十二話 決断
黄泉蜘蛛を封印してから翌日。
雅はゆっくりと目を覚ました。
「雅……」
男は
雅の瞳を見て、
安堵した。
「黄泉守様……」
雅の声は弱々しかったが、
男はそれでも
目覚めたことが嬉しかった。
「もう大丈夫だ。」
男は優しく話しかけた。
黄泉蜘蛛が復讐のために
雅を狙っていたこと。
そして奴を封印したこと。
男は事の次第を
雅に話した。
「そうだったのですね。」
「ああ。」
男は優しく雅の手を握った。
「もうお前を
襲う奴はいない。
安心しろ。」
雅はほっと胸を撫で下ろした。
「黄泉守様。
ありがとうございます。」
「お前が無事なら
それでいい。」
男は微笑む雅を見つめた。
半妖の男のことは
あえて話さなかった。
話せば
また雅を不安にさせてしまう。
雅は自分のせいだと
責めるかもしれない。
これ以上、
雅の心に負担をかけたくなかった。
俺がなんとかしてみせる。
男は心の中でそう誓う。
もう二度と
危険な目に遭わせたりはしないと。
雅は、
心底安心したように、
柔らかく微笑んでいた。
男も
雅に微笑み返す。
雅のためなら
何だってする覚悟だった。
毎日毎日、
半妖の男について調べた。
だが何の手掛かりもなく、
調べたところで
何も掴めなかった。
足取りも分からない。
正体も。
居場所も。
それもそうだ。
その半妖は黄泉守の前に
一度も現れてはいないのだから。
男は焦っていた。
早く対処せねば、
雅は命を狙われたままだ。
自分の弱点が、
雅だということを、
そいつは理解している。
危険だ。
それも自分のせいで。
俺と出会わなければ。
俺と関わらなければ。
俺が愛さなければ。
雅は心に傷を負うことも、
なかったかもしれない。
今も平穏に村で暮らしていただろう。
そんな考えが、
何度も何度も、
頭を掠める。
もし、
自分のいないところで、
殺されたら?
もし、
俺が助けに間に合わなければ?
もし、
雅を永遠に失うとしたら?
男は耐えられなかった。
目を強く閉じ、
男は胸を押さえた。
「主?」
ハクの声ではっと我に返った。
「なんだ?」
「……大丈夫かい?」
ハクは思いつめたような
男の表情に気づき、
声をかけた。
「……ああ。
心配ない。
ハクも、何か分かれば
教えてくれ。」
男はそう言うと、
また資料へ目を向けた。
「……ああ。
分かった。」
ハクはそんな主を心配していたが、
それ以上何も言えなかった。
手掛かりがないまま、
日々が過ぎる。
気持ちの悪いほど、
何もなく、
平和な日々が続いた。
「雅。」
「なんですか?
黄泉守様。」
雅は塞ぎ込むこともなく、
元気を取り戻していた。
池の鯉に餌をやりながら、
雅は振り返る。
男はそれを
静かに後ろから
眺めていた。
「お前は今、
幸せか?」
「え?
どうしてそんなふうに、
聞くのですか?」
雅は不思議そうに
首を傾げた。
「いいから。
答えてくれ。」
雅は目を瞬いた。
特に何も考えず、
雅は正直に答えた。
「幸せですよ。」
そして男に微笑みかけた。
「皆さん優しいですし。」
雅は池に餌を撒きながら
なんでもないように答える。
「美味しいご飯も食べられて、
眠る場所があって、
毎朝神様に感謝しています。」
鯉が跳ねて、水面が揺れる。
「それに。」
雅は嬉しそうに微笑んだ。
「あなたが、隣にいるから。」
男は胸が苦しくなった。
「私は幸せですよ。」
男はたまらず
雅を抱き寄せた。
「黄泉守様……?」
雅は男の顔を見ようとしたが、
思いのほか
強く抱きしめられていて、
動けなかった。
男は何も答えない。
雅は男に問いかけた。
「黄泉守様は、
幸せですか?」
男は答えられなかった。
すぐにでも
答えたかった。
男は息を深く吸った。
そして、
ようやっと。
「……ああ。」
と一言呟いた。
「……幸せだ。」
幸せだった。
長い間生きてきて
こんなに誰かを
愛したことが
あっただろうか。
だからこそ、
恐ろしくなった。
失うのが怖い。
「幸せだ……」
男は小さく呟いた。
雅は優しく
男の背を撫でた。
「どうしたのですか?」
気遣わしげに言う雅に、
男はまた強く抱き締めた。
「いや。
なんでもない……」
雅は男のわずかな異変に
気づいていたが、
それ以上何も聞かなかった。
今は話したくないのだろうと、
話す代わりに
男の背を撫でる。
男は瞳を閉じた。
暖かくて、
男の心は満たされる。
それと同時に襲う
焦燥感。
この温もりを
手離さなければ。
そうは思うのに、
男は
抱きしめる腕を
離すことができなかった。
皆が寝静まった夜。
男の部屋にだけ
灯りが揺れていた。
男は一人、
机の前に座って、
部屋のどこでもない、
遠くを見つめていた。
しばらくして、
男は机に手をついた。
目を閉じて
俯く。
あれから何度も、
何度も、
考えた。
何度も、
何度も、
他に方法はないかと。
しかし、
答えはいつもひとつに
辿り着く。
決断をしなければならない。
分かってはいるが、
その度
雅の笑顔が
男の脳裏から離れない。
離れたくない。
離したくない。
それでも……
雅の命のため。
最悪の事態を回避するには、
もう
これしか方法がない。
男は
決断を下した。
十二話 決断 [完]




