二話 来訪者
賑やかな朝餉を終え、
二人は庭を散歩していた。
もちろん
手を繋いで。
「透子?
寒くはないか?」
「うーん。
ちょっと肌寒いですね。」
男は着ていた羽織を
透子に着せた。
「ふふっ。
ありがとうございます。」
透子は嬉しそうに
羽織の襟を掴む。
「あったかい。
黄泉守様は寒くありませんか?」
「いや。
寒くはないが……」
男は少し考えた後、
透子を後ろから抱きしめた。
「温かいな。」
「ふふっ。
黄泉守様。
これでは歩けません。」
透子は笑った。
「駄目か?」
「駄目ではありませんが、
お散歩になりませんよ?」
「そうだな。」
男は透子を離すどころか、
さらにきつく抱きしめる。
「離してください。」
透子がとんとんと
優しく男の腕を叩く。
「嫌だ。」
「ふふっ。
黄泉守様はわがままですね。」
「そんな俺は嫌いか?」
「いいえ。
好きですよ。」
男がふっと小さく笑う。
「そうか……」
「なんだか嬉しそうですね。」
「まあな。」
二人は暖め合いながら、
庭を眺める。
「もうすぐ冬か。」
「雪が降ったら私、
やってみたいことがあるんです。」
「ほう。
なんだ?」
「雪合戦です!」
男は子供のようなことを言う透子に、
頬を緩ませた。
「みんなでやったら
きっと楽しいですよ。」
「そうだな。
雪が降ったら一緒にやろう。」
「本当ですか!
約束ですよ。」
嬉しそうに声を上げた透子は、
男の指に小指を絡めた。
「ああ。
約束しよう。」
「はい。
約束です。」
男は絡められた小指に
ぎゅっと力を込めた。
雪が降って、
はしゃぐ透子。
猫又も一緒になって
はしゃぐだろうな。
いちは
すぐに転びそうだ。
ハクは嬉々として
俺に雪玉を投げてきそうだな。
男はそんな未来を想像して
ふっと笑った。
「黄泉守様?」
「雪が振るのが楽しみだな。」
「はい!
楽しみですね!」
透子は嬉しそうに笑った。
冷たい風が
木々を揺らす。
冬はもうすぐそこだ。
「主様ー!」
いちの大きな声が聞こえた。
「今度はなんだ。」
騒がしい声に
男は眉を寄せた。
いちが庭をかけて来る。
男は透子を離した。
手は繋いだままだったが。
「主様。
お客様です。」
「誰だ。」
「雪女様です。」
「ああ。
あいつか。」
透子は男を見上げた。
「お知り合いですか?」
「ああ。
古い知り合いだ。
ここへ来るのは珍しいがな。」
「黄泉守様のご友人ですね。」
透子は嬉しそうに笑う。
「客間にご案内してます!」
「分かった。
今行く。」
「では私はお茶の準備をしてきます!」
男の返事を聞いて安心したいちは
屋敷の方へかけて行った。
「まったく、
慌ただしいやつだな。」
「いちさんを見てると
元気がでますね。」
「そうだな。
では行こうか。
雪女にお前を紹介しよう。」
男は透子の手を引いて歩き出した。
「私もご一緒してよろしいのですか?」
「当たり前だろ。」
当然だと言う男に、
透子は嬉しくなる。
雪女さんってどんな人だろう。
透子の胸は緊張と嬉しさが混ざり、
どきどきと鳴っていた。
客間の襖が見える。
透子は緊張していた。
男はそんな透子に気が付き、
ふっと笑う。
「そんなに緊張するな。」
優しく言う男の声に
透子はわずかに緊張を解く。
「でも、
黄泉守様のご友人でしょ?
やっぱり少し緊張します。」
「大丈夫だ。
あいつは良いやつだ。」
二人は襖の前で立ち止まる。
「入るぞ。」
「ええ。」
凛とした声が
襖越しに聞こえた。
すっと襖を開けると、
そこには銀色の髪を持つ美しい女が
静かに座っていた。
青い瞳が、
二人を見据える。
男と透子の繋がった手を見て
穏やかに微笑む。
「久しぶりね。」
「ああ。」
男も静かに答える。
男は透子を連れて、
雪女の前に座った。
「あなたが透子さん?」
「はい。
初めまして。
透子です。」
「初めまして。
噂は聞いているわ。」
雪女は優しく微笑んだ。
「噂とはなんだ?」
男がわずかに眉を寄せる。
「あの黄泉守が、
人間の娘を囲ってるって。」
「なんだその噂は。」
男は苛立ちげにそう呟く。
「噂もあながち
間違ってはなかったみたいね。」
雪女は面白そうに笑いながら、
口元を袖で隠した。
「囲ってなどいない。」
「でも、
一緒に住んでいるんでしょう?」
「それはそうだが……」
「ほらやっぱり。
噂も馬鹿にはできないわね。」
「……」
からかうようにくすくす笑う女は
とても美しく、
透子はそんな雪女に見とれていた。
「透子さん。」
「はい!」
名前を呼ばれてびくりと肩が揺れる。
「この人、
なかなか融通はきかないし、
気難しい男だけど。
これからもよろしくね。」
「ふふっ。
はい。」
「おい。
雪女、それは悪口だろ。」
男は眉間に皺を寄せる。
「何言ってるの。
事実よ。」
「お前……」
「ふふ。
お二人は仲良しなのですね。」
「仲良くない。」
「仲良しよ。」
二人の返事が被る。
透子は思わずくすりと笑った。
「……笑うな。」
男が不満げに声を上げる。
「ふふっ。
でも本当に仲が良さそうで。」
「……ただ付き合いが長いだけだ。」
「まあ酷い。
私とあんたの仲じゃないか。」
ふっと妖艶に笑う雪女に
透子はどきりとして
目を瞬く。
「おい、やめろ。
変なことを言うな。」
男は嫌そうに顔を歪める。
「酷いわ。
昔はよく一緒にいたでしょ?」
「それは勝手に
お前がついてきていただけだろう。」
「えっと……」
透子は少し動揺していた。
黄泉守様と雪女さんの関係って……
男は嫌な予感がした。
「透子!
違うぞ。
こいつには旦那がいる!」
「ちょっと!
やめてよ。
元よ。元旦那。
今はいないわ。」
「うるさい!
そこはどうでも良い!」
男の慌てように、
雪女はほほほと口元を隠して笑う。
透子はぱちぱちと目を瞬く。
「旦那様がいらしたのですか?」
「ええ。
遠い昔にね。
人間の男だったわ。」
「人間の?」
「裏切られたから、
捨ててやったの。」
「え?」
なんでもないように言う雪女に、
透子は驚いた。
「昔の話よ。
もう未練も恨みもないわ。
それにね、私。」
雪女は透子の近くに寄って、
耳打ちした。
「私、好きな殿方がいるの。」
「そうなのですか?」
透子の目が輝き、
雪女は嬉しそうに笑う。
その続きを聞きたかった透子だったが、
男に引き寄せられる。
「近い……」
「まあ!
女の私にまで嫉妬するの?」
「女も男も関係ない。」
「あらあら。
これから大変ね。
透子さん。」
雪女は苦笑した。
「この人、
独占欲強いわよ。」
透子はきょとんと首を傾げた。
「いらん事を言うな。」
男は守るように
透子を抱きしめる。
「独占欲ですか?」
「ええ。
透子さん?
この人が嫌になったら
私の所へ来なさいな。」
「おい!」
焦る男に、
雪女はニヤリと笑う。
「大丈夫です。
私は黄泉守様がいいです。
どれだけ独占欲が強くても、
一緒にいたいのです。」
「……」
男は黙った。
雪女は目を細める。
「黄泉守。」
「……なんだ。」
「あなた、
良い人に巡り会えたわね。」
嬉しそうに微笑む雪女に、
男は目を逸らしてぼそりと呟いた。
「うるさい。
言われなくとも
分かっている……」
雪女はふっと笑った。
昔は
表情の変わらない
気難しい男が、
今じゃこんなに
表情をころころ変えている。
雪女は安心した。
ようやく
心許せる相手を見つけられたのね。
「そう。」
雪女はただ一言そう言うと、
静かに微笑んでいた。
透子は
男と雪女の会話を黙って聞いていた。
言葉は少ないが、
その一言にたくさんの思いが
つまっているような気がした。
「雪女さん。」
「なあに?」
「黄泉守様とは
長い付き合いなのですよね?」
「ええ。
とっても長いわよ。」
透子は嬉しそうに
目を輝かせる。
「では、
黄泉守様のこと、
たくさん知っているのですね!」
「ええ。
もちろん。」
雪女はちらっと男を見た。
「この人の苦手なもの、
知ってる?」
「やめろ。」
男が嫌そうな顔をする。
「何故?
透子さんも知りたいでしょう?」
「はい。
黄泉守様のこと、
もっと知りたいです。」
「駄目だ。」
「この人、
冬が苦手なの。」
「え?」
男は額を片手で覆った。
「冬が苦手?
寒いのが苦手なのですか?」
「そうなの。」
「……」
透子は男の意外な一面に、
目を瞬いた。
「意外です。
苦手なものなんて
なさそうなのに。」
「……俺にだって、
苦手なものはある。」
男は認めた。
恥ずかしそうに
そっぽを向く。
「この人、
冬になると炬燵から
出てこなくなるのよ。」
「ふふ。
可愛いです。」
「お前ら、
俺をからかって
そんなに面白いか……」
男は完全に拗ねてしまった。
「ふふっ。
ごめんなさい。
でも、少し安心しました。」
「何がだ。」
「黄泉守様は、
かっこよくて、
何でもできて、
苦手なものなんか
何もない人かと思ってました。」
透子は男の手を両手で
そっと握った。
「冬になったら、
私が暖めてあげます。」
「……!」
男は目を見開いて
透子を見つめた。
男は口元を手で覆った。
こいつはまた
そんな顔で、
そんなことを……
ただ素直に思ったままのことを
言葉にしただけの透子は
きょとんとしている。
「まあ!
お熱いこと。
私が溶けてしまいそうだわ。」
雪女はぱたぱたと、
顔を手で扇いだ。
「あなたの苦手な冬だけど、
そろそろこっちにも連れてこようと
思ってね。」
透子は不思議そうに
雪女を見た。
「雪女さんが、
雪を降らせるのですか?」
「全部ではないけどね。
一部は私の力よ。
それが務めなの。」
雪女は掌を透子に向けて
ふうと息を吹きかけた。
すると、
冷たい空気と共に
小さな雪が舞った。
「すごいです!」
透子は手を叩いて喜んだ。
きらきらと舞った雪は、
透子の掌へと落ちる。
それはすぐに
透子の体温で溶けてしまった。
「溶けちゃいました……」
残念そうに言う透子に、
男は苦笑した。
「今年は早くないか?」
男が雪女に問えば、
雪女は肩をすくめた。
「今年はそういう決まりなの。
寒いのが苦手な黄泉守様には
申し訳ないわぁ。」
冗談交じりに頬に手を当てる女に、
男は嫌そうに眉を寄せた。
「今年は去年より
よく降ると思うわ。」
「そうなのですか?
たくさん雪合戦ができますね!」
「雪合戦?」
「はい!
雪が降ったら
みんなで雪合戦をする約束をしたんです。」
雪女は目を瞬いて、
男を見た。
男は目を逸らす。
「……約束だからな。」
あんなに冬が苦手な男が、
好いた女のために
雪合戦をするらしい。
「ふふ。
そうなのね。
じゃあこっちは
多めに降らせましょうか。」
「本当ですか?」
透子は嬉しそうに
目を輝かせた。
「……ほどほどにしてくれ。」
男は困ったように
透子を見つめていた。
透子は楽しそうに
笑っている。
雪女はそんな二人を見つめた後、
窓から見える少し曇った空を
見つめた。
もうすぐ冬が来る。
だけど……
「雪女……。
今日は他にも何かあるようだな。」
わずかな雪女の変化に
男はすぐに気づいた。
雪女は笑みを消して、
茶碗に手を伸ばした。
冷たい茶を一口飲むと、
ふぅと小さく息をついた。
「あなたの元気そうな顔を
見に来たってのもあるんだけど、
もうひとつあなたに
伝えておかなければ
ならないことがあるの。」
穏やかだった空気が
一瞬で変わった。
透子は自然と姿勢を正す。
男はわずかに眉を寄せる。
男は真剣な表情で
雪女を見つめた。
「二日ほど前のことよ。
雪山で見回りをしていたとき、
一人の半妖に出会ったの。」
「半妖?」
「ええ。
あんなところに半妖がいるのは
珍しいから、
声をかけたの。」
「ある人の居場所を
探していると言っていたわ。」
「ある人?」
「ええ。
あなたよ。」
半妖の知り合いなどいない男は、
眉を寄せる。
「誰だそいつは。」
雪女は男の反応を見て
はあと小さく息を吐いた。
「やっぱり、知らないのね。」
「どんな奴だ?」
「それが、
分からないの。」
男は眉間に皺を寄せた。
「どういう意味だ?」
「あの子、
自分のことは何も話さないの。
ただあなたに会いたいと、
そればかりで。」
「最初はあなたの知り合いかと思った。
それぐらい親しげにあなたのことを
話すのよ。」
「しばらく見ないうちに、
あなたが見つからないって。
居場所を知らないかって。」
「最初はあなたの旧友だと思って。
あなたの話をしている時、
本当に嬉しそうだったの。
だから……」
雪女は深く頭を下げた。
「ごめんなさい。
私、この山のこと
少し話してしまったの。」
男は責めるでもなく、
静かに声をかけた。
「頭を上げろ。
お前が謝る必要はない。」
「でも……
あの半妖、なんだか変だったのよ。」
雪女はゆっくりと頭を上げると、
申し訳ないと眉を下げた。
「話を聞くうちに、
様子がおかしいって気づいたわ。」
雪女は両手に握った茶碗に
視線を落とした。
「あなたの名を呼ぶ度に、
嬉しそうに笑うの。
だけど……」
「その笑顔が、
怖かった……」
雪女は目を伏せる。
「目がね。
笑っていないのよ。」
男は何も言わず、
その先を促した。
「あの目は、
何かに取り憑かれたような。」
雪女の青い目が
男を見つめる。
「崇拝に近い……
そんな目だった。」
透子は背中がぞくりとして、
咄嗟に男の手を握った。
男は安心させるように
優しく握り返した。
「大丈夫だ。
透子。
何があろうと、俺がいる。」
「はい。
でも、その人はいったい何が
目的なのでしょう?」
透子の疑問に、
雪女が答える。
「とにかく
黄泉守に会いたいと言っていたわ。
それに、もうひとつ気になることを
言っていたわ。」
「気になること?
なんだそれは。」
男は眉間に皺を寄せ
怪訝そうに呟く。
「あいつはこう言っていたわ。」
『心を無くしたのは想定外だった。』
「……!」
男は目を見開いた。
『でも噂で聞いたんだ。
黄泉守は
人間の娘に心を寄せているらしい。』
『心が戻ったのなら、
僕はあの人に会わなきゃいけない。』
雪女は半妖の言葉を代弁した。
「嬉しそうに、
そう言っていたわ。
その笑顔が、
頭から離れない……」
「……何故そいつは、
心のことを知っている?
何故そこまで
俺に執着するのだ……」
「分からない。
でも、あいつは
ここへ来ると思うわ。」
部屋が静まり返る。
冷たい風が、
窓を揺らした。
冬はもうそこまで来ている。
透子は不安げに、
窓の外を見つめた。
二話 来訪者 [完]




