十話 黄泉蜘蛛、再び
二人は並んで屋敷の門の前にいた。
黄泉蜘蛛の居所は
見当がついていない。
奴の妖気をたどれば
あるいは……
「……主。」
「どうした。」
ハクは何やら考え込むように
眉を寄せた。
「思ったんだが、
奴は雅さんを食うことが
目的なんだろうか。」
「奴は
雅の魂に執着していた。
おそらく、そうだろう。」
男な答えに、
ハクはさらに考え込んだ。
「……本当にそうなのかな。」
男はハクを見つめた。
「どういうことだ。」
「俺の考えすぎかもしれないが、
奴は復讐が目的なんじゃないか。」
「復讐……」
男も考え込んだ。
黄泉蜘蛛に
罰を与えた自分。
屈辱に
腸が煮えくり返る蜘蛛。
そこに自分の邪魔をしたい
誰かが
奴に救いの手を差し伸べる。
黄泉蜘蛛は復活し、
自分に罰を与えた俺に、
復讐。
俺を殺すより、
雅を殺した方が、
俺が苦しむとでも思ったのか。
「……有り得る。」
男の視線が鋭くなった。
「黄泉蜘蛛は
主に敵わない。
それを分かって、
雅さんに狙いを定めた。」
もしそうだとしたら。
「俺が屋敷を離れれば、
奴はここへ現れる。
そこを叩く。」
ハクは頷いた。
「その策でいこう。
ただ、そう上手く行くかどうか。
あいつも馬鹿ではないだろう?」
男は門の先を見つめた。
「確かにそうだな。」
一度破れた男相手に
そう簡単に捕まるとも思えない。
「しかし、
ここで手をこまねいているわけにもいくまい。」
「うん。
そうだね。
いちにも知らせよう。」
「ああ。」
二人は踵を返そうと屋敷を振り返った。
その時。
「……!」
二人はとっさに門の外を見た。
この妖気
忘れるはずがない。
この粘つくような妖気。
「あいつだ……」
男の声がいっそう低くなった。
妖気を隠しもせず、
こちらへゆっくりと
近づいてくる。
カラン。
コロン。
静かに、
下駄の音を響かせて。
徐々にその人影が
顔を出す。
女だ。
あいつだ。
長い黒髪を揺らして、
妖艶な微笑む女。
「黄泉蜘蛛!」
男の全身に
怒りが込み上げる。
「そんなに怒らないでよ。」
女は楽しそうだった。
男の歪む顔が、
嬉しくてたまらない。
そんな表情だった。
「なんの用だ。」
男は静かに問う。
男は確かに怒ってはいたが、
冷静さをかいてはいなかった。
「今日は別に、
あの子を食べに来たんじゃないの。」
黄泉蜘蛛は不敵に笑う。
「それに、
この結界じゃ、
私には破れないし。」
少しつまらなさそうに呟く女に、
ハクは苦々しい顔を向けた。
「ならば何故ここへ来た。」
ハクが問えば、
女は肩をすくめた。
「あんたらに
面白い話があるんだ。」
女はニヤリと笑った。
「面白い話だと?」
男は女を睨みつけた。
「そんなに見つめないどくれよ。」
黄泉蜘蛛は
男の反応を楽しんでいた。
「私はただ、
良いことを教えてやろうと
思っただけさ。」
黄泉守とハクは
黙ったまま、
女を睨んでいた。
女は大袈裟に肩をすくめた。
「おお、怖い怖い。
せっかくあの娘のために
教えてやろうとしてるのに。」
さも残念そうに言う女に、
ハクは苛ついた。
「その娘を食おうとしてるのは、
お前だろう。」
「だから、
食いに来たわけじゃないって
言ってんだろ。」
女はふっと笑う。
いかにもハクを馬鹿にしたように。
「お前、
何を知っている。」
男は睨みつけたまま
静かに問う。
「あんた、
タダで私が教えると思ってるのかい?」
黄泉蜘蛛は
馬鹿にしたように笑う。
男は眉間に皺を寄せた。
「お前の望みは?」
女はニヤリと
口角を上げた。
「話が早くて助かるわ。」
女は楽しげに笑う。
「簡単な話さ。
あんたはひとつ、
私の質問に正直に答えればいい。」
「質問だと。」
「ああ。そうさ。
たったのひとつだけ。」
女は人差し指を出して
男に見せる。
「早く言え。」
「急かさないでおくれよ。
これからが楽しいのに。」
女の顔は
もう可笑しくてたまらないと、
笑いを堪えて
楽しそうに歪む。
「あんた、
あの娘を愛しているのかい?」
ハクは目を見開いた。
男も動きを止めた。
「アハハッ!
図星だ!
良いね、その顔!」
女はもう笑いが止まらない。
「ハハハッ!
なら話は簡単。
娘との大切な記憶を、
ひとつ貰おうか。」
男は目を見開いた。
こんな女に、
大切な記憶をひとつでも
取られたくはない。
「それをお前に渡したとして、
お前は何を与えると言うのだ。」
男は拳を握りしめながら
黄泉蜘蛛へ問いかけた。
「私がどうして助かったのか。
助けたのは誰か、
教えてやろう。」
男はしばし間をあけると、
静かに答えた。
「良かろう……」
「主!」
ハクはたまらず声を上げた。
「こいつの言うことを、
信用するのか!?」
ハクは女に指をさす。
「おや、心外だね。
私は嘘をつかないよ。
記憶をいただくんだ。
それ相応の対価を出さねば、
私はまた蜘蛛に戻っちまう。」
「主。
駄目だ。」
ハクは男を止めようと、
必死だった。
男は女を見据えたまま、
答えない。
「……」
「主!」
そんな二人を
可笑しそうに
黄泉蜘蛛は見ていた。
「記憶ひとつで
あんたらは
情報が手に入る。
娘も救える。
安いもんだろ?」
「五月蝿い!
黙れ!」
ハクは怒鳴った。
女は小さく
肩を下げた。
「ハク……
いいんだ。
ひとつぐらい、
この女にくれてやる。」
「交渉成立だね。」
女はパンッとひとつ手を打った。
「記憶は私が選ぶ。
自分じゃ選べないだろう?
どれも大切な記憶だから。」
女はニヤリと
口角を釣り上げた。
男は手に血が滲むはほど、
強く拳を握っていた。
掌がじわりと痛む。
その痛みで正気を保っていた。
「さあ。
こっちに来とくれよ。
私はそっちに行けないからね。」
女はおいでおいでと
手招きする。
男はゆっくりと一歩踏み出す。
「主!」
ハクは咄嗟に男の腕を掴んだ。
「駄目だ!」
しかし、
男の意思は強く、
ハクの腕を振り払う。
「主……」
男は一歩一歩女に近づく。
やがて結界の外。
女の目の前で足を止めた。
「まあ、そんなに固くならないでおくれ。
死ぬわけじゃないんだからさ。」
女はそう言うと、
黄泉守の額へ手を伸ばした。
「さて、
どれをもらおうか。」
その瞬間。
雅との思い出が
次々と浮かんでくる。
満月の晩。
茜色の空。
手を繋ぐ夕暮れ。
笑う雅。
怒る雅。
泣く雅。
「ああ。
これがいい。」
女の笑みが深くなる。
それは、
あの満月の夜。
二人で酒を飲み、
月を眺めたあの夜。
盃を持って笑う雅。
『だって、
あなたの目の色と、
一緒ですから。』
黄泉蜘蛛は
嬉しそうに
笑った。
「これをもらおう。」
黄泉蜘蛛は楽しくて
仕方がなかった。
「やめろ!」
ハクは叫ぶも、
もう遅い。
女の指先が額に触れる。
まるで糸を引っ張り出すように、
女は男の額から
記憶を引き抜いた。
「うっ……」
男はたまらず
呻いた。
頭が割れるようだった。
無理やり記憶を抜かれたせいなのか。
男はよろめいた。
ハクは男に駆け寄って、
肩を掴んだ。
「主!
大丈夫か!?」
「……ああ。」
男は頭を抑えながら、
記憶の先を見た。
女の掌の上で
淡く光る球体が見えた。
女は嬉しそうに
それを眺めていた。
「綺麗ねぇ。
本当に、美味そうだ。」
「貴様!」
ハクは女を睨みつけた。
女はそんなハクを
馬鹿にしたように
鼻で笑った。
「ふっ。
睨んだって仕方ないだろう。
最後に決めたのはあんたの主だろうに。
文句があるなら目の前の男に言いなよ。」
「外道が……!」
ハクの悪態に
女はものともしなかった。
「これはもう私のものさ。」
そう言うと、
女はそれをゆっくりと
口へ入れた。
まるで、
黄泉守に見せつけるように。
ゴクリ……。
女はそれを飲み込んだ。
「ああ。
美味しかった。」
女は唇を舐めた。
男はその様から
目が逸らせなかった。
記憶の一部が無くなった。
それは分かるのに、
何を取られたのか、
全くわからない。
それがどれほど悔しいか。
それは黄泉守にしか分からない。
胸には
ぽっかりと穴が空いたような、
そんな違和感だけが残っていた。
十話 黄泉蜘蛛、再び [完]




