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死神様は生贄の娘を離さない 第二巻  作者: 武村


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十三話 別れ

翌日。


 男は雅を誘った。


「雅。

 行きたいところがあるんだ。

 付き合ってくれるか。」


 男は努めて

 平静を装った。


「お出掛けですね!

 いいですよ!」


 雅は嬉しそうに微笑んだ。 


「支度してきますね。」


 雅はそう言うと

 部屋へ戻ってしまった。


 男はその背に

 声をかけそうになった。


 今ならまだ止められる。


 男はぐっと

 口を噤んだ。



 門の前で待っていると、

 雅が駆けてきた。


 この先に待っているものを、

 雅はまだ知らない。


 胸が張り裂けそうだった。


「お待たせしました。」


 髪にはあの日買った簪が揺れていた。


「では、行こうか。」


「はい。」


 二人は連れ立って

 門を出て行った。


 道中、

 雅は楽しそうに男に話しかけた。


「今日はどちらへ?」


「ん?

 まあ、行けば分かる。」


「着いてからのお楽しみですか?」


「ああ。」


 いつもの会話。


 いつもの笑顔。


 違うのは男の心情だけ。


「今日もお団子買いましょうね。」


「ああ。」


「約束ですよ?」


「……買いすぎるなよ。」


「分かってますよ。」


 ふふっと雅が笑う。


 男もふっと

 寂しげに笑った。


 会話は続く。


 雅の足取りは軽く、

 男は重く……。


「庭の金木犀が

 もうすぐ散りそうなんです。」


「そうか。」


「かまいたちさんが、

 何か違う花を植えようかって

 話してました。」


「お前は何を植えたい?」


 雅は少し考えて

 ぱっと男を見上げた。


「あなたの好きな花。」


 男は目を細めた。


「俺の……?」


「はい。

 何が好きですか?」


 男はしばし考え込んだ。


「藤の花……」


 男はぽつりと呟いた。


「藤かあ……

 来年の春が待ち遠しいですね。」


「ああ。

 そうだな……」


 雅との来年は

 もう来ないことを知る男にとって、

 雅の言葉は切なくて。


 来年の春、

 藤の花を愛でる二人を想像して、

 男は苦しくなった。


 雅への

 罪悪感に押しつぶされそうだった。


「春になったら、

 一緒に見ましょうね。」


 雅はそんな未来を想像して、

 微笑んだ。


 男はもう、

 返事をすることが、

 できなくなっていた。


 もうすぐ

 あの場所へ着いてしまう。


 二人の目の前に、

 古ぼけた石段が見えはじめた。


「ここを登るのですか?」


「ああ。

 雅、手を。」


 男は雅に手を差し出した。


 雅は躊躇なく、

 男の手を握る。


 男は雅の手を

 そっと握り返した。


「足元、気をつけろ。」


 そして二人は

 石段を登った。


 登り切った先に

 古い社が建っていた。


 無数の白い糸をたなびかせて。


「……ここは?」


 雅はわずかに眉を寄せた。


 その異様な様に、

 雅はぞわりと鳥肌が立った。


「黄泉守様……?」


 不安げに見上げる雅に、

 男は真剣な眼差しを向けた。


「雅……」


 男はその先を言えなかった。


 言葉が続かない。


「私、

 なんだかこの場所……

 怖いです……」


 雅は怯えていた。


 男は眉をわずかに下げた。


 罪悪感が男を襲う。


 それでも進まなければ、

 雅を守れない。 


 男は握る手に

 力を込めた。


 温かかった。


 雅はまだ生きている。

 そしてこれからも、

 何人なんぴとたりとも

 雅に近づけはしない。


 俺はそのために

 ここへ来たのだ……


 男は目を閉じた。


 離れなければならない、

 その苦しみを押し殺した。


「……すまない。」


 男は小さく、

 謝罪の言葉を口にした。


 何に対する謝罪なのか、

 雅には全く分からない。


 ただ、不安だけが

 膨らんでいく。


 男は雅の手を引いて

 歩き出した。


「ま、待ってください!」


 それでも男は待ってはくれない。


 ずんずんと、

 社の方へ進んでいく。


 雅はぐっと、

 男の手を引っ張った。


「黄泉守様!」


 雅は必死に抵抗した。


「ねえ!

 待って!」


 男は止まらない。


 止まれば決意が揺らぐからだ。


「どうして何も

 話してくれないのですか!」


 雅の悲痛な叫びが響く。


「待って!

 私の話を聞いて!」


 男はついに、

 立ち止まってしまった。


 それでも、

 男は振り返らない。


「私、

 あなたに何かしましたか?」


「何かしてしまったのなら、

 謝ります。」


「ねえ。

 どうして何も言ってくれないの?」


「言ってくれなきゃ、

 分からない……」


「私のこと、

 嫌いになりましたか?」


 雅はもう泣きそうだった。

 目にいっぱいの涙を浮かべ、

 それを必死に耐えていた。


 声は震え、

 それでも男は

 自分を見てくれない。


 さっきまで、

 あんなに楽しかったのに……


「違う……」


 男の声は静かだった。


「嫌いなわけがない。」


 男も必死に耐えていた。


「だったらどうして……」


「私を見てくれないのですか?」


 雅は耐えきれず、

 ぽろりと涙を零した。


 男は背を向けたまま、

 俯いていた。


「……俺は。」


 男は深く息を吐いた。


「俺は……

 お前が愛おしい……」


 その声は

 驚くほど、弱々しかった。


 雅の涙が一瞬止まった。


「俺は、

 お前を失うのが恐ろしい……」


「死ぬほど、恐ろしくなった……」


 雅は男の手を強く握った。


「ならばなぜ、

 私から離れようとするのですか?」


 男はそんな雅の手を

 握り返すことはしなかった。


「俺のせいで、

 お前の命に危険が迫っているからだ……」


「そんな……

 そんな理由で?」


 雅は苛立った。


「私に危険がせまったいるから?

 だから離れる?

 意味が分かりません。」


 男は黙ったまま。

 そんな男に雅は語気を強めた。


「一緒に乗り越えればいいじゃない!」


「私はあなたから

 離れるつもりはありません!」


「私はあなたと

 ずっと一緒がいいんです。」


 雅は男の後ろから抱きついた。



 男の肩がぴくりと震えた。


 今すぐにでも

 この手を取ってしまいたい。


 それでも

 男は両手を握りしめ

 振り返りはしなかった。 



 俺はお前を失いたくない。


「……すまない。」 


 雅ははっとした。


「あなたは……」


 雅は男がなぜここまで

 頑ななのか、

 気づいてしまった。


「そんなにも、

 私を想ってくれているのですね。」


 雅は男の背に、

 いっそう強く抱きついた。


「……あなたの覚悟は分かりました。

 それでも……」


「私は、離れたくありません。」


 男は必死に耐えた。


 何度も

 振り返りそうになりながら、

 それでも

 その意思は変わらない。


 変えてはいけなかった。


 社の門が

 独りでに開き始めた。


 もう後戻りはできなかった。


 重い、

 扉の開く音だけが

 辺りに響く。


 雅は泣いていた。


 男の背にすがって。


 門がゆっくりと開いていく。


 雅のすすり泣く声が、

 男の胸をえぐっていた。


 やがて門が開き切ると、

 二人の体が淡く光りだした。


 雅は自分の体の変化に驚き、

 小さく声を上げた。


「なに、これ……」


 男は深く息を吐いた。


「……今からすることは、

 お前を守るためだ。

 分かってくれ……」


「……分かりたくありません。

 きっとまだ。

 他に方法が……」


「ないんだ。

 これ以外に、

 お前を守る術が俺にはない……」


 やがて二人の光が一本の線となって、

 お互いを繋いでいた。


 胸から伸びるは

 白く光る細い糸。


 男はその糸を、そっと撫でた。


 雅は自分の胸から伸びる

 その白い糸の先をたどった。


 男はゆっくりと振り返る。


 男はその糸を

 切なげに握りしめていた。 



「……これは何なのですか。」


 雅は泣き腫らした目を

 男に向けた。


 男の視線は、糸に向けたまま。


「これは、縁の糸だ。」


「縁の糸……?」


 嫌な予感が雅を襲う。


「俺とお前の縁の糸だ……」


 男は瞳を一度閉じた後、

 今度こそ雅を見つめ返した。


「俺は今日、

 この糸を断ちに来たのだ……」


 雅は目を見開いた。

 涙がはらりと糸に落ちた。 


「……そんなの。」


「嫌……。

 嫌です……」


 雅は信じられないといった様子で、

 ゆっくりと首を横に振る。


「俺との縁がなくなれば、

 俺に執着する何者かに、

 お前はもう狙われることはない。」


「なぜそう言い切れるのですか。」


 雅は無意識に

 糸を両手で握りしめていた。


「そいつは俺を殺したいんじゃない。

 俺を苦しめたいのだ。」



「そんな……

 そんなの、

 あなたがそう思っているだけでしょう?

 それが何者かまだ分かっていないのに、

 どうしてこんなことを……」


 男は目を閉じて首を横に振る。


「誰かは確かに分からない。

 それでも分かっていることがある。」


「なんですか、それは……」


「お前が俺にとって

 どれほど大切か……

 そいつに知られている……」


「俺は、

 常にお前を守れない。

 隙をつかれて、

 お前が拐われたら?


 お前がこの世から

 いなくなったら?」


 男はもう耐えられなかった。

 そのもしもを何度想像したか、

 分からない。


 雅がいなくなった世界で

 生きていく。


 そんな未来。


 耐えられない。


 男の瞳から

 すうっと涙がひとつこぼれ落ちた。



 雅はその涙に

 言葉を失った。


 そんなにも

 愛してくれていたのかと。


 嬉しいはずなのに、

 今はもう苦しくて苦しくて、

 雅は咽び泣いた。 



 雅はもう立っていられず、

 膝をついた。


 糸を胸に抱きしめて、

 泣き崩れた。


 もう何を言っても、

 この人の覚悟は変わらない。


「雅……」


 男は静かに名前を呼んだ。


「俺を恨んでくれて構わない。」


「それでも、

 俺はお前に生きて欲しい。」


 雅は何も答えられなかった。


「お前がどこかで

 生きてさえいれば、

 俺も……」


「生きていける……」


 雅はもう止めようとはしなかった。

 いや、もうできなかった。


「……恨むわけがありません。」


 涙を必死に抑えようとしても

 次々と零れていく。


「あなたとの縁が切れたとしても……」


「私はあなたを想っています……」


 男はもう雅に答えてやれない。


 糸を掴む手の力が

 徐々に強くなっていく。



「ひとつだけ。

 お願いしてもいいですか?」


「……なんだ。」


 男と雅の目が合った。


「私を……」


「覚えていてくれますか?」


 男の唇が震えた。


 忘れるはずがない。


 忘れぬものか。


 そう言いたいのに。


 男はそんな簡単な約束さえ、

 交わすことができなかった。


 男は何も言えない。


 片手で目を覆った。


 男はしばらく動けなかった。


 そうしてようやく、

 男はその手を

 高く上げた。


 雅はその動作を

 見ていることしかできない。


 男はゆっくりと、

 その手を

 糸に落とした。


 それは一瞬で。


 いとも簡単に

 二人を繋ぐ縁の糸は

 切れてしまった。


 切れた糸は

 社の中へと吸い込まれていった。


 十三話 別れ [完]




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