第2話 雨宿りの洞窟で「鉄の獣」を目覚めさせる
暗闇に目が慣れてくると、そこが自然の浸食によってできた洞窟ではないことがはっきりと分かった。
壁面には一定の間隔で直線的なスリットが刻まれており、天井には魔導石のランタンとは異なる、ガラスのような素材で覆われた照明器具の残骸が等間隔に並んでいる。
数万年前に滅びたという『超高度星間文明』の遺構。王都の地下深く、大貯水区画のさらに下層にも似たような材質の遺跡が眠っているが、ここの保存状態はそれらとは比較にならないほど良好だ。
肩に深く食い込んでいた重い背嚢を床に下ろし、固く結ばれた紐を解く。中から取り出したのは、先ほど王都の工房で丁寧にパッキングした厚手の革製ロールケースだ。
床に広げると、大小様々な調整針や計測器が整然と並んでいる。そこから分厚いレンズがはめ込まれたゴーグルを手に取った。暗視機能はないが、空間に残留する微小な魔力やエネルギーの残滓を可視化するための特注品である。念のため、護身用を兼ねて極めて頑丈な竜骨製のレンチも引き抜き、腰のベルトへ差し込んでおく。
ゴーグルを装着すると、視界が淡い緑色に染まった。
壁の内側には、魔力とは異なる未知のエネルギーラインが、まるで血管のように張り巡らされている。ただし、その脈動はすっかり沈黙していた。
「……かなり深いな」
窮屈な宮廷の制服と共に、「私」という取り繕った一人称も王都のゴミ箱へ捨ててきた。本来の粗野な口調で漏らした独り言が、冷たい壁に反響する。
通路は緩やかな下り坂になっており、歩を進めるごとに雨の匂いは薄れ、代わりに古い金属とオゾンの匂いが強くなっていった。
十分ほど歩いた先で、通路は唐突に開けた。
足を止め、ゴーグル越しに見える空間の規模を見上げる。
ドーム型の巨大な空間。王宮にある最大の謁見の間が、三つや四つはすっぽりと収まるほどの容積がある。壁面には無数のコンソールらしきものが並んでいるが、どれも黒いガラス面を晒したまま沈黙を保っている。
そして、その巨大な空間の中央。
一段高くなったプラットフォームの上に、異様なシルエットが鎮座していた。
全長は五メートルほどだろうか。重厚でありながら、どこか流線型の美しいフォルムを持つ、巨大な金属の塊。胴体の下には、太く強靭そうな六本の脚部が折り畳まれるようにして収まっている。機体の上部には、用途の知れない砲身のような構造物が前方を睨んでいた。
「多脚戦車……いや、それにしては重機のようなアタッチメントも見えるな」
警戒を解かないまま、レンチの柄に手を添えてゆっくりとプラットフォームに近づく。
魔獣ではない。呼吸の気配も、生体特有の魔力放射もない。
だが、ただの朽ちた鉄屑とも思えなかった。装甲の表面には錆一つ浮いておらず、周囲の微かな光を反射して鈍い金属光沢を放っている。
機体のそばまで寄り、ゴーグルの焦点を合わせた。
「なんだ、これは」
低い声が空間に響く。
透視した機体の内部構造。それが、一介の魔導工学師が持つ常識をはるかに超えていたのだ。
王都の最新鋭の魔導具であっても、魔力回路の構造は比較的単純にできている。ミスリルなどの伝導率の高い金属で面と線を描き、そこにマナを流し込むことで魔法現象を起こすのが基本だ。
しかし、この機体の内部に走っているのは、そんな大雑把なものではなかった。
ナノメートル単位で立体的に編み込まれた極細の回路網。それが何万、何十万と幾重にも重なり、絡み合いながら、機体の各部臓器とも呼べるユニット群へ繋がっている。
極めて精緻な、究極の工芸品。
だが、その回路にエネルギーは通っていない。永遠の眠りについているかのように静まり返っている。
胸の奥で、技術者としてのどうしようもない好奇心が疼き始めた。
素手で装甲に触れてみる。ひんやりとした、しかし鋼鉄とは違う滑らかな感触。継ぎ目すら見当たらない表面を慎重になぞっていくと、側面の一部にわずかな長方形の窪みを見つけた。
位置的に考えて、メンテナンス用のコンソールか、外部アクセス用のポートだ。
目を閉じ、深く呼吸を整える。
「……少し、中を覗かせてもらうぞ」
指先を窪みに当て、自身の魔力を極細の糸へと変換し、機体のポートから内部へと流し込む。
無理やりこじ開けようとすれば、防衛機構が作動して丸焦げにされるかもしれない。相手の回路の形を繊細に探り、それに同調するように自身の魔力を浸透させていく。
(複雑だ……だが、論理構造自体は理解できる)
使われているエネルギーの質が、現代のマナとは根本的に違う。空間エーテルと呼ばれるものか、あるいはそれ以上の何か。だが、回路を通って動力を伝達し、各部位のバルブやスイッチを制御するという「物理的な情報伝達」の概念は、王都の地下インフラとなんら変わらない。
魔力の糸を触覚のように使い、機体内部で断線、あるいはスリープ状態になっている微小な論理スイッチを一つずつ特定していく。
それは、真っ暗な針の穴に、さらに細い糸を通し続けるような作業だった。
並の魔導師なら三秒で泡を吹いて倒れるだろう。だが、長年地下の劣悪な環境でミリ単位の調整を続けてきた職人にとって、この精密なパズルを解き明かしていく過程こそが至福だった。
うっすらと額から汗が滲み出し、顎を伝って冷たい床に落ちる。
いつしか周囲の寒さも忘れ、意識は機体の深部へと没入していく。
「……ここか。これがメインゲートだな」
中枢の起動シークエンスを塞いでいた、何重もの論理ロック。その隙間を縫うように魔力の針を差し込み、最後のピンを正確に弾き飛ばす。
直後。
ズゥゥゥン、という腹の底を揺らすような重低音が床を震わせた。
「っ!」
瞬時に魔力の接続を切り、数歩後退して腰の竜骨製レンチを引き抜く。武器にはならないが、丸腰よりはマシだ。
休眠していた機体のスリットというスリットから、眩いほどの青白い光が漏れ出す。
油圧が駆動するような滑らかな音を立てて、折り畳まれていた六本の脚がゆっくりと伸び、巨体を持ち上げた。五メートルの質量が立ち上がった威圧感は、大型の飛竜を前にした時に勝るとも劣らない。
『ウィィィン……』
機体上部の砲塔がゆっくりと旋回し、真っ直ぐにこちらへ向けられた。
(不味いな。防衛システムが起動したか)
冷や汗を流しながら、回避のタイミングを図る。どんな魔法防壁を展開したところで、あの砲塔から放たれる一撃を防ぎ切れるとは思えない。装甲の継ぎ目を狙って魔力を打ち込み、駆動系をショートさせるしか生き残る道はない。
だが、砲口が火を噴くことはなかった。
代わりに、砲塔の側面にある小さなプロジェクターから、青白い光が照射される。
光の粒子が空中で集束し、一つの立体映像――ホログラムを結像した。
現れたのは、冷酷な殺戮兵器のインターフェースとは程遠い姿だった。
真っ白な割烹着に身を包んだ、ふくよかで優しそうな中年女性のアバター。
『ガガッ……システム・オンライン。メインジェネレーター、正常。各種センサー、機能低下が見られるものの許容範囲内。……生体認証、エラー。該当する権限保持者が見当たりません』
ホログラムの女性が、ノイズ混じりの機械的な音声で喋り出す。
レンチを構えたまま、呆然とその姿を見上げた。
『あー、もう。関節周りの油圧がキシキシ言うわ。緊急プロトコルでの強制起動なんて何万年ぶりかしら。……まあ、波形は条件を満たしてるから良しとしましょう』
「お前は……この機体の制御システムか?」
油断なく尋ねると、ホログラムはノイズを振り払うように頭を振り、くるりと振り返ってにっこりと微笑んだ。先ほどの機械的な音声から一転し、ひどく滑らかで感情豊かな声色に変わっている。
『そうよ。私は多用途多脚戦車、汎用重機X-77。通称マチルダ。よろしくね』
「マチルダ……」
『ええ。それで、あなたが私を起こしてくれたのね?』
マチルダと名乗ったAIは、腕を組みながら眼前の人間を頭からつま先まで、ジロジロとスキャンするように眺めた。
その直後、彼女の眉間に深いシワが寄る。
『ちょっとあなた、ずいぶんと顔色が悪いじゃないの。目の下にはクマができてるし、筋肉量は立派だけど、明らかに栄養状態が偏ってるわ』
「は?」
『は? じゃないわよ。おまけに雨に濡れて体が冷え切ってるじゃない! そんな薄着でウロウロしてたら、絶対に風邪ひくわよ!』
それは、どう見ても母親が不摂生な息子を叱りつける時のトーンだった。
予想外すぎる反応に、張っていた気が抜けていく。
「いや、待て。俺は別に……」
『言い訳は聞かないわ! ちょっと待ちなさい』
機体の側面がスライドし、そこから細くしなやかなマニピュレーターが二本、蛇のように伸びてくる。
反射的にレンチを振り上げかけたが、マニピュレーターの先端は乱暴な攻撃をするわけでもなく、首元を器用につまんでレザージャケットの襟を立てると、別のノズルから温かい風を吹き付け始めた。
ドライヤーのような心地よい温風が、雨で冷え切った身体を急速に温めていく。
「……何をしているんだ、お前は」
『見て分からない? 服を乾かしてるのよ。放置したら低体温症になるわ。大体あなた、こんな辺境の遺跡で何をしてるの。栄養失調の浮浪者?』
「浮浪者じゃない。訳あって王都を出て、この辺りを開拓しに来ただけだ」
『ふーん? なんだかよく分からないけど、苦労してるのねえ。ろくにご飯も食べてないんでしょ。ほら、そこにあるコンテナの上に座りなさい。今すぐ温かいスープを合成してあげるから』
マチルダの機体の一部がカシャカシャと変形し、内部から金属製のカップが現れる。ノズルからペースト状の固形物がひねり出され、即座に熱湯が注がれた。機械内部で急速な化学反応が起きる微かな駆動音が鳴り、あっという間にカップになみなみと注がれたスープが完成する。
マニピュレーターがそれを掴み、目の前まで運んできた。
湯気と共に、強烈に食欲をそそる肉と香味野菜の香りが漂ってくる。
圧倒的なオーバーテクノロジーの結晶たる古代兵器が、今、自分に温かいコンソメスープを勧めている。
冗談のような光景だが、出されたものを無警戒に口に運ぶほど、辺境でのサバイバルを甘く見てはいない。レンチをしまい、代わりにロールケースから薬品検知用の細い銀針を取り出すと、スープの表面にそっと浸した。
変色は、ない。
さらにゴーグルのレンズ越しに、成分の魔力波長を解析する。毒素や有害な重金属の反応は皆無。それどころか、疲労回復に直結するアミノ酸と塩分が、人間の吸収効率を極限まで計算された比率で配合されていた。
……本気で、ただの完璧な栄養食らしい。
「……手間をかけさせたな」
『あら、毒見なんて失礼ね! 人間の生体活動に合わせた完璧な栄養バランスで配合した、特製コンソメよ。さっさと飲みなさい。冷めるわよ』
呆れたように腰に手を当てるホログラムを一瞥し、促されるままにカップを受け取って一口すする。
「……美味いな」
王宮の晩餐会で出されたどのスープよりも、疲労した身体の隅々にまで染み渡る、深い味わいがした。
『ふふん、どう? 美味しいでしょ。私はお料理だって得意なんだから』
割烹着のアバターが得意げに胸を張る。
カップの底に残った最後の一滴を飲み干すと、こわばっていた胃の腑がじんわりと熱を持った。雨の冷えと長旅の疲労が、不思議なほどスッと引いていく。
空になったカップを見つめ、小さく息を吐き出す。
どうやらこのデッドランドでの生活は、静かで孤独な土いじりとは無縁のものになりそうだった。




