三話 骨董屋
町の片隅に、その骨董屋はあった。
町の喧騒が嘘かのように、
店内はしんと静まり返っている。
客は男と透子の二人だけだった。
古い木の匂い。
棚には茶碗や壺、掛け軸が並び、
長い年月を経た品々が静かに眠っている。
「……なんだか、不思議な感じがします。」
店の中には、
今まで感じたことのない
不思議な気配が満ちていた。
「いらっしゃい。」
気配もなく、店主は静かに現れた。
透子には、
優しそうな細身の中年男が見えていた。
この人、
人じゃないわ……
「本日は何をお探しで?」
男は店内を見回しながら答えた。
「花瓶を探している。」
「花瓶、ですか。」
店主は細い目をさらに細めた。
透子は店主の足音に耳を澄ませた。
不思議なことに、
その足取りは驚くほど静かだった。
ちらりと隣の男を見上げる。
「……気づいたか。」
男は小さく呟いた。
「こいつは狐の妖だ。」
「……狐。」
そう言われて見てみると、
確かに狐に似ている。
切長の目。
穏やかな笑み。
人に上手く化けてはいるが、
透子にはふわりと揺れる狐耳が見えた。
「おや。」
店主は少し驚いたように目を細めた。
「お嬢さんは、妖が見えるのですね。」
「はい。」
透子は素直に頷く。
「人は見えないのですが、
妖は見えるんです。」
店主の目がわずかに見開かれた。
「それは珍しい……」
そう呟いた店主は、
何かを考えるように透子を見つめた。
男の眉がわずかに寄る。
「……あまり見るな。」
「おやおや。
それは失礼いたしました。」
店主は苦笑した。
「取って食べたりはしませんよ。」
そう言いながら、
店主は棚からひとつの花瓶を取り出した。
「こちらはいかがでしょう。」
店主が取り出したのは、
淡い青磁色の小ぶりな花瓶だった。
「これは、百年ほど前の品でして。
面白いんですよ。
お嬢さん、
こちら手に取って見てみてください。」
そっと手渡された花瓶を、
透子は両手で受け取った。
手触りはとても滑らかで、
透子の手にしっくりくる。
「えっ……」
何もなかったそこに、
淡く模様が浮き出した。
「……これ。」
驚いて、思わず店主を見た。
「ほう。
金木犀ですか。
どうやら貴女は、
この花瓶に気に入られたようですね。」
店主は楽しそうに微笑んでいた。
「……付喪神か。」
「ええ。
この花瓶、少々気難しくてね。
どこにも行こうとしなかったんですが。
貴女は心が澄んでいますね。」
「それをいただこう。」
「ありがとうございます。」
店主は深々と頭を下げると、
透子から花瓶を受け取って
店の奥へ戻っていった。
シャラン……
透子ははっとして、
店主が消えた店の奥を覗いた。
はっきりと聞こえた。
聞き間違いではない。
あの音だ。
夢の中で。
庭で。
町へ来た時にも聞こえた。
あの鈴の音。
「透子?」
男が透子の異変に気づく。
「今……
鈴の音が……」
店の奥を見つめたまま、
そっと呟いた。
男の表情がわずかに険しくなる。
「……呼魂鈴か。」
その時だった。
店の奥から戻ってきた店主の足が、
ほんの一瞬だけ止まった。
店主は静かに花瓶を包んだ木箱を持って
戻ってきた。
「……今、
呼魂鈴と、おっしゃいましたか。」
穏やかな声だった。
しかしその目は、
透子をじっと見つめていた。
「……何か知っているのか。」
男は静かに問う。
わずかな警戒が滲んでいた。
店主はすぐには答えなかった。
「……少し、お待ちいただけますか?」
「ああ……」
店の奥へと下がる店主の背を、
透子は不安げに見つめていた。
店主は古びた小さな木箱を手に、戻ってきた。
店主はそっとその箱を開く。
中には小さな鈴がひとつ。
シャラン……
触れてもいないのに、
その鈴から確かに音が鳴った。
透子は息を呑んだ。
「やはり。
貴女には聞こえているのですね。」
店主は静かに呟いた。
その表情から笑みが消えた。
男は目を細める。
「店主。
知っていることを話してくれ。」
店主は鈴を見つめたまま、
ゆっくりと語り始めた。
「それは確かに、
呼魂鈴です。」
店内に沈黙が落ちた。
「ですが………」
店主の声がわずかに低くなる。
「本来、
それが鳴るはずがないのです。」
そして店主はさらに続けた。
「誰かが、貴女を呼んでいる……」
「夢を見るのではありませんか。」
透子の肩がぴくりと震えた。
「何度も同じ夢を見ているのでは?」
「なぜ、それを……」
透子は驚き目を見開いた。
シャラン……
小さく、鈴が鳴る。
「その夢、ただの夢ではありません。」
店主はしばらく黙り込んだ後、
ゆっくりと顔を上げた。
「呼魂鈴が反応するのは、
強い縁を持つ魂だけです。
夢の中は、こちらとあちらの境界があまい。」
店主は静かに鈴を見つめた。
「ですから時に、
夢を通して声が届くことがあります。」
透子は無意識に胸元を押さえた。
あの泣き声。
助けを求める声。
そして白い糸。
「誰が……
私を呼んでいるのですか?」
店主は首を横に振った。
「そこまでは分かりません。
ですが……」
店主は目を細めて、
二人の顔を見比べた。
「その者は、
貴女と深い縁がある。」
「深い縁……」
透子は小さく呟いた。
「心当たりはないのか?」
「いえ……」
そう答えたものの、
なぜだか透子の胸は少し痛んだ。
「それにしても、
呼魂鈴がこれほど強く反応するのは
珍しいことです。」
店主の言葉に、
男の眉がわずかに動く。
「何が言いたい。」
「その縁は、
お嬢さんだけのものではないということです。」
店主は静かに言った。
「死神様。
貴方も、その縁の中にいる。」
「……俺が?」
男の声が低くなる。
店主は静かに頷く。
「ええ。」
シャラン……
また鈴が鳴る。
先ほどよりも強く。
透子は思わず男を見た。
「これ以上のことは、
私にも分かりません。
ただ、
この鈴は嘘をつきません。」
男は険しい表情で、
鈴を見つめていた。
「ありがとうございました……
またのお越しを……」
店先で、
狐の店主は深々と頭を下げた。
二人は黙ったまま、
通りを歩いていく。
男は店主の言葉を思い出していた。
『古い話を知る者なら
あるいは何かを知っているかもしれません。』
帰り際にそう言われた男は、
屋敷に帰ってからの算段をしていた。
「これ……
いただいてもよろしかったんでしょうか。」
透子の手には、あの木箱があった。
店主は、
透子に必要なものだからと
その鈴を託したのだ。
透子は木箱をぎゅっと握りしめ、胸に当てた。
怖かったはずなのに、
この鈴を手にしてから
なぜか懐かしさを感じる。
まるで。
ずっと前から知っていたような。
そんな不思議な感覚。
「黄泉守様……」
透子は小さく、男を呼んだ。
その声に、男は歩みを緩めた。
「どうした。」
「私、
少し怖いです……」
その言葉に
男はしばらく黙り込んだ。
そして握った手に力をこめた。
「大丈夫だ。」
男の言葉に顔を上げる。
「何があろうと、
俺はお前のそばにいる。」
男は透子を見つめ、
強く手を握った。
夢の意味も、
呼魂鈴のことも、
まだよく分からない。
そんな状況の中でも、
男のそばにいると、
その不安もいくらか和らいだ。
「透子様ー!」
遠くの方からいちが手を振っている。
その後ろには沢山の荷物を
両手に抱えたハクが苦笑していた。
「あいつは、元気だな。」
「ふふっ。
そうですね。」
透子は木箱を胸元にしまうと、
軽くいちに手を振り返した。
「透子。
呼魂鈴の件、俺の方でも調べてみる。
また鈴が鳴ったら、知らせてくれ。」
「はい……」
透子は胸元の木箱をそっと撫でた。
「透子様ー!
見てください!
沢山お土産が買えましたよ!」
駆けてきたいちは満面の笑みで、
後ろからゆっくり歩いてくるハクを指さした。
「いちも運ぶの手伝ってよー。」
「嫌ですよ。
重いですもん!」
「ふふっ。
皆さん喜びますね。」
二人のやり取りに、
緊張がほぐれた。
「いち。
買いすぎだ。」
男はやれやれと呆れていた。
「花瓶は買えましたか?」
「はい。
ただ……」
その声色の変化に
いちとハクも気がつき、
わずかに表情を曇らせた。
男は大丈夫だと励ますように、
繋いだ手をそっと握り返す。
「屋敷に戻る。」
男は静かに告げた。
「お前たちにも、
伝えておきたいことがある。」
「え?」
「何か、あったんだね……」
男はそれ以上答えなかった。
いちとハクは顔を見合わせる。
男は静かに歩き始めた。
透子はもう一度、
木箱に触れた。
呼魂鈴。
いったい誰が自分を呼んでいるのか。
あの夢で助けを呼んでいるのは
誰なのか。
不安は尽きない。
それでも……
透子は男に手を引かれながら、
その少し後ろを歩いていった。
三話 骨董屋 [完]




