女は手放しで喜べなかった。
透子も不安が募る。
「静かすぎて、
逆に怖いです。」
男はもう一度辺りを一瞥して、
静かに屋根から飛び降りた。
「透子。
庭以外は出てはならんぞ。」
「はい。」
「雪女。
透子を頼む。
俺は外を見てくる。」
「ええ。
分かったわ。」
男は小さく頷くと、
透子に視線を向けた。
「そんな顔をするな。
すぐ戻る。」
不安げな透子の頭を優しく撫でた後、
男は安心させるように微笑んだ。
「お気をつけて。」
「ああ。」
男は短く返すと、
庭を後にした。
透子は男の背中をしばらく
見つめていた。
男は外を見回っていたハクと合流した。
「主。
結界はどうだった?」
「異変はない。
そっちはどうだ。」
「こっちも。
あの爪痕以外、
特にない。」
「そうか……」
「何も無さすぎて、
返って気持ちが悪い。」
ハクの言葉に
男も同意見だった。
「だが、
確実にこの山にいるはずだ。」
「ああ。
そうだろうね。」
「相手がどう出てくるか、
待つしかあるまい。」
男たちは険しい表情のまま、
屋敷の方へ踵を返した。
その瞬間、
森の木々が一瞬ざわめいた。
それを誰も見ることはなかった。
確実に近づいている。
姿の見えない不穏が、
それぞれの心に
影を落としていた。
第二章 一話 不穏な日常 [完]




