五話 試練 その一
三人は社の奥を目指し、
歩き続けていた。
長い回廊が続く。
視界を占めるは、
糸
糸
糸
一本や二本ではない。
天井も、
壁も、
床さえも。
「正直、
気味が悪いね。」
ハクの言葉に
透子は小さく呟く。
「全て、縁の糸なのでしょうか。」
「……そうだろうな。」
シュル……
「えっ……」
シャラン!!
気づいた時にはもう遅かった。
無数の糸の中の一本が
透子の手首に絡みついた。
「透子!」
男は
繋いでいた手を強く引っ張った。
「!」
しかしびくともしない。
いくつもの糸が
次々に三人を絡めとっていく。
男の腕。
ハクの足。
糸は鉛のように重く、
体が動かない。
「なんだこれは!」
男の声を皮切りに、
糸は一斉に
どこかへと三人を引っ張る。
「黄泉守様!」
「透子!」
「主!」
繋いでいた手は、
無情にも解ける。
次の瞬間。
視界は真っ白に染まった。
シュル。
シュル……。
……………………。
回廊は静けさを取り戻す。
そこには
誰もいない。
寒い……
透子はゆっくりと目を開けた。
そこは今までいた回廊ではなかった。
「ここは……」
畳の匂い。
障子から差す夕陽。
透子は立ち上がる。
ガチャンッ!
足に何かが当たった。
それは、食事の入った盆だった。
透子は膝をついてそれに触れる。
「ああ……
そんな……」
生贄として村を出るまで、
毎日触ったあの器。
不揃いの箸。
透子は息を呑んだ。
「どうして……」
忘れるはずがない。
ここは、
透子が閉じ込められていた家だった。
「ありえない……」
黄泉守様は?
ハクさんは?
透子はもう一度立ち上がって、
部屋を出ようとした。
その時。
廊下の向こうから
足音が聞こえてきた。
透子ははっとする。
この足音を
私は知ってる。
「透子!」
障子が開く。
「母さん……」
この音を、
この声を、
忘れるはずがなかった。
そこに立っていたのは、
透子の母だった。
「何をしてるんだい!」
透子はびくりと肩を震わせた。
「食事をこぼしたら、
承知しないよ!」
怒鳴り声が部屋に響く。
「ご、ごめんなさい。」
透子は反射的に謝っていた。
「この役立たず!」
同じ言葉。
同じ怒鳴り声。
「ごめんなさい……」
あの日と同じように
謝っていた。
「お前なんか、産むんじゃなかった!」
「ごめ……」
透子ははっとした。
違う。
母さんは確かに
怒鳴るし、
私を嫌ってはいたが、
そこまで言ったことはなかった。
それに、
私はあの頃の私じゃない。
透子は気づき始めていた。
これは
縁断の社の試練だと。
しかし、
母の言葉は
透子の心の傷をえぐっていく。
「お前さえいなければ、
私は幸せだったのに!」
「お前のその目、
気味が悪い!」
痛い。
辛い。
逃げてしまいたい。
でもどこへ?
逃げ場なんて
どこにもない。
「聞いてるのかい!」
透子はびくついた。
母の声が頭に響く。
胸が痛い。
胸が苦しい。
あの日々に戻ったように、
透子の呼吸は浅くなる。
透子は耳を塞ごうと、
両手を耳へ持っていく。
「お前なんか、
誰にも必要とされてない!」
ぴたりと
透子の動きが止まった。
誰にも必要とされてない。
昔の透子なら
何も疑わずに信じただろう。
しかし、
今の透子の脳裏には
一人の男の姿が浮かんでいた。
金色の瞳。
誰よりも優しくて
不器用な人。
『お前を一人で行かせるわけがないだろう。』
あの人の声。
そして。
『透子さん。』
『なら、俺もついて行くよ。』
ハクの声。
『透子様!』
『必ず帰って来てください!』
いちの声。
屋敷の妖たちの笑い声。
透子はゆっくりと顔を上げた。
「それは違う……」
小さな声ではあったが、
そこには強い意志が見えた。
母はぴたりと動きを止めた。
「口答えするのかい。」
「昔の私なら
そんなこと考えもしなかった。」
透子は母を見つめる。
「だけど、今は違う。」
震えはもう止まっていた。
「私はもう、独りじゃありません。」
母だった姿がぐにゃりと歪む。
パキリッ。
割れるような音がした。
「嘘よ!」
それは自分だった。
「どうせあの人も、
いちも、ハクも、
屋敷のもの達も、
私を捨てるわ!」
「捨てません。」
透子は一歩、自分へ近づく。
「黄泉守様はそんな人じゃない。」
透子は静かに、
目の前の自分に語りかける。
「いちさんも、
ハクさんも、
屋敷の皆さんも。
誰もそんなことしない。」
「どうしてそんなことが言えるの!」
目の前の自分は狼狽える。
「だって今までそうだったじゃない!」
「誰も助けてくれない!」
「泣くことさえ、できなかった!」
「誰が私を助けてくれるの!」
「最後は私を生贄にしたじゃない!
殺そうとしたじゃない!」
「最後には
絶対裏切られる!」
目の前の自分は泣いていた。
それは過去の
透子の心だった。
「そうよね……」
透子は
泣き叫ぶ自分の手を取って、
抱き寄せた。
「辛かったよね。」
「悲しかったよね。」
「泣きたかったよね。」
透子も涙を流していた。
抱きしめる腕に力がこもった。
「だけどね。」
透子は優しく
抱きしめた自分の頭を撫でた。
「もう私は、
独りじゃないの。」
パキパキ……
「もう、大丈夫。」
パキンッ!
あの部屋が
音を立てて砕け散った。
眩い光に包まれる。
透子はたまらず目を強く閉じた。
五話 試練 その一 [完]




