四話 縁断の社
冷たい風が吹き抜ける。
三人は山へ足を踏み入れた。
切り立った斜面に足を取られる。
なんと歩きにくい道なのか。
石がゴロゴロと
透子たちの行く手を邪魔する。
山には霧が立ち込めていた。
三人は
光の糸を頼りに進んでいた。
シャラン……
呼魂鈴は山に入ってから
その音を強めていた。
泣き声も同じように
大きくなっている。
悲痛な声だ。
透子は胸が締め付けられていた。
「近い……」
ハクが辺りを警戒している。
「ああ……」
男も頷く。
三人はさらに山奥へと
進む。
どれほど進んだろう。
その時。
風向きが変わる。
ゴオーッ!!
強い風が吹抜た後、
霧がさっと晴れた。
まるで道を開けるように。
「これは……!」
透子は息を呑む。
そこには長い石段があり、
その先に朽ちた鳥居が見えた。
その古さに
長い年月を感じだ。
石段は
所々が崩れていて、
苔もむしている。
シャラン!!
呼魂鈴が激しく鳴った。
「ここだね……」
ハクが険しい表情で呟いた。
「ああ。」
男も石段の先を見つめて
小さく呟く。
泣き声も
今ははっきりと聞こえている。
この先だ。
石段の先から
すすり泣く声が聞こえる。
透子は石段からゆっくりと
視線を上げた。
鳥居の上に
かろうじて文字が見えた。
『縁断の社』
男はその鳥居から目が離せなかった。
金色の瞳が揺れる。
「黄泉守様?」
透子はそんな男の変化に、
気がついた。
「俺は……」
声がかすれていた。
「俺は……此処を、知っている。」
震えてもいた。
「えっ……」
男は眉間に皺を寄せて、
胸元を押さえていた。
「はっきりと思い出せんが……
来たことがある。」
苦しそうに呟く男の手を、
透子はたまらず握った。
男ははっとして、
透子を見つめた。
「大丈夫です。
行きましょう。
一緒に。」
透子の手の温もりに、
男の心はわずかに軽くなる。
「ああ。そうだな。」
ハクはそんな二人を見て
小さく息を吐いた。
「ここで当たり見たいだけど……
嫌な感じがする。」
そう呟くハクは、
石段の先を静かに見つめていた。
霧が晴れてから、
呼魂鈴は激しく震え、
鳴り続けている。
まるで
早く来てくれと急かすように。
三人は頷き合うと、
その長い石段へ
足を踏み出した。
石段を登るにつれ、
声は強く大きくなっていた。
その声を聞くたびに、
透子は胸が締め付けられる。
苦しい。
悲しい。
辛い。
寂しい。
泣き声と共に
そんな感情が流れ込んでくる。
「透子さん。」
後ろからハクが声をかけた。
「大丈夫かい?」
「はい。
……大丈夫です。」
そう答えたものの、
透子は眉間に皺を寄せていた。
息苦しい。
ここには、
数多の悲しみが集まっているようだ。
シャラン……
鈴が優しく鳴った。
不思議なことに、
その音を聞くと、
わずかだが呼吸が楽になった。
「雅さん……」
透子はそっと鈴を握った。
石段はまだ続いている。
いったいどれほど昔に
造られたのだろうか。
石段は黒ずみ、
所々が崩れている。
誰も、長い間
訪れていないことが
見てとれた。
やがて。
三人は最後の一段を登りきった。
「……これは!」
ハクと透子は息を呑んだ。
鳥居の先に、
巨大な社が静かに佇んでいた。
ただの社ではない。
その姿は異様だった。
無数の白い糸が、
社全台に絡みつき、
風になびいている。
細い糸もあれば太い糸もある。
数え切れないほどの糸の群れの中で、
淡く光を放つ糸が見えた。
「あれは……」
呼魂鈴もそれに呼応するように
激しく鳴る。
シャラン!!
シャラン!!
淡い光だった糸が
いっそう眩く光だした。
透子は目を見開いた。
その糸は社の奥へと
続いている。
「こっちだ」
と導くように。
透子は一本踏み出した。
その時、
くっと後ろから引っ張られる感覚がした。
透子は振り返る。
繋いだ手の先。
男が動けずに
立っていた。
「黄泉守様?」
透子が声をかけても、
男は答えない。
「主?」
ハクも異変に気づいて
声をかける。
ただじっと、
社を見つめて
男は動けずにいた。
男はゆっくりと
胸元の着物を握りしめた。
苦しい。
辛い。
「……思い出せない。」
記憶はないのに、
今すぐにでも、
この場所から逃げ出したくなった。
「俺は……」
声が掠れる。
手も足も
震えていた。
「此処で、
何かを捨てた……」
風が強く吹く。
無数の糸が
ざわざわと揺れる。
その光景を見た瞬間だった。
黒い社。
泣いて顔を伏せる娘。
そして……
自ら糸を断ち切る、
自分の手。
「っ……!!」
男は思わず頭を押さえた。
シャラン!
シャラン!!
呼魂鈴が
今までより
さらに強く鳴り響いた。
「黄泉守様!」
透子は慌てて男を支えた。
「主!」
ハクも駆け寄った。
男の顔色は青く、
呼吸も荒くなっている。
額に汗が滲む。
男は頭を押さえたまま、
立っているのがやっとだった。
「今、見えた。」
掠れた声に
透子は男の腕をぎゅっと掴んだ。
「何が、見えたのですか?」
男はゆっくりと
指先を社へ向けた。
その指先は震えている。
「この場所。
俺は確かに、
ここへ来た……」
記憶はまばらだったが、
さっき脳裏に掠めた映像が
頭から離れない。
娘が、泣いていた。
自分が糸を断ち切っていた。
頭が割れそうだった。
胸が張り裂けそうだった。
しかし、
肝心なことが、
何一つ思い出せない。
そんな自分に腹が立った。
「くそっ……!」
男は苦々しげに吐き捨てる。
思い出そうとするたびに、
手からすり抜けていくようだった。
「無理はするな。」
ハクが男の肩に手を置いた。
透子がぎゅっと
手を握る。
「大丈夫。
もうすぐそこです。」
シャラン……
鈴が静かに鳴った。
まるで
男を励ますように。
「呼ばれています。」
透子は社の方へ目を向けた。
社の奥に続いているあの糸が、
さらに光を増していた。
「大丈夫ですよ。
私が、そばにいます。」
男は静かに目を閉じた。
ふうと深く息を吐いた。
「……ああ。
行こう。」
男の顔色は変わらず悪かった。
だが、
その瞳にもう迷いはない。
男は社を見つめる。
「行こう……」
「ああ。」
ハクも頷く。
三人は再び歩み出した。
社に絡みつく無数の糸は、
よく見ると、
どの糸も古く
弱々しい。
長い年月のせいなのか、
力を失っているようだった。
やがて、
扉の前に辿り着いた。
扉は固く
閉ざされいる。
シャラン……
「あっ……!」
鈴が鳴ると
誰も触れていないはずの扉が、
ゆっくりと開き始めた。
ギギ……ギギ……
「開いた……」
透子が思わず呟く。
泣き声が
社の中から聞こえてくる。
「泣いてるね……」
「ああ……」
ここでようやく
ハクと男の耳にも泣き声が
届いた。
啜り泣く声が
耳に痛い。
悲しみを押し殺したような声に
男は胸元を掴む。
「うっ……」
苦しい。
切ない。
そんな感情が流れ込む。
「黄泉守様!」
苦しげな表情を浮かべる男を
心配した透子に、
男はその痛みになんとか耐えて答えた。
「大丈夫だ。
……進もう。」
男は一歩踏み出した。
シャラン……
呼魂鈴の光の糸は
社の奥を指している。
ハクは男の様子を見て
小さく息を吐いた。
「急いだ方が良さそうだね。
ここに長居は良くない……」
「そうですね。
行きましょう。」
三人は社の奥へと
足を踏み出した。
三人は社の奥へと消えていく。
それを……
誰かが見ていた。
社の天井から無数に垂れ下がる
白い糸の奥の奥。
それは人に見えた。
子供にも見えた。
しかし決して、
人でも妖でもない。
シャラン……
社の奥から
鈴が鳴る。
「来た……」
少年のような声は
掠れていた。
「……遅いよ。」
喜んでいるようで
悲しんでいるような声。
やがてその影は
社へと溶けて消えていった。
三人はまだ知る由もない。
社の最奥で待っているものが、
ただの心ではないことを。
泣き声はまだ止まない。
四話 縁断の社 [完]




